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聖書の示す「救い」とは

前回の記事で
「キリスト教の信仰は成長するんですよ」
なんて書きましたが、
( https://note.com/mimeguminoah/n/ne0c710c4d326 )
今回は
この点についてもう少し詳しくお話しします。

信仰の成長とは、その人の
救いのプロセスが進行していくという事です。

え!? 救いにプロセスがあるの??

あるんです。
これについて、聖書に詳しく書かれています。
(新約聖書「ローマ人の手紙」1章~8章)

「ローマ人の手紙」によると、
救いには3つのプロセスがあります。
1.義認
  神に「正しい」と認められること。
2.聖化
  この世で過ごすうちに少しずつ
  神に聖くされること。
3.栄化
  天で朽ちない体に変えられて
  救いが完成すること。

1.義認とは神に正しいと認められることですが、
ここでの「正しい」とは
私たちが普段考える正しさではなく、
そういう意味では全然正しくない人を、
神がただただ、「正しい」としてくださる、
そのような正しさです。

私たちはどんなに人間の基準では正しくなくても、
以下の事を信じれば、
神は私たちを正しいとしてくださるのです。
①イエスキリストは私の罪のために十字架につかれた。
②死んで墓に葬られた。
③三日後によみがえられた。
これらを信じることは、その人の努力ではなく、
100%神の恵みによるのです。
神は私たちを恵もうといつも待ち構えておられます。
私たちが自己中心的な考え方を脇においたとき、
この神の恵みを受け取ることができます。

神の恵みはそれだけではありません。
神は信じた者をその瞬間に直ちに次のようにされます。
①その本質をまったく新しく「神の子」として
作り変えてくださいます。
②将来に救いが完成して千年王国に入れる保証として
聖霊を心の中に住まわせてくださいます。

以上が義認のプロセスです。
義認は信者であれば既に終了している1回のみのプロセスです。
なので「過去における救い」ということもできます。

2.聖化とは義認の後、この世で過ごすうちに
少しずつ神に聖くされていくプロセスです。
義認のプロセスを経た私たちはなんともちぐはぐな存在です。
その本質はまったく聖い「神の子」であり、
心の中に聖霊が住まわれているにもかかわらず、
肉体は罪に汚れた昔のまんまなのですから。
(ここでの肉体とは文字通りの肉体だけでなく、
 それに付属する自己中心的な考えも含めたものだと
 考えると分かりやすいかも知れません。)
要するに、神は正しいとしてくださっていても、
人間的な基準では全く正しくない者なのです。

ですから、私たちの中には、
その聖い「神の子」という本質と罪深い肉体の間に
常に葛藤があります。
信じていない者には、
聖い「神の子」という本質はありませんので、
このような葛藤はありません。
(良心との葛藤は多少あるかも知れませんが、
 信者の葛藤には及ばないでしょう。)
ですので、葛藤があるのは救われている証拠なのだ
と言うこともできます。

このような葛藤の狭間で私たちはこの世では、
聖霊に導かれて神の思いに従って
考えたり行動したりしている結構いい感じの時と
自己中心的な肉の思いに導かれて
考えたり行動したりしている全然ダメダメの時を
交代交代に過ごしています。

しかしこの世で聖化のプロセスを経るうちに私たちは、
徐々に聖霊に導かれている結構いい感じの時間が増えていき、
肉の思いに導かれている全然ダメダメの時間が減っていきます。
これも義認と同じようにその人の努力で進むプロセスではなく、
100%神の恵みによってなされるものなのです。

私たちの中に住われている聖霊はとても奥ゆかしいお方です。
私たちの思いを押しのけてまでお働きにはなりません。
自分の思いを脇に置いて、聖霊に主導権を譲るときに、
はじめて聖霊がお働きになり、私たちは聖化されていくのです。

以上が聖化のプロセスです。
聖化は信者にとって、今繰り返し起こっているプロセスです。
なので「現在進行形の救い」ということもできます。

3.栄化とは将来私たちの体が天で朽ちない体に変えられて、
私たちの救いが完成することです。
今から約二千年前にキリストは十字架の後よみがえり、
天に昇られました。
そして将来再び地上に降りれ来られます。
私たちはこの世で聖化されながら、
そのキリストの再臨を待ち臨んでいるのです。

その再臨の前に携挙がおとずれます。
それがいったいいつなのか、誰にも分かりません。
ただ父なる神だけがご存知です。
その携挙のとき地上にいる私たちはすべて天に挙げられます。
そうして一瞬にして朽ちない体に変えられます。
そのときに亡くなっていれば、朽ちない体に甦らされます。

こうして私たちの救いは完成するのです。
このプロセスも義認、聖化と同じように人の努力ではなく、
100%神の恵みによってなされるものです。

いやいやまだまだ、神の恵みはそれだけではありません。
そこに主イエスが私たちを迎えにこられるのです。
そうしてしばらくの間私たちは天で主イエスと過ごすのです。
この後のことは新約聖書「ヨハネの黙示録」に書かれています。

そしてこの後地上では大患難時代を迎えます。
サタンと悪霊は地上で猛威をふるい未信者は裁きを受けますが、
最後に不信仰だったイスラエルが回心しキリストを受け入れると、
再臨したキリストはサタンを縛ってよみに投げ入れ、
この地上に千年王国を打ち立てられます。
そして私たちもキリストと共にこの王国を治めるのです。
私たちは今ここで、この千年王国への旅路を歩んでいるのです。

そして千年経つと再びサタンはキリストに立ち向かいますが、
この時永遠の火の中に投げ込まれ完全に滅ぼされます。
そして亡くなった不信者は甦らされ白い御座で裁かれます。
(この裁きについてはまたいつか書かせて頂けたらと思います。)
(後に白い御座の裁きについて記事にしました。
 https://note.com/mimeguminoah/n/n8333072bd03d )
そして最後に「天のエルサレム」が天から地上に降りてきて、
私たちはその永遠の秩序の中、
父なる神、子なるキリストとともに永遠に住まうのです。

以上が栄化のプロセスです。
栄化は信者にとって将来に一度起こるプロセスです。
なので「未来における救い」ということもできます。

聖書は私たちの救いを以上のように示しています。
私たちの救いは神の壮大なご計画の中にあるのです。
どうか地上のすべての人がこの偉大な神を賛美し礼拝する、
そのような世の中になりますように。
どうかみなさまに限りない神の恵みと祝福がありますように。

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