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お別れの形―火葬式(1)―

母の介護看護関連のあれこれを、ここに書いていこうと言いながら、いきなり葬儀の話って、それってどうなの、と思わないでもないですが。
まだ気持が落ち着かず、どこか腑抜け状態でありながら細かな雑務をこなしていると、色んなことが右から左へ抜けていってしまって、時と共に蒸発してしまいそう。なので、思いついたものから書いてしまおうかと。

で。葬儀のお話。
まだまだ元気な頃から、母は「お葬式もお墓もいらない」と言っていて。その辺りは私もまったく同感覚だったので、うんうんそうだよね、と賛同していた。母ひとり子ひとりの家族で、親戚はいるけれど顔を合わせるのは冠婚葬祭の時だけになっていたし、何より母の兄弟もみんな同じように高齢になっていくのだから。お互い様ということで、葬儀はせずお報せだけで失礼してもいいんじゃないかな。そんなふうに言い合っていた。

その思いは、数年前に母と私と夫それぞれに創った「エンディングノート」にも記されていて、だから「葬儀はしない」という事だけは、迷うことなく決めていた。

とはいっても。病院からそのまま火葬場へ、というのは、いくらなんでも。そう思いながらネットで調べてみると、目にとまったのが「火葬式」。なるほど、これがいいかも。

と、ここまでは、なんとはなしに決めていたけれど。でも前回の「安らかなゴール」に書いた通り、「手術をしない」=「延命治療をしない」という合意の中で眠る母は、この昏睡状態がいつまで続くのか、まさに神のみぞ知る状況で。目安として2週間、そこを超えて病状が安定していれば療養型病院に転院の予定で、まずはその病院を探すことが先だった。母宅の近くではなく、私と夫が暮らす町の界隈で幾つか当たり始めていたところだった。だから亡くなった後の準備は、もう少し先で、と思っていたのだ。

が。いざ、その刻を迎えてみると。
何の準備もないまま臨んでも、事は思いのほか速やかに進んでいく。

医師と看護師、家族立ち会いのもと、死亡確認が済み、束の間のお別れの時間を経た後、これからどうすればいいんだろうと思っているところに、看護師さんが訊きに来る。
「法律で死後24時間は火葬できないと決められているので、それまで安置する場所が必要ですが、ご自宅に戻られますか」
「いえ、家は狭いので」
「では葬儀社にお願いすることになりますが、葬儀社とかお決まりですか」「いえ、まだ全然」
と、ファミレスのメニューみたいにラミネートされた紙を広げ、
「病院から紹介できる葬儀社は4社あって、週変わりで担当が決まっているので、今日の日付だとこのA社になります」
なるほど。と思うものの選択の余地はなく(というか選択しようにも他に案はないので)「じゃあここで」と答えてしまう(なんだか「本日のランチ」を決めてるみたいだ)。
「あ。でも」
「はい?」
「お葬式ではなく、火葬式にしたいと思っているんです。でも火葬式って葬儀社によってはやってないみたいなので」
若い看護師さんは、火葬式ですか…とちょっと首を傾げつつも、「分かりました、確認してみますね。出来るところ、ちょっと見てみます」と請け負って下さった。

結局、週担当のA葬儀社に「火葬式」プランというのがあったので、お願いすることになったのだけど。看護師さんの反応をみると、「火葬式」というものはまだあまり知られていないのかも。そんな印象でもありました。

いくつかの手続きをしたあと、深く眠る(まさに眠っているようにしか見えない)母はストレッチャーに乗ったまま病室を出て、地下の霊安室に。

この時、初めて知ったのだけど。

病棟からいつもとは違う奥まったエレベーターの前まで送ってくれたのは、母を看取ってくださった2人の看護師さん。そして、そこで待っていた白衣の女性2名にバトンタッチ。その人たちと共にエレベーターに乗り込み、地下へ。霊安室に安置したところで、あらためて挨拶を交わしたその白衣の女性こそが、A葬儀社の担当者。

そうか、そういうことなんだ。
病棟の患者たちの目には触れないような工夫が施された中、秘やかに地下へ降りていくエレベーターの中で、そう思っていた。生きる為に治療を受ける人たちと、すべて終えて眠りに就いた者との、棲み分けのようなものが病院内にあるということ。そのことに、なんだか深く感心してしまったのでした。

って、これだけでこんなに長くなってしまったので、いったん休止。
肝心の「火葬式」の説明まで辿り着かず、ごめんなさい。
次回はもうちょっと事務的に、火葬式の説明を。
(少しは何かのお役に立てるように)


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