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自分の墓標に刻んで欲しい言葉

これは先日のセミナーでやったワークの1つなのですが、言葉を変え品を変えやった方がいいよ!と再三成功者やメンターに言われていたことでした。やっぱりやった方がいいんだな…と逃げていた自分を強く自覚。

墓標の言葉ワークの意図

なぜ自分の墓標に刻んで欲しい言葉を考えるのかと言うと、それが人生の行動指針になるからです。

例えば私が「死ぬときは愛する夫と子供に囲まれ、mimariと出会えてよかった、来世でも家族になろうと言われながら逝きたい」と思っていたとします。

そうすると墓標に刻む言葉は「最愛の妻であり最愛の母、ここに眠る」でしょうか。

その最後を叶えるため、今パートナーがいなかったら自分の外見と内面を磨いたり、出会いの場に足を運んだり、結婚後は夫や子供たちに寄り添うようにするなど、その在りたい自分に近づく努力をしようと思うことができます。

ですがこれが潜在意識に沈んだままでボンヤリしていると
「女なんだし一応見た目を綺麗にしておくか」
「飲み会に誘われたから行ってみるか」
「妻なんだから夫のご飯は作るべきよね」と、
行動の目的が無意識にボンヤリしたものになりやすいです。

おそらく行動指針を定めずに毎日を生きていると違和感が出てきて「あれ?こんな人生を送りたかったんだっけ?」という人生を送ることになってしまうんだと思います。

はい、経験者です(・∀・)笑

時間=命

私たちにある時間です。つまり終わりがある有限のもの。

お金をいくら払おうと戻ってこないこの貴重な時間をどう使い、どう人生を幸せなものにするかを常に考えている人は実際少ないと思うのです。

現に私もこの間までそうだったのですから。

でも、離婚を受け入れるかどうか迷った時に嫌でも考えなくてはならない状況になりました。

きっと「こいつ、辛いくせに自分を改めようとしないから、無理やりそういう状況作ったれ!」という宇宙だか神様だかから、元夫という媒体を使って学びをいただいたんだと思いました。

というか、辛すぎてそう思わないと前を向けなかったのですが(・∀・)笑
今は無事に前を向けています。一年半前の私が聞いたらびっくり飛び跳ねることでしょう。

まじめに考えすぎ疑惑

とはいうものの、私もこれ!という言葉には行き着いていないというのが現状です。

しかしNISHIさんの軽やかな墓標の言葉を聞いて「私って考えすぎなのかもな…」と感じたのも事実です。

きっと日によって変わるぐらいの軽いノリでもいいから決めることが大事なのかな?と感じました。

と言ってまた決めることから逃げるmimariであった( ̄∀ ̄)終

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