子ども食堂の"支援されてる感"をなくす
仙台市青葉区にあるキッズプラス×立町小学校×地域の皆様の取り組みが素晴らしく良い
夏休みに入った小学校の家庭科室を借りて、友だちと一緒にお昼ご飯を食べられる
この支援されてる感をなくすというのが、施設ではなく居場所にとても大事な考えだと思う
誰にだって、尊厳があること。
この支援されてる感をなくす事について、以前、宮城野区田子にある「ノキシタ」を見学した際に館長が話していたことを思い出した。
①高齢者施設などのように、この場所を"施設"と呼ばないこと。
→地域住民と話している中で「◯◯さん、施設に通い始めたみたいよ」と井戸端会議で話題にされるのが嫌で、施設に通いたくないという声があったことから、居場所になるように愛称を付けた。
②幹線道路のロードサイドにありながら、道路側に看板を出さなかったこと。
その代わり、アイコニックなシンボルとなるイエガタの空間を道路側に設けた。
→①にも通ずるが、幹線道路に面して看板が出ていて、車で施設に入っていく様子を他者に見られたくない。
人のために、立地条件から空間ができることを示していた。
これ、建築や都市計画を勉強した人なら分かると思うが、このロバート・ヴェンチューリの「ラスベガスから学ぶこと」の批評性を、二転三転させて行きついた妙案だと思う。
これらの取り組みに通ずるのは、潜在的な社会的課題に対して、批評性をもってそれらと向き合い、空間で示していること。
そういうところから、建築の(または都市の)批評性の大切さを学んでほしい。
批評と批判は似て非なるもの。
単に文句を言うことが批評だと勘違いされている方は多い。
でも、まちづくりには、批評性が大事だとという言葉を再認識してくれた出来事だ。
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