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書き殴り読書感想文

六月のくせに暑すぎる。まだまともに梅雨も迎えてないシャバ僧のくせにふざけている。先週の水曜日は昼すぎにおばあちゃんと映画を観に行く予定だったが、ランチがてら入った喫茶店でだらだらと涼んでいるうちに「今日はもう家でゆっくりしようか」という話になり、そのまま帰ってきてしまった。二階のおじいちゃんの部屋で友達と一時間ほど電話をし昼寝をした後、お互いに黙々と読書をして穏やかな夕方を過ごした。夜は僕の大好物であるチキンライスを食べた。おばあちゃんが作るそれは尋常じゃないほど油ギトギトで味が濃く、昔から大好きな料理である。ここ最近のおばあちゃんはおじいちゃんの介護でそれどころではなかったので、久しぶりに食べれて良かった。ちなみにこの日の最高気温は33度だった。京都はやはりレベチである。

以前どこかの記事で「だ・である調はどこか偉そうな感じがするので自分ではもう書かない」と宣言したのだが、前言撤回したい。だ・である調の方が圧倒的に筆が走るし、そのスピード感ゆえにあまり人目を気にせずに気持ちを文章へ落とし込めるからだ。ただ、noteという場で文章を書くからには読み手を意識して当然だし、ですます調の自分の方が一つ一つの言葉を大事にできている気もするから悩ましい。

あと、なぜ「だ・である調」が偉そうに感じるのかについてだが、腑に落ちる答えに自分で辿り着けた。まず小説というのは基本的にですます調ではなく、だ・である調で書かれている。それを作家でもない自分なんかが取り扱うことへの恥ずかしさ、あとは書いた文章を通して自分が影響を受けている人の正体が丸わかりになってしまうのではないかという恐怖なんかをひっくるめて「偉そう」という感情になっていた気がする。ただ、だ・である調が作家の専売特許というわけでもないし、こんなほぼ日記同然のnoteも文章を書いて世に公開しているという点でいえば一応は作品なので、これからは堂々と、思うがままに書いていこうと思う。

まあ何事も欠点はつきものなので、今後は書きたい内容によって2つを使い分けていきたい。文章でも音楽でもなんでもそうだが、キモければキモいほど自己表現が素直にできている証とも考えられる。そのうえで今回はだ・である調を使っていく。


今、僕のもとには空前の読書ブームが来ている。これまでの22年間を振り返ってもおそらく一番の盛り上がりだ。少し前までは暇でも暇じゃなくてもスマホ人間だったのに、今は時間があれば本を読んでいるし読書が一切苦痛に感じない。

きっかけは『成瀬は天下を取りに行く』で間違いないと思う。久しぶりに「やばいページをめくる手が止まらん」状態を味わわせてくれた、僕の大学生活における分岐点ともいえる読書体験だった。続編の『成瀬は信じた道をいく』も読みやすさと痛快さが凄かったので、早くも三作目が待ち遠しい。その少し後に読んだ『アフターダーク』や『明け方の若者たち』という積読歴2年目を超えていた選手たちのおかげで、読書熱はさらに高まっていった。友達に貸してもらった『鳥肌が』というエッセイ集もすごく面白かった。

次に読んだのが『女のいない男たち』だった。これまた村上春樹さんなのだが、今度は短編集である。そしてこれがひじょーに良かった。内蔵されている6つの物語には、タイトルの通り「女のいない男」に焦点が当てられているという共通点がある。僕のお気に入りは『イエスタデイ』と『シェエラザード』と『木野』だ。6分の3をおすすめに挙げてどうするんだとも思うが、そのくらいどれも面白かったのだなと理解してほしい。

もともと数年前に『ドライブ・マイ・カー』という映画を観てひどく感動し原作に興味を持ったのですぐこの本を買ったのだが、当時はさして読書に身が入っておらず、この『ドライブ・マイ・カー』だけを読んで放置していた。ところで、この映画の監督である濱口竜介さんの最新作という情報だけで観ることを決めた『悪は存在しない』も本当に良かった。この監督は登場人物たちの車内における会話のシーンをすごく印象的に撮るので癖になる。おかげで、他の監督の映画でもドライブ中のやり取りになにかと注目するようになってしまった。

話が映画に逸れてしまったが、とにかくこの『女のいない男たち』を経て「村上春樹おもしれえええええ」というスイッチが入った。これまで僕の脳内には「文章が堅くて難しそう」とか「ハルキスト(村上春樹愛読者を指す)なんて単語があるくらいだから思想が強そう」といった偏見が高くそびえたっていた。だから興味なんてまるで無かったし、なんなら敬遠していたし、多分そこからのギャップのせいで感情がすごい事になっている。とはいえ「不良がちょっと良い事をしただけで評価が爆上がり現象」みたいなものかもしれないぞ、という謎の警戒も同時にしていた。


そしてついに昨日、『スプートニクの恋人』を読み終えた。

これは本当にすごい小説だった。これまで1番好きな小説は『塩狩峠』一択だったが、正直入れ替わったかもしれない。僕の大好きな言葉を使うならまぎれもない「運命」を感じたし、この本を通して「あ~村上春樹の文章、すごく好きや」と心から思った。

まず初めの見開き半ページからしてもう圧倒的だった。少し前にこの部分がTwitterでバズっていたので完全なる初見ではなかったのだが、それでも余りある衝撃がそこにはあった。「22歳の春にすみれは生まれて初めて恋に落ちた。」、この一行目である。まさに今の僕なのだ。人生において22歳の春は後にも先にも今しかないのに、今このタイミングでこの本と出会えてしまったのだ。これまで人並みには本も読んできたしなんとなく好きな作家はいたが、『女のいない男たち』によって「あっ、春樹のこと好きかも、、」なんてうっすら感じながら開いた小説の冒頭がこれだったのだ。もうメロすぎる。

他にもメロポイント改め運命を感じた部分はある。例えば、すみれは恋をした17歳年上のミュウという女性から「自分の仕事を手伝ってくれないか」と相談される。すみれはこれを承諾しそこから物語が加速するのだが、その誘いの決め手の一つになったのが、僕の大学の専攻科目である「スペイン語」なのだ。すみれはメキシコに住む叔父の家に滞在したり、大学でスペイン語を勉強した経験からある程度は話せるようになっており、日本とヨーロッパの間でワインの取引をやっているミュウの目にはそんな彼女が魅力的に映ったのだ。

僕にはメキシコに住む叔父なんていないが、これと似たような誘いを受けたことならある。スペイン留学の終盤、一番お世話になった日本人の方から「良かったら帰国後にワインの個人的な輸入をしませんか?」と言われたのだ。スペインから届けた安くて美味いワインを神戸の飲食店に売り込み、その差額が自分の報酬になるという流れである。まあその人もあくまで構想段階だったしお互いにワインをがばがば飲んでいる中で一瞬喋っただけのことなので、この話が現実になることはなかった。でももし今改めて本気で誘われたら、「やりたいです」と返事をすると思う。それくらいお世話になった人だったし、夢のある話だった。

こんな具合に、僕とすみれには共通点がいくつもある。ここまでくると運命を感じない方が難しい気がする。僕がちょろいだけなのかもしれないが。


この『スプートニクの恋人』は読書という体験の素晴らしさを最大限に教えてくれる。読書とは、現実世界の自分を別の場所へ移動させる行為なのだ。物語の内容がまさにそういうテーマだったからかもしれないが、僕は読んでいる間この世界にのめり込んでいた。現実を半ば置き去りにして、圧倒的な没入感を感じながら夢中になってページをめくっていた。暇さえあれば続きが読みたくてうずうずしていた。幼い頃の読書とは自然とそういうものだったのだが、今の僕にとってスマホのような誘惑や現実で抱えている問題を手放しにできてしまうほど意識を強引に引きずり込んでくれる、まるで起きたまま夢を見せてくれるような本というのはなかなか出会えない。だからこそ、僕は今とてつもなく興奮しているのだ。まさしくそんな本に出会ってしまったのだ。です・ます調でちんたら書いていたら、この熱を逃してしまうのだ。

とにもかくにも、村上春樹さんの文章は異常なほど読みやすい。そして情景描写が恐ろしく上手い。ただ使っている表現が簡単とか、描写がすごく細かいとかそういう話ではなく、なにかこう物事に対する目の付け所がすごいのだ。作中の動作ひとつ、もしくは部屋の家具ひとつ取っても、どの角度のどういった質感の情報があれば読み手がそれに対して解像度マシマシで想像できるかを突き詰めているのだ。

やはり自分も文章を書いているのでどうすればもっと読みやすい文章にできるかというのは常に考えているが、これはちょっと真似してどうこうの次元ではない気がする。この人の目には世界がどう見えているのか本気で知りたい。どんな経験をしてこの境地に辿り着いたのか。感謝の正拳突きを一日1万回とか??コムギ、いるか??

「村上春樹は官能小説みたいでなんか嫌や」と友達に言われたのだが果たしてこれは官能小説なのかなあと思ってしまう。自分も昔はネットの情報から似たような偏見を持っていたので彼の気持ちはまあ分かるし、確かに性に関する文脈は他の作家より明らかに多い気がする。ただ、それがメインで書きたいというよりは、人間賛歌を描くうえでやはり「好き」という感情は外せないから書いている、ただそれだけな気がするのだ。だから読んでいて「うわあえっちだなあ」と思うことはあっても、「うわあ下品だなあ」と思うことは今のところは無い。


とにかく卒論のテーマ候補がまた増えてしまった。もういい加減、いい加減にしてほしい。ただまあ卒論で取り扱うかどうかは抜きにしても彼の本をもっと読みたい。次は超代表作『海辺のカフカ』かこの前友達に勧められた『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のどちらかの予定だ。

久しぶりに書けたからスッキリしたであるですます。

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