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ああ、ピンク電話


先日、スマホの電話帳を整理しようと眺めていたところ、
(きっとこの電話番号はもう使われていないだろうなぁ)と思われる番号が沢山登録されていました。
市外局番から始まる電話番号。まだ携帯電話がここまで普及する前の、友人知人の実家の番号です。
最近は家に固定電話を置かない家庭も多く、
スマホを一人一台。
電話番号も自分用。
なんだったら電話をしなくても連絡がとれるようになりました。
(ずいぶんと楽になったなぁ…)
ふと、自分が「家庭用電話機」に翻弄されていた時代があることを思い出しました。
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私が小学3〜4年生になる頃まで我が家は小さな旅館を営んでいました。
祖父の代から続く、自宅の2階に客室が5室あるだけの簡素な旅館でしたが
母が女手一つできりもりしていたのを覚えています。
小さいとは言え、一応旅館ですから、
旅館の「電話番号」がありました。
それが自宅の番号と同じ。
我が家には自宅兼旅館の電話番号と電話機が存在していたのです。
その電話がこれ!!!

ピンク電話です!

写真を見ながら描きました。

皆さんは「ピンク電話」をご存知でしょうか。
「ピンク」と名がつくと、なんだかちょっとエッチそうな響きですが、単にピンク色をしただけの公衆電話です。

40代以上の方には懐かしく思っていただけると思うのですが、
10円玉を入れて3分しゃべることができる、
ダイヤルをグールグール回してかける、
あの公衆電話。
テレホンカードは使えない。10円玉だけ。
それが我が家の電話機でした。

私はこのピンク電話が嫌で嫌でたまりませんでした。
小学校に上がる前まではそれが普通だと思っていたのですが、
だんだんと友人の家に遊びに行った時に見る「普通の自宅の電話」と我が家の電話が違うことに気づきだします。
我が家の電話、ちょっと大きくないかい?
大きくてピンクだし、10円を入れないと電話できないなんて。外で見かける電話機がなぜ家の中にあるのだろう??

そして厄介なのは、旅館と自宅でひとつの電話機を使っていたこと。

まず、電話に出る際には「はい、◯◯旅館です」と旅館名を名乗らなければなりません。
ピンク電話は1階の家族の自宅スペース(リビング)に置かれていたので、お客さんが「ちょっと電話を貸してください」と言いにきたり、お客さんに電話がかかってきたりすると、リビングに知らない人が入ってくることになり、それも落ち着かず嫌でした。
今思えば、せめて廊下にでも電話機を設置してくれてたら良かったんですけどね、昔のことですから電話線の問題とかなんやかやあってリビングに設置されていたのでしょう。

今では電話が鳴った時点で「どの番号からの電話か」がすぐわかるようになっていますよね。当時はそういうサービスもなかったので、電話が鳴った時点で誰宛の電話かさえもわからない状態でした。
だから、とりあえず電話が鳴ったら「はい!◯◯旅館です」と出ます。自宅より旅館優先です。
旅館目当てでかけてきてくれる人ならそれで問題ないのですが、
自宅にかけてきてくれた人には間違い電話だと思われる可能性もあり、それがなかなか厄介でした。

そこで私は(勝手に)

「はい!もしもし…?」と、

名乗らずに、そして少し相手に問いかけるように出る作戦をあみだしました!
名乗らないと相手から「◯◯旅館ですか?」とか「◯◯さんですか?」と聞いてくれるので、良い方法を見つけたぞと思っていたのですが、母がいる時にこの「名乗らずに出る」作戦でいくと怒られるので、これは「母がいない時限定作戦」でした。

次にこちらからかける場合です。
公衆電話は10円を入れないとつながりません。
10円で3分喋れるとはいえ、入れた金額での通話可能時間が終わりに近づくと

ヴーッ!!!

と、大きな音が鳴るので、いかにも
「公衆電話を使ってて、この電話はもうすぐ切れます」
ということが相手に伝わり恥ずかしいです。

この「ヴーッ」を阻止するため、私は「最初から10円玉を大量投入する」作戦に出ていました。
たとえ5分くらいの用事でも100円分くらい入れておく。そうしないと「ヴーッ」が来ますからね、不安です。
さらに公衆電話には秘密の小さな鍵がついてまして、それをさしておくと無料でかけられたんですよ。これも母がいない時限定で活用しておりました。

電話を切る際にも受話器をそのまま置いたら「公衆電話の受話器を置きました」と丸わかりの荒々しい音がしますので、
ゆっくりそっと、相手に受話器を置いたことも気づかれないくらいの置き方を身につけました。
ウィスパーどころじゃありません。無音を目指しておりました。

今思えば、
「私の家には公衆電話があるんだよ〜。本当は10円入れないとかけられないけど、秘密の鍵で電話できたりするんだよ〜」
と、自慢ぽく堂々と言っちゃえば良かったのですが、
あの頃はとにかくみんなと違う電話を使っていることが恥ずかしかったんですよね。

電話が鳴れば、名乗らずに出て、
かける時には10円玉を大量投入。
受話器の静かな置き方までマスターして、
私の公衆電話ライフは大騒ぎ。
何かのミッションに向かうような気持ちでピンク電話と対峙していたことを覚えています。

旅館をたたみ、
新しい「自宅だけ用の電話機」が来た時には嬉しかったです。FAXや子機もついたりして、一気にプライベート感が出てきました。
そのうち、自宅用どころじゃなく、
自分個人の電話機と電話番号。
今では薄い板を持ち歩き、ピッと押して喋るだけ。…喋りもしない時がある。
だんだん便利になって、
ミッションのようなものに挑まなくても良くなって、
今ふと、ピンク電話と格闘していたあの頃を思い出すと、
嫌な思い出どころか、
その思い出丸ごと愛おしく感じられる自分がいます。
ピンク電話だということを隠そうと必死になっていたあの頃。
何をそんなに頑張っていたのか。
ピンク電話よ、ごめん。

皆さんにも
こういう「何かを必死に頑張っていた思い出」はありますか?

今はただただ、あの頃のピンク電話が愛おしいです。



#創作大賞2023 #エッセイ部門

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