「これ持ってて」
駅前のロータリーを歩いていると、
とんとん、と肩を叩かれた。
振り向けば、青いスェットを着た少年が立っている。
右手を突き出し、握った拳をすいっと差しだす。
つられるように右手をあげると、
素早くあたしの手のひらに拳をのせて、
「これ持ってて」
とっさに手のひらを握りしめたとたん、
青い少年はきびすを返し、早足で人混みにまぎれこむ。
「これ」って何。
握った手の中のわずかな隙間にある「これ」が何なのか、
分かっているよな、いないよな。
それでも「これ」を次の誰かに渡さなくちゃならないことだけは分かっていて、でも誰に渡せばいいのか分からない。
「これ持ってて」
と渡せばちゃんと受け取ってくれる人。
そのことだけは分かるのだけど、
それが誰なのか分からない。
忙しなく行き交う人々を眺めながら、
あたしは途方に暮れていた。
「これ」を潰さぬよう、そっと握ったてのひらは、
しっとりと冷たく湿っていた。
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