見出し画像

【CASE2:夫婦関係】セックスレスに奮闘して気づいたこと

脱毛や顔面コンプなど、外見ものからざーっと書いていこうか、それとも子育て系の深いやつを書こうか、気軽な家事コンプ克服術にしようか、すごく迷った。
だが、このテーマにしよう。なぜなら、克服ホヤホヤのものだから。

変わり者になれない落ち武者夫婦

前提条件として、我々夫婦のことを少し記載しておこう。
こう書くと、いつからどう付き合ったということを書くのがセオリーかもしれないが、そこは吹っ飛ばしていい気がする。
案外、順序や定型やセオリーが私は苦手だ。
むしろちゃんと付き合ってたのかもよくわからない。
女子が大切にするらしいファーストキスすら記憶に残ってないくらいだ。
とはいえヤンチャだったとかではまったくなく、単にそこまで「はじめて」とか「順序」とか「ムード」とかに価値を感じてないという価値観の問題だ。
例えば、彼氏に記念日を祝ってもらうとか、クリスマス一人なんてとか、彼氏の携帯を見たことがあるとかの女子あるあるとは縁がないタイプなので、少し一般的ではないかもしれない。
やっぱり体毛が濃くてハゲてる男性ホルモン多め女なので、どこかおっさんなんだと思う。
そして少しずれている私に呼応するように、夫もあまり一般的ではない。
そんな2人が常識的な両親に育てられ、なんとか周囲というものを知り、周りに合わせながらなじませながら昭和から平成、令和を生き抜いてきた。
そんな不器用なやつらだと思ってほしい。
とはいえ、我々は変わり者をやりきれる勇気のかけらもなく、凄まじい自意識と自尊心とコンプレックスがうごめきあう内面をひた隠しにしてきた(んだと思う、夫も)。
変わり者になれなかったごく普通のチキン2名が、神様の前で鼻毛を出しながら誓いのキスをした、そんな夫婦だ。
子供は2名、いる。
もう2人とも10代に入り、そこまで手はかからない。
いろんなことがよくわかる年齢だ。
だから、我々は最近まで離婚を検討していた。

離婚を真剣に考えて、考えるだけじゃなく話し合い進め、そしてあるきっかけで今は離婚をしないと決めた。
この一連の流れは私に多くの気づきをもたらした。
結婚ってなんなのか。
私が大事にしているものはなんだったのか。

クライマックスが決まった日

「なぜ結婚したのか」
結婚当初、友人が私に聞いてきたことをよく覚えている。
そのとき、私は「死ぬときに一人にさせないため」と答えた。
当時の私は、どういう感情を持つと結婚を決めるのかはわからないが、「プロポーズをされたから」とか「何年一緒にいたから」とか、自分の内的要因以外のものをきっかけに結婚を決めることはしないようにしようと思っていた。
何年も近くでいろいろな経験をともにしながら、なんとなくほっといたらこいつは一人で孤独死するんだろうなと思った。
普段からひょうひょうとしているので、最期に寂しいとも思わないかもしれない。
去る者は追わずというやつだからだ。
私は真逆だ。
承認欲求の塊だ。
だからこそ思ったのだ、こいつは寂しいを寂しいと認識してないんじゃないか?と。

そして結婚を決めた。
婚姻制度というのは、他人同士を家族にできる。
家族になると、何かあったときに真っ先に連絡がくる。
恋人や友人だと、冷たくなってから事後報告という可能性のほうが高い。
結婚は死に際に一緒にいてあげられる確率がぐんと上がるのだ。
「お疲れ様」「こわくないよ」「大丈夫よ」「楽になるよ」と、あちらへ送り出してあげられるのだ。
こんないい制度はなかなかない。
大事な女友達とも結婚して、見送ってあげたいとすら思う。

しかし、最期にバイバイするという目的は、結婚生活のクライマックスなのだ。
クライマックスにいくにはページを進めていかないと、たどり着けないのだ。
私はバカなので、それをまったく考えてなかった。

セックスレスってしんどいよな

ワンオペの覚悟が私を変えた

我々夫婦の結婚生活物語ってのがあったとして、この話の章立てがいくつになるかはわからないが、離婚を考え出したのはセックスレスになってからだ。
セックスは、2人目が生まれてから、少しずつ減っていった形だ。
すでに以前の記事にも書いているが、2人目が生まれてから太り、薄毛になり、外見はそうとう変わった。
今ではもう15年になるが夫はずっと単身赴任をしていて、月2回しか帰ってこない。
振り返ると、ワンオペで2人を育てるから強くなろうと、無意識にいろんなものを吸収し跳ね返せるよう丸みを帯び、男化するという必要性が、私の体にきっとあったんだと思う。
笑顔でいるための、母であるための、私が子を守れなくなるくらい壊れないための、「大丈夫」のための鎧だったのだ。
なので、太って女っ気がなくなって老けたことは、今となればしょうがなかったと思えるし、むしろよく頑張ったなと誉めてやろうとすら思える。

しかし、当時の私はそんな自分を受け入れられなかった。
若いままで、明るく楽しく華やかに、スマートに育児ができる人でありたいと思っていたんだと思う。
でも実際は、違う。
これは本当の私じゃない、受け入れられない。
きっとそのコンプレックスが、余計に私をややこしくしたんじゃないかと思う。
外見と内面を分断し、外見がデブでハゲで老けたことをすべての不調の原因にし、内面は守った。
「外見が整えば、理想にいつでも戻れる」というそんなセオリーを作り、内面は決して変わっていない、むしろ良くなってるはずだと思っていた。

外見のせいにして、本当の私を守っていたのだ。
鎧はもうボロボロになりそうだったのに。

拒否され妻

夫から体を求められない日々は、私を苦しめた。
私からお願いすることもあったが、断られた。
拒否されると、私自身が拒否されたように感じ、沈んだ。
母としてしか私は必要ではないのではないかと思った。
一夫一妻なんだから相手しろやと怒りも生まれた。
無理なら公認浮気をさせてくれとも思ったりした。
拒否されるたびに、自分がかわいそうで、情けなくて、恥ずかしくて、バカだと思った。
そして、それもこれも私の外見が変わったからだと思ったり、夫の仕事が忙しいからだと思うようにした。

EDになったという告白を受けた。
でも私はそれを言葉通り受け取らず、私を体よく断っているのではないかと思った。
なんでか今でもわからないが。
あの時、EDについて一緒に悩めたら違ったのかもしれないが、私は私の思いが届かないことを一番考えてほしかった。

いつだったか、ため息をつかれながら指でされたことがある。
体の反応とは別で、心がどんどん冷えていき、とてつもなく悲しい気持ちでエクスタシーを迎えた。
何も満たされなかった。
私が欲しかったのは、これじゃないんだと絶望した。

なんでセックスをしたいと思うのか

欲というのは「不足」や「不安」でより一層掻き立てられるものだ。
きっと当時の私は、恐ろしく不安だった。
それが欲を増大させた。
食欲が増進して血流が滞り、そして体がぶくぶく太り、男化が進んで、薄毛になって性欲が上がる。
単純に私の不安はその後の不調の多くの原因を担っているんだと今は思える。
「見て」「聞いて」「関心を持って」「一緒に考えて」「ほめて」「気づいて」「感謝して」
そんなものをいっぱい溜め込んで、
「気楽でいいな」「遊べていいな」「お金稼ぐだけでいいな」「なんで私だけ」「なんでこいつだけ」
そんな羨望と嫉妬と孤独といら立ちを抱えていたんだと思う。
だけど、前述したとおり私は「若いままで、明るく楽しく華やかに、スマートに育児ができる人」でありたいので、すべてを飲み込んでいた。

セックスというのは不思議なもんで、いろんな負の感情をアドレナリンで帳消しにするようなところがある。
だからこそ、月に2回帰ってきて、言葉や態度でなんの愛情も感謝も謝罪もない夫に安易に不足を埋めてもらうには、とても便利な行為でもあったのだ。

セックスレスを解消するために、下着を変えるとか、相手を尊重するとか、場所を変えるとか、ダイエットするとか、巷で書いていることはやってみた。
占いなんぞにも手を出してみた。
でも効果がなかった。
当たり前なのだ。
だって、私の性欲の正体は「あなたを気持ちよくさせたい」という欲じゃなく、「私を気持ちよくしてほしい」という欲だったからだ。
不安や欠乏を埋めるための性欲のベクトルは相手じゃなく自分に向かう。
セクシー下着とともに「だから私を抱きなさい」という背景画像を背負った嫁が迫ってきて、誰が飛びつく?
見返りほしさに目の保養を企んだとて、性欲を掻き立てるはずがない。
私は本当にバカだ。

そして気づいたこと

夫は、EDのことももっと私と話し合ってみたかったのかもしれないし、それくらいストレスが仕事であることへのSOSを出していたのかもしれない。
言語化が下手な夫は、私の言葉に出さないネガティブなサムシングを敏感に感じてたのかもしれない。

一方で私は自分のバカさ加減に気づいて、離婚を意識するようになった。
私はこの人を気持ちよくしたいと思えていないんだ。
この人の満足や快感に興味がないんだ。
そんな自己愛しかない人間が、彼の人生のクライマックスに立ち会うわけにはいかない。

同時に一緒に問題を解決しようとしない夫婦が、パートナーであるなんてなんかおかしくないか?とも思った。
私は彼のEDは彼の問題だと思ったし、私のレス問題は夫からすると私の問題だった。
互いに歩み寄れていないわけだ。
そんな状態で聞ける願いもない、言葉もまっすぐ届かない。
そんな状態なのだ。
長い別居生活で、いつしか頼るという概念がなくなり、私たちは分業制になっていた。それが月日とともに専門性が磨かれ、独立化が進み、分業ではなく分社化したような感じだ。
子供を育てるというプロジェクトのときだけ力を合わせるという方法が、一番適しているように思えた。

セックスレスをきっかけに、「離婚」「結婚」というものに向き合う時間が始まっていった。
なので、我が家のセックスレス問題は単純な要因ではないと考えている。
突き詰めるとパートナーシップというものにも、自分の卑しさみたいなのにも直面してしまう。
つまり、結婚というのは1つの「課題」なのだと思う。
自分を知り、成長するための。
恋人との間の問題と、ここが著しく違うんだと思うのだ。
別れのハードルが高い結婚だからこそ、向き合わざるを得ないのだ。

なんで結婚したの?の解は、「解かないと進めない課題を彼が持っているから」なんじゃないだろうか。
次回は離婚を決めてやめたことを書いてみようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?