見出し画像

尿路結石(3)〜肉体について〜

※この記事は前回からの続きです
( https://note.com/mimeguminoah/n/na861e38450af )

わたくし事で恐縮ですが、
2年前にたったふたりの兄弟だった実の兄を亡くしました。
私と同じ酒飲みで毎晩晩酌を欠かさない生活をしていました。
だんだん調子が悪くなっていくことは感じていたようなのですが、
ついついそれを隠して毎晩酒を飲んでいたようです。

ある日ついに我慢しきれなくなって医者にかかったら即入院。
検査の結果、すでに食道がんのステージⅣ、おなかの中全体に
種をばらまいたように播種性の転移巣が広がっていて、
その一部が尿道を塞いでいて数日間尿が出なかったようで、
もう手がつけられない状態だったそうです。

57歳の若さでした。幸い子供たちはみな独立していましたが、
そんなに悪くなる前に、もし、先日の私のように、
強烈な痛みが兄を襲っていれば、さすがの兄も我慢できずに、
医者に掛かっていたはずなのにと思うと、
なんとも悔しい気持ちでいっぱいになります。

・・・・・・・・・

先日の尿路結石で経験したあの強烈な痛みは、私にとって、
私の肉体について深く考えるよいきっかけになりました。
私の肉体にはどのような将来が待っているのでしょうか。
聖書にはどう書いてあるのでしょうか。

やがて訪れるキリストの再臨のとき、
私の肉体は朽ちないからだに一瞬にして変えられます。
もし、キリストの再臨までに亡くなっていたのならば、
私は朽ちないからだによみがえらされます。
(新約聖書「コリント人への手紙第一」15章52節)

いずれにしても、私が天に昇るときには、
今の肉体は持っていくことができません。
地上に残していくことになります。そう考えると、
肉体とは取るに足らないもののように思われます。

しかし、肉体があることはとても大切な事です。
肉体がなければ私はこの世に存在することができません。
聖書には次のようなパウロのことばが記されています。

"私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。しかし、肉体において生きることが続くなら、私の働きが実を結ぶことになるので、どちらを選んだらよいか、私には分かりません。私は、その二つのことの間で板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。そのほうが、はるかに望ましいのです。しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためにはもっと必要です。"
ピリピ人への手紙 1章21~24節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

多くの人は自分自身の最良の状態をイメージするときにきっと、
健康で活き活きとこの世で生きていくことと考えるでしょう。
しかしパウロはそれよりも死んで天国で、キリストとともに
いることが、自分にとって最良の状態だと言っているのです。
その上で自分がまだ生きてこの世にいるのは、
まだこの世でやるべきことがあるからだと言っています。
そのために肉体はとても大切なものだということになります。

今回の経験を通じて私が強く感じているのは、
「おまえはまだまだこの世でやるべきことがあるのだよ。
 それをやり遂げてから、わたしのところに帰っておいで。」
と主が私に仰せられているのだということです。

それがなんなのか、まだわからないけれど、
将来それを成し遂げることができたら、
きっと最高の人生なのでしょうね。

大きな御手で私を守り導かれる神。
そのような神をすべての人が賛美し礼拝する、
そんな世の中になりますように。
どうかみなさまに神の守りと導きがありますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?