見出し画像

ヴィエニャフスキ兄弟とショパン

バイオリンを弾く方であれば絶対にやるだろう、ヘンリク・ヴィエニャフスキのスケルツォ・タランテラop.16の伴奏を絶賛練習中。

この曲、ずーーーっと前に五嶋龍君がJR東日本のCMで弾いてて、その当時中学か高校だったかの自分は、すっかりこの曲にハマってCMに出てきた曲のタイトルをガン見してメモってCDを即買いに行ったことをよく覚えてます。その時に買ったCDがyoutubeにあったのでペタリ。

今はなんでもここにありますね・・・他の録音を聴くと平均4分30秒あたりなのに、この人は4分18秒。そしてハイフェッツは4分5秒笑。でも焦ったりとか速く聴こえない素晴らしさがあり、改めて感動。だけどこれに合わせるピアニストはもっと凄いなと自分で弾いてわかる大変さ・・・いや、ようは速さじゃなくてどうこの曲の良さを伝えられるかです!

ヴィエニャフスキってそもそも?

ダレ?どこの国の人?いつ時代?なんかショパンの雰囲気と似てるんだが・・・と弾いていて疑問になって集中できなくなり、普段ピアノのレパートリーでない作曲家には全く興味ないので、これは良いチャンスと思い調べてみました。
ヘンリク・ヴィエニャフスキ(1835年~1880年)、ポーランド人(現ロシア・ルブリン出身)、たった44年の短い生涯でした。ポーランド人。やっぱり!!ショパン(1810年~1849年)と少しかぶっているし、あのロマン派の作曲家たちが勢ぞろいしている渦中に活躍していたので、曲調が似ていて当然だったのですね。そしてさらに調べていたら、横山幸雄さんのページにこんな解説が・・・

ほとんどヴァイオリン曲しか書かず、祖国ポーランドの舞曲マズルカやポロネーズのリズムを曲に取り入れたことから、同じポーランド出身のショパンと並び称され「ヴァイオリンのショパン」と言われます。横山さんも若いときのショパンに作風が似ていると感じるそうですよ。

そんなこと知らずに曲だけ弾いてショパンを感じ取った自分がキモすぎて引いた。


曲と関係ないですが、ちょっと興味深かったのは父親の代からユダヤ教からカトリックへ改宗という部分。そんなこともあるんですね。個人的な勝手なイメージですが、ユダヤ人の生徒さんも何人か教えたことがあり、その家族らを見ているとユダヤの結束って固いような気がしたので、改宗するということに少し驚きました。
ヘンリクには弟ユゼフがいて、当時のヨーロッパでずば抜けた演奏家の一人であったようです。この弟についてはのちほど。
ヘンリクは8歳でパリ音楽院に入学(!)、13歳ですでに独立した演奏家として(!!)ヨーロッパ各地を回っていた天才バイオリニスト。ヨーロッパにとどまらずアメリカにも行っていたので、もし44歳以上生きていたら日本へも来ていたかもしれないですね!!!
現在でもヘンリクの作った曲は多くのバイオリニストに演奏されたり、ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリン・コンクールもあってその曲を耳にすることが多いです。が、次で紹介する弟ユゼフの曲はというと・・・?

弟ユゼフとショパン

弟のユゼフ・ヴィエニャフスキ(1837年~1912年)もピアニスト・作曲家として活躍し、兄と共演することもあるくらい兄弟共に音楽に優れ、ユゼフは当時のヨーロッパ最高の音楽家の一人とも言われていたそう。(知らなかった~~)今ではその名すら耳にすることがないのが残念ですね。なぜでしょう。難しすぎるのかな?でも、沢山の曲を残し、ショパンと同じようなタイトルの曲(舟歌、バラード、子守歌など)もあるので興味がわきました。
10歳~13歳までパリ音楽院で勉強し(また若い!!)、奨学金を得て18歳の時にフランツ・リストに師事(スゲーー!!涙)、19歳~21歳まで兄ヘンリクと演奏会をしていたが、その後ソロでヴィルトゥオーゾとして独立。ちなみに、このスケルツォ・タランテラは1855年に作曲されており、丁度ユゼフがリストに師事していた時期です。リストは後世にショパンを伝えるため、生徒に弾かせていたということもあったりしていたので、弟ユゼフが弾いているショパンのタランテラを聴いて、兄ヘンリクがインスピレーションを得て作曲・・・なんてこともあったかもしれませんね。
しかしまぁユゼフ本人が共演したという奏者が、サラサーテ、ビュータン、イザイ、ヨーゼフ・ヨアヒム、パデレフスキ、などなど目ん玉飛び出るほど豪華なメンツ!
それもそのはず、ショパンの練習曲全曲を初めて公開演奏したのがこのユゼフ・ヴィエニャフスキであるとリストが言ったほどのピアニストであり、本人もショパンを得意としていたのでしょう、パリ、ロンドン、コペンハーゲン、ストックホルム、ブリュッセル、ライプツィヒ、アムステルダムにてショパン・リサイタルを開いています。ショパンとは実際に会っていないでしょうが、もしかしたらこれだけ才能があって幼少期から才能のあるポーランド人としてパリにいたなら、ポーランド人の集会などでショパンの慈善演奏会などをヘンリクやユゼフは聴いていたかもしれませんね。

最後にこの曲で好きなところ

この曲は激しいイタリアの踊りであるタランテラをモチーフにしたト短調の早い流れで始まり、途中で急にト長調の穏やかな流れに変わり、その先にカンタービレの指示でものすごくきれいなニ長調のメロディーで書かれた部分があります。ここが好きです。

画像1

歌でいうザ・サビであり、好きになって当たり前な部分なのですが、このメロディーを作れるってやっぱり凄いです。そしてショパンを彷彿とさせるベルカント的な抒情性あるメロディー・・・どこか悲しい感じを作り出すのって、ポーランド人しかできない気がしてきました。
この曲の他の部分があまりにも技巧的な感じなので、なぜこのメロディーが突然ここにやってくるのかも結構不思議なのですが、逆に効果絶大になっています。ちなみにこの部分、譜面ヅラは簡単なのにテンポはめっちゃ速くてムズイ。一番綺麗なのに崩壊の危険をはらむという・・・

ショパンが大好きオタクというのは周りに公言していますが、ショパンだけを知っているのでは実は本当にショパンを知っていることにならない、と最近気が付きました。ショパンが影響を受けた人、ショパンを支えた人、ショパンと付き合いがあった人、ショパンが影響を与えた人など、ショパンに関わった人物たちを見ていくことにもとても面白みを感じています。きっとそこからショパンという人間が新たに見えるからでしょう。視点を変えるって大事ですね。
今日も音楽とショパンを通じて新たな発見があって嬉しいな~

最後まで個人的なリサーチにおつきあい頂きありがとうございました!

参考リンク


皆様のサポートは、より楽しんで頂けるよう画材費や取材費、そして今後の活動費として大事に活用させて頂きます!