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イランと日本の国歌の成り立ちについて調べた時のメモ

みなさんは日本の国歌がいつできたかご存知ですか?

最近、ペルシア語の勉強をしていて、イランの国歌と日本の国歌について調べる機会があったので、ここにメモしておきます。

イランの国歌
1873年、カージャール朝期のイラン。
ナーセロッディーン・シャーが新たに行進曲を作るよう命じました。初めてのヨーロッパ外遊を控え、準備をしていました。

作曲するよう命じられたのはフランス人音楽家 Alfred Jean Baptiste Lemaireです。彼は軍隊音楽の音楽家で、イランで音楽を教えるために1868年フランスから呼び寄せられました。

作られた曲は、سلام شاه Salam-e Shah という、歌詞のない楽曲でした。シャーが外遊先に到着すると、この曲が国歌の代わりに演奏されたため、ヨーロッパの人たちはこの曲を「イランの国歌」と見なしました。

その後、この曲は廃止されたり、はたまた演奏再開されたりと、紆余曲折を経験します。

2005年になって、Bijan Taraqiという詩人によって歌詞を付されたようです。
この新しいバージョンは、ايران جوان Iran-e Javan(若きイラン) あるいは نام جاوید وطن Nam-e Javid-e Vatan(祖国の永劫の名)という曲名で知られています。

王朝の興亡や革命を経て、国歌もさまざま変化し、現在は別の曲が国歌になっています。

日本の国歌

防衛省の説明によれば、「君が代」が作曲されたのは明治3年=1870年だそうです。作曲者はイギリスの軍楽家です。

「君が代」の成り立ち
 明治3年に作られた礼式曲の初代「君が代」は、イギリス陸軍軍楽隊長J. W. フェントン (John William Fenton, 1831-1890) の作曲です。初演は、明治3年9月8日、東京・越中島における天覧練兵の際に、薩摩藩楽隊による演奏とされています。
しかし、日本人の感性に合わなかったことから、明治9年に初代海軍軍楽隊長の長倉彦二(後中村祐すけ庸つねと改姓名)から「天皇陛下ヲ祝スル樂譜改訂ノ儀」と題する上申書が提出され、宮内省と改訂の方向で検討に入りました。
その結果、新たに作り直されたのが現在の国歌「君が代」です。明治13年11月3日の天長節に、宮内省式部寮雅楽課によって宮城内で初演されました。

引用元 https://www.mod.go.jp/msdf/tokyoband/gallery/download/kimigayo.html

初代「君が代」は、その曲調が当時の日本人にとって馴染みのない西洋的曲調だったためか、後に書き直されたそうです。
初代「君が代」はこちら

「君が代」が現在の形になったのは1880年だそうです。


まとめ

イランの国歌と日本の国歌の成り立ちが似ていたので興味深かったです。
同じ時代に近代化を進めていたんですね。
私の学部時代のゼミの指導教官はイラン近代史を専門にしていたので、今度お会いした時にこの話題について話してみようと思いました。

おわり☺️

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