日本語の「開運」という言葉に対義語がなかった話
ペルシア語を日本語に翻訳するとき、「ペルシア語の能力よりも日本語の能力が試されているっ…」と痛感します。
昨日、翻訳作業をしていて困った事例をメモしておきます。
問題の箇所
日本語も言語学も専門外なので、トンチンカンなことを言っていたらスミマセン。
ペルシア語の原文には、「運が閉じている娘が運を開くためにある場所へお参りに行く」と書いてありました。
ここで言う運とは、結婚適齢期の娘が良縁に恵まれるかどうか、そういう運のことです。
果たして、日本語において、「運が閉じている」という状態を示す言葉と、その状態を打破する「運を開く」という行いを示す言葉は、存在するでしょうか?
分析
ペルシア語上は、あくまで
運が閉じている ⇆ 運を開く
という対義語です。対義語で語ることにより、歯切れの良い明快さが出ています。
日本語には「開運」という言葉があり、一般的に用いられています。
「運を開く」という動詞も、一応あるようです(私は使ったことないですが…)。
しかし、日本語には「運が閉じている」という表現がありません。
これではペルシア語原文の対義語同士が持つ明快さをうまく表現できない…
試行錯誤の結果
日本語に無い言葉を無理やり並べても、読者にとって読みづらく難解な文章になるだけです。翻訳書は、日本語として読みやすい文体であることが望ましいと私は考えます。
今回、以下のような訳文にしてみました。
昔のテヘランでは、結婚適齢期にも関わらず良縁に恵まれない娘たちが、幸運や開運を願ってある場所へ向かった。
要するに、ある形容詞を文脈に合わせて説明調に訳し下したということです。
参考
ペルシア語原文
در تهران قدیم، زنان سیاه بخت و دختران بخت بسته برای سفید بختی و گشایش بخت به میدان ارک می رفتند
分析
در تهران قدیم:昔のテヘランでは
زنان سیاه بخت:「黒い運の女性」と
دختران بخت بسته:「運の閉じた娘」が
برای سفید بختی و گشایش بخت:「白い運」と「開運」のために
به میدان ارک می رفتند:アルク広場へ行った。
ここでわかるのは、
黒い運 ⇆ 白い運 (対義語である)
運が閉じている状態 ⇆ 開運 (対義語である)
ということです。
ペルシア語の原文にある対義語を日本語の語彙に置き換えることは諦め、
昔のテヘランでは、不運な女性や良縁に恵まれない娘たちが、幸運と開運を願ってアルク広場へ向かった。
という訳文にしてみました。
おわり☺️
みみ
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