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「わたしの教科書」

おもしろい。
ミメオがTVで見て、ミメイが好きそうだからと調べておいてくれたコレ。

「わたしの教科書検索」
"あなたの生年月日から、小学生・中学生のころに使っていた国語の教科書をお調べします。"

なるほど。と、やってみれば、たちまち小学校1年から中学3年までの教科書の表紙が。
おお、と思ったものの、すぐにうーんと首をひねる。
覚えていないのだ。
どんな教科書だったか、きれいさっぱり忘れてしまっているので、「ああ。これよこれ!」という懐かしさが襲ってこない。

ただ、小5の時のモザイク画のような表紙は、なんとなく。小学校の卒業アルバムの表紙が各自デザインした「ちぎり絵」だったような記憶があるので、あの頃はそういうのが流行だったのかも、とも思う。いずれにせよ、すべては曖昧で。

たぶん若ければ若いほど、「ああ、これ!」という感覚は確かなものとしてからだに満ちてくるのだろう。年を経て、あの日あの頃から遠く離れれば離れるほど懐かしさはつのるはずなのに、それをたぐり寄せることができないなんて。なんだか理不尽。肝心の記憶が定かではないと、懐かしさを味わうことは出来ないんだなあ、と、変なとこで感心してしまったのだった。

もちろん教科書は1種類ではなかったはずで、母校が使っていたものが、この「光村図書」とは限らないのだけど。でもどちらにしても、肝心の記憶が……(以下繰り返し)。

にしても。小、中学校すべての教科書のタイトルが「しんこくご」「新国語」なのだけど。なんでわざわざ毎年「新」をつけなきゃいけないのか。今もそうなの? そうじゃないとしたら、いつから「新」が取れたのか。うーん。いろいろと、謎。

で。
この検索で表示された教科書の収録作品を辿っていくと、そのうちのいくつかが、「光村ライブラリー」として刊行されているという。これはちょっと読んでみたいかも。

教科書の表紙に見覚えがなくとも、授業で読んだ作品から、記憶の糸口がツツっとほどけてくれるかも。ああ、この文章の余白に緑色のボールペンで落書きしたっけ(そこ?)、と記憶がぱかりと口をあけてくれるかも。


※TOP画像は、今現在のウチの近所の写真だけれど。モノクロにすると、一気に時代が分からなくなる。まるで甦った記憶の一場面のよう。胸の中の映像も、ほんのときたま、こんなふうに甦ることがある。何かのきっかけで。思いもよらぬきっかけで。だから記憶って、おもしろい。


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