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3/31(日)

昨夜はiPhoneを電源ごと落として就寝し、今朝は気が済むまで寝た。
起きたのは11時半くらいだった。起床は遅かったけれど、そこからノンストップで朝食→部屋の掃除→断捨離→冬物衣料をクリーニング店へ持ち込みと、とても活発に動いた。

クリーニング店へ行ったころにはもう夕方に差し掛かっていたけれど、遅めの昼食のつもりでカフェへ行った。今日は本を持たずに出かけたのでカフェでは長居せず、春服でも買おうかなと思ってそのまま電車で移動した。

結局めぼしい服がなかったので、日用品と食品の買い出しをして、ついでにケーキ屋でスイーツを買って帰った。夜は一人で餃子パーティー。黙々と包む作業が自然とマインドフルネスになって心地よかった。餃子セラピーと名付けておこう。

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明日から4月ということで、思い出した話がある。
私が大学を卒業して会社員になった時、実家の母はこんなメッセージを送ってくれた。

「mimiの正しいと思う道を歩きなさい」

この短い文に、母のいろいろな思いが詰まっているように感じる。
①大学4年間のうちに、大病・バンド・ダンス・スピコン・留学と、色々な良いことも悪いことも経験しつつ、やりたいことをやりきった私の行動力や判断力への信頼。
②社会人の先輩として、自分の意志を持つことが大切だという教え。
③母として、我が子の道を見守っているよという愛情。

私が子供のころから、両親は私の意志と決断を尊重して育ててくれた。2歳から家族でアメリカに渡ったので、自然とアメリカ式教育になったのかもしれない。具体的にあーしなさいこーしなさいと言う代わりに、
・mimiはどう思うの?
・自分で決めなさい
・後悔しないようにしなさい
と、私がどうしたいかを優先してくれた。習い事も何でもさせてくれたし、やめたいと言ったときも叱ったり引き止めたりせずにスパッとやめさせてくれた。そういう環境だったので私は自分を押し殺さないで生きてこれたし、先述したように自分の行動力や決断力にも自信を持つことができた。

そういう積み重ねがあって、大学からは一人暮らしをさせてくれたし、在学中に留学したいと話した時も(最初だけ少し反対していたが)その後は全面的に応援してくれるようになった。就活の期間中も全く進路に口出しをしてこなかったし、第1志望業界の内定を取ったときは両親もとても喜んで祝福してくれた。

これまでの家族との関係を振り返ると、「全肯定されて生きてきた」の一言に尽きる。ワガママ放題というわけではなく、ものすごく叱られた記憶も無限にあるけれど、やっぱり一人の人格として最大限に尊重してくれたなあと思う。あとは、末っ子だったのでいろんな意味で甘やかされた。甘い蜜だけ吸って生きてきたなあ。しみじみ。

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2024年は年始早々に病気で休職したり、復帰してからも体調が安定しなかったりで順調な滑り出しとはいかなかったけれど、明日からは気分を入れ替えて、気持ちだけは元気に過ごしていきたい。身体がついてこなくても自分を責めたりしないで、そこは素直にお医者さんに頼っていこう。

毎日100点の人生なんてない。
頑張れるときに、頑張れるだけ頑張っていれば大丈夫。

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