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保守とリベラルの自分史

「保守」と「リベラル」、
よく使われる言葉ですが、その意味を問われると、
なんだか、よくわからない言葉ですね。

高原剛一郎という牧師の方が
「ごうちゃんねる」というYouTubeチャンネルを開設していて、
私は時々拝見しているのですが、
少し前の動画で保守についてこんな説明をしていました。

「保守とは自分の力や思いの及ばないものを尊重する考え方です。
例えば歴史とか、伝統とか、神を大切にする事も
保守的な考え方の特徴です。」

ということは、リベラルとはその反対で、
歴史とか、伝統とか、神よりも、
自分の力や思いを尊重する考え方ということでしょうか。
高原牧師の説明に納得です。

では私はどちらかというとどちらなのでしょうか。
そもそもどちらかなんて決めつけること自体が
ナンセンスなのですが、
あえて言えばキリスト教に回心する前の私は、
やはりリベラルな考え方をする人間でした。

私の生まれ育った家は両親が小さな商いをしていて、
決してリベラルな環境ではなかったと思いますので、
やはり大学でリベラルな考え方を学んだのだと思います。

その後キリスト教に回心するのですが、
私の母教会は福音派プロテスタントの教会です。
人間の考えよりも聖書の言葉に権威をおくという、
高原牧師の説明で言えば、おもいっきり保守的な教会です。

というわけで、この時点で私は、
信仰は保守で考え方はリベラルという、
なんともチグハグな状態だったのですが、
あまり自己矛盾は感じていませんでした。

と、いうのは私の母教会の中にも、
リベラルな考え方の人は多くいました。
これはもしかしたら日本のキリスト教会の特徴かも知れません。
アメリカで福音派の教会といえば共和党支持が当たり前で、
リベラルな考え方をする人はほとんどいないと思います。
でも、私の教会は2009年にオバマが大統領になった時には、
みんな明るい雰囲気になりましたし、
2017年にトランプが大統領になった時には、
なんだか暗い雰囲気でした。

日本では保守というと、
神道を信仰している人たちというイメージがありますし、
先の戦争ではキリスト教は保守的な人たちから迫害された
歴史もあります。
ですので、日本のキリスト教会は保守的な福音派といえども、
リベラルな考え方に親和性を持ったのかも知れません。
でももしかしたらそのことが、
日本の教会を神の恵みから遠ざけているのかも知れません。

一方で先に取り上げました高原剛一郎牧師や、
ハーベスト・タイム・ミニストリーズの中川健一牧師は、
信仰においても政治的考えにおいても
一貫して保守的な論調を展開していまして、
このような牧師先生のお話にふれることによって、
私の考え方は少しずつ変わっていきました。

特に、一昨年より中川健一牧師の主催する
ハーベスト聖書塾で学び始めたのですが、
その学びの中で、私の中に元々あるリベラルな考え方が、
私の信仰の成長を妨げていることを実感しました。

えっ!信仰の成長って何?
と思われる方もいるかも知れません。
キリスト教では信仰は成長するものです。
(この件は後日記事にしました:
 https://note.com/mimeguminoah/n/n2bb3b2c06824 )
成長すると神とよりよい関係を築き、
より多くの神の恵みにアクセスできるようになるのです。

でもそのためには、より神の前に謙遜になり、
自分の自己中心的な思い上がりを手放して、
神により頼みすべてを神に明け渡す必要があるのです。
もちろん自分の力でそうなろうと思うのは思い上がりです。
神が一方的な恵みによりそうしてくださるのですから。
その神の恵みを受け取るためには、やはり、
この私の中のリベラルな考え方が邪魔になるのです。

神は私たちを心から愛して、一人ひとりに
限りない恵みを与えようと待ち構えておられるお方です。
しかし、その神の思いを拒んでいるのが、
私たち一人ひとりの中にある
人間中心的でリベラルな考えなのです。

どうかすべての人が、そのような
人間中心的でリベラルな考え方を手放して、
神を崇め賛美する、そんな世の中になりますように。
どうかみなさまに豊かな神の祝福がありますように。

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