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短編小説『私はネコ』

今日はネコの日だったと聞いたので、取り急ぎ、体裁だけ整えて。
未完成のような気がするので、今後、訂正することがあるかもしれません。
冗談のつもりで楽しんでもらえたら幸いです。


『私はネコ』


 うちには、人間が一人いる。
 始終、泣いたり笑ったり、忙しない生き物だ。
 しかし、いつも私の食事の面倒など見てくれて、悪い奴ではないようだ。
 冷たい窓際でうっかりうたた寝をしてしまい、どうにも腹の調子が優れないのでぐったりしている時などは、体を優しくさすってくれた。その後、彼は私を車に乗せ、鼻持ちならない、おかしな匂いのする白い服を着た人間のところへ連れていった。そして、変な味のするものを食べさせられたので、私もどうにも我慢ならないとその白い服の人間を引っ掻いてやった。 

 そのことでうちの人間はおろおろと動揺していたが、こういう時は、毅然としているに限るのだと、彼に教えてやらなくてはいけない。しかし、それから不思議に腹の調子が良くなったので、結果が良ければよしとしよう。
 

 あるときは、うちの人間はひどく落ち込んでいるふうだった。もしかして腹が減っているのかと、いつもの恩を返してやろうと張り切って、久しぶりにネズミ狩りでもしてみるかと伸びをしていると、人間の方が寄ってきて、私を撫でまわし始めた。

 ネズミ狩りの予定が崩れたのは不満だったが、彼が熱心に撫でるので、黙って撫でられてやることにした。


 とにかく彼は忙しい人間だ。人間というのはどれもそんなものだが。
 毎日、食事にありつき、水を飲めるのなら、万々歳で、その上、日向でまどろんだり、たまに知り合いに挨拶できるのならば、それ以上のことなどなにを望むのだろうと不思議だけれど、彼らは、すでに終わったことや、まだありもしないことを喜んだり、恐れたりして、大騒ぎしているようだ。

 どうにも理解の及ばない生き物だと思うが、我々も、ふわふわと宙を舞う美しい色の羽根や、壁をフラフラと彷徨うピカピカした光を見ると、どうにも手足がむずむずして、追いかけてしまわなければ仕方なくなるように、人間も似たようなものに悩まされているんだろう。

 十分に分別のついたネコというのは、そうやって正体のないものを、子ネコのように躍起になって追いかけるのもほどほどにしているものだが、うちの人間はまだ少し子ネコ気分が抜けきらないようで、訳のわからないことにいちいち必死になっているようだ。
 それは私が面倒をみてやらなければと思う。けれども、彼がたまに思いついて私に与えてくれる、転がすとおやつの出てくるボールや、勝手にくるくると奇妙な音をたてて回るネズミのことを思うと、そんなに出来の悪い生き物でもないと思える。
 ため息をついたり、なにやらゴロゴロ鳴き声をあげて、得心したように一人で頷いている時もあるが、とにかく毎日、私の食事の時間は忘れずにいることは立派なことだ。

 そんな人間が泣いたり落ち込んだりするときも、鼻腔をくすぐる素敵な食事を、私が横からさらってやろうとすると、無情にも私を追い払って、その全てを自分だけの腹に収めているのを見ると、案外この人間もたくましく生きていくものだな、と感心しながら、毛繕いする。

 今度こそは、彼だけが食べているあの魅力的な食事を、私も一口食べてみたいと思う。

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