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妄想交換条件を忘れない


外出時に腹痛でピンチの時、
(腹痛の神様!この痛みから解放されるなら、トイレに間に合うなら5000円までなら払います!)とか
(もう暴飲暴食は絶対にしません!)とか
自分の中で勝手な交換条件を出してお願いすることってないですか?
必死で。死に物狂いで。
何かしらのピンチのたびに脳内でお願いしまくる事を私の中でこう呼んでいます。
「妄想交換条件」と。

そして、その勝手な妄想交換条件提示でもどうにもならない時には
「古代ギリシャの哲学者・エピクロスの快楽主義について考えてみようか」というところまでいきます。
「快楽主義」と聞くと、欲に任せてやりたい放題なイメージがありますが、
エピクロスの快楽主義はその逆。
「刹那的な快楽をできるだけ避けて、痛みを回避すること」こそを快楽としています。
パッと浮かぶのはアルコール。
飲んでいる時はおいしいけど、二日酔いの地獄が待っている。それならばおいしいお酒を我慢して翌日の快楽(痛みがないこと)を選ぼうと。恋もお金も欲という欲全部、一時の快楽を求めて楽しみ過ぎると後がこわい。
若い頃はそれでも良かったのですが、最近は苦痛を避けることの方が、
痛みがない方が幸せな気がしてきました。

痛みや心配事があるうちはエピクロスまで引っ張り出してきて、快楽主義とはなんぞやということまで考えるというのに、
痛みが消えるとあら不思議。
すぐに忘れてしまいます。

あんなに誓った「もう暴飲暴食しません」や「ワガママ言いません」も。
痛みの最中にいる間はやらないと決めたことを
忘れるとすぐにやっちゃう。
意志が弱いのか、忘れて楽しんで後悔するの繰り返し。情けない。

ふと、世の中の大きな事もそうじゃないかなと。
そのただなかにいて、
「こういうことを2度と起こさないように」と心に誓うのに。

何十年も経って、経験者がいなくなったり、
辛かったことを忘れたりして、
またその時の欲で繰り返してしまうことがあります。
「あなたが無事でいてくれたらそれでいい」と願った日のことさえ忘れて、足りないことを求め続ける。
個人単位の小さな不摂生や痛みや誓いさえ忘れるのだから、
多くの人の心やその中にある欲の前では難しいこともあるかもしれません。
それでも思い出すことや忘れないようにすることはできます。

妄想交換条件を神様に提示している時の
あの時のピンチさに対する必死さを
忘れないだけでも。
私が未来のためにできることです。


#未来のためにできること

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