12/14ニワトリを締めて、イニシエーションを感じたり、いろいろ感じたことについて

※締めている途中の画像はありません

きっかけは、
福岡のいとしまシェアハウスで
ニワトリを触ったことだった。

ニワトリって
ふわふわしてて
あったかくて、
「生」を感じられた。

(8/24の日記から)

ニワトリを締めるまでの経緯

今まで食べてきたお肉は、
誰かが殺してくれたから
今私の目の前にあるんだよな~と
8月ころぼんやりと考えていた。

私は、一番見たくない部分を
見てない
と思った。

だから、まずは
動物→食べ物になる瞬間
自分の手の届く範囲で
やってみたい
と思った。

きっと一番の目的は、
自分が食べるものに
責任を負うこと。

その初めの一歩目が、
自分の手で食べるために
動物を殺すこと
だった。

「食べる」って生きるために必要なことだし、
原始的な行為だよねって話してくれた人がいて
本当にそうだよなと思った。

生き延びる上で
悪・醜の部分はあってあたりまえで
そういう生き物の根っこにある
原始人と変わらない部分

実感したいと思った。

無意識に
「いい人」でいようとする自分がいたけど、
そんな表面的な「優しさ」しか持っていなくて
自分は浅いと思った。

もっと根っこの部分を見なきゃと思った。

準備期間

10月に
宮崎から千葉県に帰ってきた翌日
メイカーズのイベント行って
すごく元気が出て
やってみようって気持ちになって、

11月は、
ゲージ飼いや平飼いの養鶏場や
食育に力を入れてる農家さんに
会いに行ったりして

年内には、
飼っているネコと同じくらい
ふわふわしててかわいいと思ったニワトリ

何人かで集まって締めようと思ってた。

当日

ワークショップという形で
みんなで締めて、調理して、食べて、学ぶ
という形にしたかったんだけど、
当日の朝から色々とハプニング続きでした…

それでも一緒にやってくれた
高室さんには本当に本当に感謝です。

画像1


当日ニワトリを苦しませずに
締めるためにも
動画をみて勉強していたのだけど、

ナイフを入れられる瞬間
目をぎゅっとつむって
苦しそうな表情をしている
ニワトリをみてすごくつらかったし
最初は泣きながらみていた。

なんでわざわざ
自分でやるんだろう
と思った。

それでもやらなきゃと思ったのは、
やっぱり卵を産んでくれるニワトリが
ぎゅうぎゅうのゲージの中で一生を過ごして
2年ほどたったら捨てられてしまうことや

食用のニワトリがぶくぶく太らされて
自分の体重を支えきれなくて足が折れてしまって
身動きが取れなくてそのまま死んでしまうことや

羽をむしる手間を省くために
羽なしのニワトリが開発されていることとか

そういう事実を知っちゃって、
それになんか違和感を感じて
これから無視して生きていけないなと
思ったから
だと思う。

実際にやってみて感じたこと

さっきまで動いてたのに、
こんなに簡単に死んじゃうんだなと思った。
あっけなかった。

食べるために動物を殺すことを
とてつもなく重いことだと捉えていたけど、
それが自分の手の届く範囲で起こると
想像以上にすっと現実として受け入れられた。


「生き残った自分」を感じた

私は生きているけど、
あの子はもう死んじゃったんだなって
「生き残った自分」を感じた。

ニワトリを締めた夜の日記

大げさかもしれないけど、
本当にそう思った。


イニシエーション(通過儀礼)的だった


お世話になった、
すてきだなと思った人づてに
出会ったすてきな人が育てた動物を
自分の手で殺して、

親にもちょっと食べてもらって
(気持ち悪がってあんまり
食べてくれなかったけど笑)

何日か経ってから
「あ、私大人にならなきゃ」
と感覚的に思った。

※イニシエーション(通過儀礼)
簡単に言えば大人になるための儀式。
現代の日本ではほぼ失われた伝統だと思う。

岡本太郎がイニシエーションに関して
書いていて、共感したのでちょっと引用。

イニシエーションがないということは
人間存在にとって致命的に空しいのだ。

だらだらっと、
いわゆる「大人」の世界に流れ込んでしまう。


今日の大人は
ほんとうの大人といえるのだろうか。

生きるということが、
どんなに鮮烈に痛くて、
辛くて、きびしいものか、
そして、それをのり超える。

その実感がない。
考えもしない。

『美の呪術』から

「ほんとうの大人」が何なのか
まだよくわからないけど、
少なくとももう私は
無責任に大人を批判できる立場ではなくて、

ひとりの大人として
自分事としてなにかに
取り組んでいかなきゃいけない。

自分にも社会にも責任をもって
生きていかなきゃなと今考えている。

食べた感想

いろいろとまじめに書いてきたけど、気になる味はというと・・・

内臓がすごくおいしかった!
レバーはあんまりすきじゃないんだけど、
あれはおいしかった!!

砂肝もすっごくおいしかったし、
心臓を食べてるときはドキドキした!
「うわ~…う~」って思いながら
緊張感を感じながら食べた!

卵肉兼用の岡崎おうはんを
平飼いで育てている自然栽培農家さんから
もらったのだけど、

お肉は、
ふだん動き回っていることもあって
筋肉が付いていて結構硬かった。

モモ肉よりも胸肉のほうがやわらかかった!

お肉を食べてるときは、
罪悪感というか抵抗感というか
イヤな感じではないけど、
何とも言えない感じだった!

心の中で
ごめんねとありがとうを
何度も言いながら食べた。

こんなふうに
食べものを食べたのは初めてだった。

これからについて

「何が善なのか」
「何が悪なのか」
「根本的ってどういうことなのか」
とかもやもやしてたのだけど、

「絶対的なもの」なんてないことに
今さら気付いて
バランスが大事なことも学んで、

どんな選択も
「逃げ」とか「妥協」という言葉で解釈せずに
もっと前向きに自分の選択を評価しようと思った。

お世話になった人たち

いつも私の背中を知らず知らずのうちに押してくれる夏菜、宮崎に行くきっかけをくれたそいさん、いとしまシェアハウスを紹介してくれた、少女みたいなよーなさん、プラカードを掲げられずにいた私に声をかけてくれた加藤さん、宮崎から福岡まで車に乗せて、家にまで泊めてくれた睦美さん一家、いとしまシェアハウスでいっぱい話してくれて本当に感謝してるし、また会いたいがんちゃん、シェアハウス帰った後も連絡取らせてもらった浩一さん、本を読んで私もニワトリ締めようと思わせてくれた千春さん、たくさん話してくれて、ニワトリもいただいた棚原さん、一緒にやりたいと声をかけてくれた青木さん、丸一日一緒にやってくれた高室さん

他にも私がやろうとしていることを
興味を持って聞いてくれたり、
相談に乗ってくれる人がいたり、
私もその人のことを応援したいなと思えたり、

振り返ってみると想像以上に
多くの人のお世話になっていた
2019年後半でした。

手紙を書かなきゃと
思っている人も多いので、
また卒論が終わり次第
ゆっくり書けたらと思っています。

それではまた!よい年始を!


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