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ジェット風船の行方

昨年、父が他界した。

脳梗塞で倒れ、2年間の闘病の末のことだった。今回は父の葬儀時に起きた奇跡?についてお話ししたいと思う。

まず、この話を始める前に皆さんに知っておいてもらいたい重要なことがある。

父は「悪い男」だった。

女とお金にだらしのない、私の中ではどんな小説や映画に出てくる悪い男よりもドラマティックに悪い男で遊び人だった。周囲に迷惑をかけまくるが本人はいたって楽しそうにしていた。自分の孫と同い年の隠し子を作る。甲斐性はないのに女に店を持たせようとする。大体失敗する。困ったらすぐに逃げる。(フットワークはめちゃめちゃ軽い)

それはそれはとんでもなく悪い男だったが、謎の関西弁&九州弁のミックス語を使いこなし(出身は神戸、20代後半から九州に50年間住んでいた)愛敬だけはあったのでいつもワイワイニコニコでモテていたのも事実である。

そして大の阪神タイガースファンであった。毎年キャンプ情報からガッツリ見て「今年の阪神はやりそうな気がする。85年と同じ何かを感じる」と当たらない阪神優勝予言を繰り返し、父が勝手に始めた多国籍スナックに吉田義男(85年優勝時の阪神監督)のサインを飾って幸せそうに眺めていた。(よく巨人ファンのお客さんに怒られていた)

そんな父が亡くなりいざ葬儀である。

実は闘病中に何度か「今夜がヤマです」と言われていたので、そのたびに必死に葬儀社を探し、いざ本当に亡くなった時には良い葬儀社を見つけていた。「お葬式」というよりも「お別れパーティー」のようにしてくれるという。故人が好きだったもので会場を飾りつけ好きな曲を流し、棺を置いたカフェのような雰囲気の中で軽食やお酒や会話を楽しむ。

父が好きなもの。それは阪神タイガース。私は自分が持っているすべての阪神グッズを持って式場に走った。義妹はツタヤで「六甲おろし全集」という、いろんな曲調の六甲おろしが入っているアルバムを借りてきてくれた。

CDをかけてみる。まずは普通の六甲おろし。次はヘヴィメタルバージョンの六甲おろし。次は演歌バージョン。こんな調子で10通りの六甲おろしが流れた。ご機嫌である。通夜の場に六甲おろし。なかなかロックだ。

このお別れパーティーは「翌朝まで好きな時間に来て好きな時間に帰ってください」というフリータイム制。我が家のようにお店を経営しているとこのフリータイムスタイルはなかなか有り難く、本当に翌朝までいろんな方がお別れをしにきてくれた。飲んで笑って泣いて。私たち家族の知らなかった父の性豪伝説を聞いて。(うすうす知ってることもあったけど改めて聞くとまた酷かった)

深夜になり、酔って号泣している甥っ子が「20歳になったら一緒に飲むって約束だったじゃないか!なんで死んだんだよ!飲もう!よし、今一緒に飲もう!」と棺の父にビールをかけた。その時は「そんなことしちゃダメよ、でもよかったね、一緒に飲めて良かったね」なんて優しく甥っ子を宥めながら父にかかったビールを拭いたのだが、翌朝父を見てみんな腰が抜けそうなほど驚いた。

ニッコリ口を開けて笑っているのだ。ビールで口元が潤ったのだろう。もしくは余程ビールが美味しかったのか。

遊び人の父が闘病中は(誤嚥を防ぐため)好きなものも食べられない、飲めない、どこにも行けない。相当辛かったと思う。久しぶりにビールを飲んで本当に幸せそうな笑顔に見えた。

父が笑っているだけで私たち家族も嬉しくなり、酔いと疲れから変なテンションだったのだと思う。出棺の時にジェット風船を飛ばそうかという話になった。阪神ファンならおなじみの7回と勝利の瞬間に飛ばす、あのジェット風船だ。ちょっとした冗談のつもりだったが葬儀社さんも「我々も出棺の時にジェット風船を飛ばすのは初めてですので楽しみです。でも外では何かと危ないので室内でお願いします」とこの計画に乗ってくれた。

いざ出棺の時。

お花と阪神グッズに囲まれた笑顔の父を親族全員で囲み、六甲おろしを強めに流した。

ジェット風船を飛ばす役目は我が息子だ。(孫の中でも1番年下で父から溺愛されていた)緊張の面持ちで風船の口の部分をギュッと握っている。六甲おろしが間奏に入った時「それ!今だ!」と息子に合図を送ると風船はピューッと高く舞い上がった。すごい勢いで天井にぶつかり、萎みながら右に左に揺れ落ちてきた。時間にすると2秒くらいの出来事だったと思うが、風船が舞い上がり落ちてくる様は親族一同にスローモーションで見えていたはずだ。みんな口を開けて目で風船を追う。

風船は棺の中の父の股間の上にストンと落ちた。


「命中や」と誰かが言った。


ジェット風船を放った息子は股間命中に大喜び。みんな笑顔で「おーっ」と盛り上がって拍手をした。「出棺です!」の声で、萎んだジェット風船を股間に乗せたまま父は笑顔で旅立っていった。

賛否あるとは思うが私たち家族はあの笑顔とジェット風船に救われた。父の遊び人人生の集大成であったように思う。

ただ、今思い出しながらこれを書いていて気づいた。

やっぱり寂しい。私は父に憧れていたのかもしれない。

#キナリ杯



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