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ケータイ写真―まばたきするように

写真保管庫となっている外付けHDの中に、ケータイ写真というフォルダがある。数え切れないほどの画像フォルダの隅っこに、ひっそりと、遠慮がちに。

ケータイで写真を撮るようになったのは、2006年頃からだった。日常を切り取るような感覚が面白くて、散歩のときはもちろん日々の買い物に行くときも、ケータイ片手に歩いていた。パシャパシャ撮ってはブログに小さな写真をあげていたら、mixiの「携帯写真家」というコミュニティに誘って頂いた。

写真やカメラの知識もちゃんとした撮り方もまったく知らない(今も同じようなものだけれど)のに写真家だなんておこがましい。でも頭に「携帯」と付くだけで、なんだかちょっと許されそう。

そんな感覚でうきうき参加したそのコミュには、プロの写真家とプロデューサー的な仕事をされていた方がいらしたことから、皆のケータイ写真はちゃんとプリントされ、ちゃんとした場所を借りて、ちゃんとした「携帯写真展」が開催され、新聞にも記事が載ったりした。

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といっても、今見れば、さすがに画質が悪い。あの頃のガラケーのカメラは、今のスマホのカメラとは比べものにならないほど、画素数も少なく、画像も粗い。

でも。ガラケーのカメラは、片手で撮れた。歩きながら、片手で撮れてしまうのだ。それはガラケーにしかできないこと。スマホやカメラのように立ち止まり構えて撮る写真とは、やっぱり違う。あ、あれ、と思った瞬間にシャッターが切れる。目にしたものがそのまま、写る。ガラケーのレンズが、自分の目、視線そのもの。

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大きな写真ばかりが居並ぶPCの中で、居心地悪そうな、ちっぽけなケータイ写真。もう日の目を見ることもないだろうと思いつつ、でも、なかなか捨てられない。SNSに載せるには小さすぎるし、むりやり引き延ばせば、ざらざらと砂をまぶしたように粗くなる。苦肉の策として、何枚か併せてコラージュにしてみたり。

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人は一度手にした便利なものから、後戻りすることはできない。今更、スマホからガラケーに戻るつもりもない。といって、スマホにこれ以上の進化ものぞまない。ただ。片手でかざして、その瞬間にパシャリと撮れるカメラがほしい。あの「まばたき」するように撮れるカメラを、どうか、もう一度。

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