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初めての養鶏場@千葉県野田市

ファミマのファミチキ
ローソンのからあげくん
セブンのから揚げ棒サラダチキン

私たちの日常には、
ニワトリ無くてはならない存在になった。

2か月前初めて
生きているニワトリを触った。

ふわふわしてて気持ちよくって、
あの感触が忘れられなかった。

だから、養鶏場に行くことにした。

自分が何を感じるのか、
そこから何を考えられるか知りたかった。

なので今回は、
実際に養鶏場に行ったからこそわかったこと
項目ごとに書いていこうと思う。

気になった部分だけ読んでみてほしい。


1. 排卵鶏の数は、
日本人の人口を越えた。

※排卵鶏:卵を産む鶏(以下、卵用の鶏)

かつての日本では、農家の庭先に鶏を遊ばせて、
産んだ卵は自宅用や販売に向けていた。

文字通りニワトリ庭のトリとして飼われ、
卵を産んでいたのだ。

だが高度経済成長期以降、
状況は一変した。

1965年には、
一つの農家に平均して
27羽程度の鶏が飼われていたが、

約50年後の2016年には、
平均約55,000羽が大規模な養鶏場で
育てられていた。

そして、
一つ当たりの養鶏場が飼う鶏の数が
増えただけでなく、その母数も増えた。

1965年の養鶏場の数は、
324万戸

2016年の養鶏場の数は、
2,500戸

このデータを、
それぞれの年数の鶏の数と照らし合わせると、
1960年代は、9,700万羽
2016年は、1億4,000万羽

になる。

したがって、
今の日本の卵を産む鶏の数は、
約60年前よりも5,000万羽多い

養鶏数


こんな数値で言われても
イメージできなくて当然だろう。

5,000万という数字は、
日本の人口:約1億2,600万人
(2019年10月1日現在)の約4割だ。

ということは、
約60年で日本の排卵鶏は、
日本人の4割の数増えた
ということだ。
(例えがわかりにくいかもしれない…)


ちなみに、
私が訪問した千葉県野田の養鶏場も
20,000羽の鶏をケージ飼いしていた。


2. 日本の鶏は、
どうしてこんなに増えたのか??

60年でこんなにも鶏の数が増えるのは、
不自然
ですよね。その原因は、なんですか?」
と農家さんに聞くと、

国の政策

という答えが返ってきた。

日本がアメリカに工業製品を輸出する代わりに、
穀物を輸入するという契約が結ばれた。

図にするとこんな感じだ。

日本アメリカ貿易


したがって日本政府は、
穀物を国内でさばかなければならない。

だから、畜産を奨励した。

だけど、
これによって利益を得られるのは、
農協などの商社であって農家ではない。

直接的に私たちの食卓を支えてくれているのは、
農家の人たちなのにその人たちは
ギリギリでやっている。


「できるだけ安く売って、
儲けは再生産できる程度でいい。」

とおっしゃっていた。

でも、それって現状維持だ。
もっと誇れる仕事なのに…

どうして農家の人たちの苦労を知る機会は
こんなにも少ないんだろうともどかしくなった。


3.生後70日の鶏は、500円

野田の養鶏場では、
一度に4,000羽のニワトリを購入するらしい。

その値段は、生後70日で500円
4,000羽で200万円…

私は、
その値段が高いのか安いのか
よくわからなかった。

でも、
命が商品として流通していること
改めて実感した。

これは、鶏だけの話でなくて
牛だって豚だって魚だってそうだ。

もう当たり前のことなんだけど、
そういう当たり前すぎることを
疑うと現実がちょっと怖くなる。

ステーキをほおばるテレビのレポーターとか
回転ずしを滑稽に感じる。


4.卵用の鶏は、食べられ・・・

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ニワトリ解体ワークショップ用の鶏を
購入したかった私は、卵用の鶏は
本当のところ食べられるのか気になっていた。

その答えは・・・
卵用の鶏は食べられるけど、
もも肉は「歯が折れるくらい硬い」
らしい…

だから、から揚げとかにはしない方がよくて、
シチューなどの煮込み料理に使うとよいということ。

ちなみに卵用の鶏は、
肉用の鶏よりも旨みが強く
ラーメンのスープに使われることもあるそうだ。

5.農家さん「自分の健康は、
自分で考えて・・・」


今まで私は値段というフィルターを通してしか
食べ物を見ること
ができていなかった。
多くの人がそうなんじゃないかと思う。

だからこそ、
生産者の人は私のような一般的な消費者に
伝えたいことを聞いてみた。

そうしたら、単純に
「自分の健康くらいは自分で考えて、
自分で選んでほしい」
とおっしゃっていた。

スーパーで目玉商品になるのは、
いつもより「安い」商品だし、

本当に安心安全の商品よりも
大手メーカーの「良さそう」な商品を手に取る。

これが普通だと思うし、私もそうだ。
真実なんて見なくてもなんとなく生きていける。

でも、
私は他の生物の命とか多くの人の苦労がつまった
食べ物を食べている
わけで、

私の命って私だけの命じゃなくて
いろんなものがつまっているんだな
と思ったら
ちょっとだけ明日も生きていこうと思う糧
になった。

だから日常の食事
平べったいものじゃなくて、
その奥行きが見えた
ほうが
「明日も生きていこう」と思えるんじゃないかと
私は考えている。

精神的にも身体的にも良いものを食べれば、
人間は幸福度が上がるんじゃないか。

「食べる」ってほんとうに
生きる土台じゃないかなーと思い始めた。

まだまだ養鶏場見学は続きます...
私は、私は本当にニワトリの道に
進みたいのかな~と
自分の気持ちを確かめるために
今動いております…

12月中旬の土日に行う
ニワトリ解体ワークショップも
大人の方の参加者を募集していますので、
気になった方はTwitterのDMから
お気軽にメッセージください~

では!


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