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閲覧注意の蒐集

このお題記事にある「蒐集は研究のはじまり」という言葉を読んで、私なりの思いを書いてみたいと思い立った。ただし、摂食障害に関わる内容なので、ハッシュタグから来た方は読まれるかよくご検討ください。



私は様々な画像を蒐集する癖がネット黎明期からあり、Pinterestとは非常に相性が良いので12年ほど前からやっている。多数のボードがある中で、一切他の方からのピンをせず独自アップのみしているのがひとつだけある。なぜなら、そんな画像は誰もアップしていないからピンのしようがないからだ。
それは、摂食障害の方が過食する前に撮った食べ物の写真。

ネットを眺めていた時に偶然、過食する前の食べ物写真をアップしている人がとても多いことを知った。今はなきブログサービス「デコログ」や「ヤプログ」は若い女性に人気だったためか特に多く、ほとんどをそれらからピックアップしてPinterestにアップしはじめたのが確か10年少し前。今はXでアップしている人が多い。
なお、私は特に「カショオ」と呼ばれる、過食嘔吐された画像を集中的に集めている(もちろん写真は食べる前の食品だけです)

当初はただひたすら写真が発する強さに圧倒されて蒐集していた。まずその食べ物の物量。それらが1人で食され、そしてほぼほぼ吸収されず吐かれたという事実。大量の食品が栄養とならず拒否された事実。
摂食障害は主にルッキズムや機能不全家庭、特に母親との不和で語られることが多いが、写真を眺めていると消費社会とも切り離せないと感じるようになった。

消費社会におけるグルメは「情報」を食べる行為と言われたりするが、彼女たちは全く違う。むしろ「情報」を剥奪している。特に作り手の顔とサイドストーリー。特定の誰かが腕によりをかけたものを過食嘔吐用の食品として選ぶ人はまずいない。実家暮しで母親の手料理を食している人はいるけれど、過食を咎められているケースが圧倒的なので、1人でこっそり買ったもの、家族のいない間に自作したものを過食している。
当然自責の念もあるのだから、誰かの「愛情」が込められたものを吐くことには抵抗があるだろう。一方、母親と不和がある場合は、母親の「愛情」が込められた料理自体を受け付けないか、あるいは吐き出すかもしれない。

しかしなぜ写真に収めてそれをネットにアップするのか。
<記録>のためというのは実際に多くの人が語っている。また、撮るだけでなくアップもするのは<叫び>でもあると思うし、<承認欲求>も関わるだろうが、それだけで片付けるのは早計だと思う。
自傷写真を見かけたことがある人は多いだろうが、私はそれと似た感覚だと思っている。自身の痛み、苦しみを<確認>する意味もあるのではないかと。

写真に収めると客観視ができる。血を流している自分、大量に食した自分を客観視して、自分の苦しみを確認して言い聞かせるような意図。客観的な視点を得ることは、可哀想な自分を他人のように俯瞰して眺めることができるということだ。しかも自身の端末ではなくネットにアップされていたらより客観的に眺めることができる。可哀想な自分に酔うためではなく、自分はこんなに可哀想なんだと他者の視点から<確認>することは、回復へ向かいたい気持ちを後押しするのではないかと思う。
つまり、写真に収めてアップするのは、叫びであると共に、<自己セラピー>だと私は思う。

私が過食写真を蒐集しながら考え続けているのは、彼ら/彼女らが何を食べ、何を拒否して吐き出しているのかだ。
個人差はあれど、単純に「食べ物」を摂取しているとは思えないのだ。写真に映っている物品は、食べ物というより別の「何か」に見える。
正体が分かることは決してないだろうその「何か」の佇まいに、私はどうしても魅せられる。



以下Pinterestのスクショです。規約改訂され摂食障害を煽る画像は禁止されたので現在は念のため非公開にしている(本当は非公開も削除対象だが、恐らく意図が異なるのでセーフ)


以下は主にXにおける摂食障害の人たちが遣う隠語とその意味(一部個人差あり)

🐸 嘔吐
9️⃣ 吸収(吐けずに体内に吸収)

🤞🐸 指吐き
🥄🐸 スプーン吐き(嘔吐のためにスプーン利用)
➰🐸 チューブ吐き(嘔吐のためにチューブを利用。「内○」は内径○cmのチューブの意味。「外○」は外径○cmのチューブ)


🐭 チューイング(咀嚼だけして飲み込まず出すこと)
🥫 完吐き(食べたものを全て吐くこと)
⬇️🦏 下剤
🇹🇭🔫 体重

⚔ 健常者
🐴 美味い

🐴🧵 バイト

08 親
r○ 食べて吐くまでの回数(ラウンド)

底 胃の底に寒天や納豆やもずくなど消化の遅いものを入れてから吐くことで完吐きしやすくする食べ物

サノレックス 痩せ薬 糖尿病の薬でもある

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