期待
「待野さん、あなた他人に”期待”してないでしょう?」
心がどうにも落ち着かなくなった。
そんな時、オンライン診療を受け付けている心理カウンセラーがいると知って、藁にもすがる気持ちで相談をすることにした。
1ヶ月に1度、1時間。
自分の生い立ちから物事の考え方、最近起きた出来事などを詳らかに話した。
そして、4回目の診療の際、画面越しのカウンセラーは俺に上述の言葉を告げたのである。
期待。
俺の中に「期待」という感情がないわけではない。
例えば、応援している野球チームの選手にホームランを打ってほしいと願ったり、好きなアーティストに次はこういう曲を出してほしいなと願ったり。「遠くの他人」に対しての期待は、人と同じぐらいしていると思っている。
だが「近くの他人」に対してはどうだろう、と自分の人生を思い返した時、俺はカウンセラーに返す言葉がなかった。
これまでに「他人への期待」をなくしてしまうような大きな出来事があった覚えはない。
そうなると、初めからなかったのか、長い年月を経て「期待しない方が得策だ」と考えるようになったのか…
正直、そこが定かになることはないと思う。
ただ現在「期待しない方が得策だ」と考えている自分がいるのは紛れもない事実である。
「他人に期待しない人生とはなんだ」と考える人もいるだろう。
むしろそれが大多数かもしれないので、説明しておこう。
例えば後輩に対して「これやっといて」と仕事を依頼する。
家族に対して「10時に起こして」とお願いをする。
友達に対して「この作業を一緒にやろうよ」と誘う。
これらは全て「他人への期待」である。
「最低」と言われるかもしれないが、俺はこういう期待に対してまず「裏切られたら嫌だな」という予防線を張ってしまう。
後輩に対して「これやっといて」と言って、自分が思った仕上がりになっていなかったらどうしよう。
家族に対して「10時に起こして」と言って、忘れられたらどうしよう。
友達に対して「この作業を一緒にやろうよ」と誘って、ドタキャンされたらどうしよう。
恐らくこれらの「期待」は、自分を楽にする為に他人へ依頼をかけているのだろうが、俺は「他人のせいで自分がさらにしんどくなったらどうしよう」という思考が先に働いてしまう。
なので、結局自分でやる。
もしくは何かの拍子で誰かに依頼することがあって、それが自分の思った通り達成されなければ「お願いした自分が悪いと思おう」と事前に考えておく。
誤解して欲しくないのは、後輩や家族、友人が嫌いというわけではない。
これは自己分析なのだが、多分「嫌いになりたくない」のである。
期待して期待して、いざ裏切られた時に、相手がそこまで裏切りと思っていない、ちょっとした温度感のズレがあった場合、俺はとてつもなく嫌悪の感情を覚えてしまうかもしれない。
(こう分析できるということは、もしかしたら少年時代にそれに類する何かがあったのかもしれない)
だから俺は期待しない。
そんな人生になった。
ただ、俺はこの期待しない人生を「最高の自己防衛策」と考えていた。
こうやって生きることが自分にとって一番楽で、かつ他人にも迷惑をかけない。
自分の精神衛生を保つ上にやっている行動としてあまりにも自然で、そこに何の違和感も持っていなかった。
なんなら「優しさ」とすら思っていたかもしれない。
しかし心理カウンセラーはこう言った。
「それがあなたのストレスの原因かもしれませんね」
ちょっと待ってくれ。
他人に期待しないことがストレスの原因?
ストレスの原因ということは、間違った生き方ってこと?
まるで自分の生き方そのものを否定されたような、大きな衝撃が体の中を走った。
それと同時に、最善と思って人生の中で積み上げ、培っていたものを今更間違っていると言われてもどうすればいいのか分からず、呆気に取られてしまった。
言葉にして突きつけられると、否が応でも意識してしまう。
職場において、忙しくて手が回らず誰かにお願いしたいような案件があっても誰にもお願いしていない自分、とか、逆に誰かからの依頼が来たら自分は期待されているのかもしれないな、自分はこの期待を返せているだろうか、とか。
また、この「期待」という感情は、「怒り」にも通ずる部分があるなとも気づく。
誰かに対して怒って説教したり、喧嘩したりしている時、それはその怒った相手が自分の言葉によって多少なりと自分よりの人間に変わってくれる、自分の立場を理解してくれるという「期待」が発生しているのだ。
だが、俺は基本他人に対して直接怒りをぶつけることはない。
「自分が言って、言い返されて、それで終わりになったら、自分の言ってることが伝わらず、関係だけが拗れたりしたら嫌だな」という予防線からである。
他人からよく「待野さんは優しいよね」「怒ってるところ見たことない」と言われたりするが、そんなことはない。
単純に「期待していない」からなのだろう。そう思うと、これ以上に非情で非道な人間もいないな、と自分で苦笑してしまう。
心理カウンセラーに、自分の人生の歩み方における欠点を突きつけられてもうすぐ一年になる。
現在、長い年月をかけて作り出されてしまった厄介なモンスターが、自分の忘れていた「期待」という感情を取り戻すリハビリを行なっている。
でも、この文章を記している時点では、全く「期待」出来ていない。
このままでは他人だけでなく、自分にも期待出来なくなりそうである。
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