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お粥やの物語 第4章5-2 「僕の明日は希望に満ちている、と信じたいです」

「無理ですよ」僕は肩を落とし、誰に言うともなく呟いた。
誰も、何も言わない。示し合わせたように口を結んで、僕の次の言葉を待っている。
「そんなの不可能だ。考えても見てください。向こうの世界では、魔法が使えない僕なんて、無一文の汚い身なりをした異邦人です。そんな僕に何ができると言うんですか。せめて軍資金があったら、高価なドレスは無理でも、安い服くらい帰るかもしれないけれど……」

「軍資金ならあるわよ」
女の人の声に、僕は背筋を伸ばした。それなら早く言ってくださいよ。
「あなたが亡くなる前に持っていたものよ」
期待に膨らみかけた僕の胸はペチャリと潰れ、伸びた背筋はグニャリと曲がった。

僕の全財産は約四万円……。
「その四万は向こうの世界では使えない。円が外国で使えないのと同じよ」
また、心を読まれてしまった。何度やられても嫌なもので慣れる様子はない。
「それじゃ、軍資金はゼロじゃないですか」
「リュックの中に色々と入っていたでしょ。車輪の壊れたキャリーバッグにも入っていたはずよ」

金目のものなんて入っていない……。
皺だらけのスーツとネクタイ、数枚の下着。古くて重いノートパソコン、数冊のビジネス書とお気に入りの小説。芽が出たジャガイモと干からびた長ネギ。その他、捨てるに捨てられなかったもろもろの品物と犬の縫いぐるみのポンちゃん……。
それらを、向こうの世界で物々交換しろと言うのか。

「大正解」女の人は冷たく微笑んだ。
僕はヤケになって、冷たく笑い返した。
そんなの正解でも、何でもない。
「ポンちゃんは交換しちゃダメ」
女の子が今にも泣き出しそうな顔をして、縋るように僕を見つめた。

大丈夫だよ。ポンちゃんを手放すくらいなら、死んだほうがまし、とまでは言わないが、気持ちはそれに近いものがある。ポンちゃんは僕の戦友なのだ。
僕の気持ちを知った女の子は、ニコリと微笑んだ。
ちゃんと笑えるんじゃないか。

「こっちの世界ではガラクタでも、向こうの世界では宝物ということもあるからな」禿げ頭の老人が自分の言葉に納得したように頷いた。
「ビジネス書の中には、自己啓発の本があったでしょ。より良いメンタルを得るための本もあったはずです。それらも大いに役立ちます」
白髪の老人の声は自信に満ちている。

「その本は日本語で書いてあるんですよ。向こうの世界では誰も読めません」
「誰かに読ませるのではありません。あなたが読むのです。そして、必要なものを選んで実践する」
首を傾げた僕に向かって白髪の老人は続けた。
「シンデレラの気持ちを考えてみなさい。魔法使いに裏切られて、火炙りにされたんです。落ち込み、人間不信にもなっているはずです。そんな彼女を励まさなければなりません」

どうやら、僕がやるべきことは二つに絞られるようだ。
一つは、手持ちの物を交換して金を貯め、見栄えのするドレスとガラスの靴を手に入れること。買うのが無理なら、借りるという手もあるだろう。馬車も同じだ。馭者は僕がやってもいい。

二つ目は、シンデレラのメンタルのケア。暗い表情では、綺麗なドレスを着ても魅力は半減する。王子様のハートを射止めるなら、健康的な笑顔は不可欠だろう。
言うのは簡単だが、やるのは難しい……。それも、うら若い乙女となるとなおさらだ。モテない僕に、乙女の心などわかるはずもない。

いや、待てよ。白髪の老人の言葉はその点に関係しているのではないか。
メンタル力を引き上げる本を参考にすれば、何とかなるかもしれない。
恋愛の手ほどきをするわけではないし、シンデレラを口説き落とすわけでもないのだ。
メンタルが強いか否かはわからないが、僕は辛い仕事に耐えてきた男だ。
その経験も、少しくらい役立つだろう。

そんな、こんなと考えているうちに、心は随分と軽くなった。
やる気が漲ってきた、には遠く及ばないが、それでも少しだけ元気になつたのは間違いない。

「やってくれるわね」
女の人の声は、完全な命令口調だ。
それでも、腹は立たない。開き直った僕に恐れるものはない。
「やりますとも。やってやろうじゃないですか」
半ば自暴自棄になって僕は言い返した。

「謙太、よく言った」
祖父が僕に抱き着いた。遅れまいと、女の子が僕の腰にしがみ付く。
あちらこちらから、拍手が沸き上がった。
見れば、二人の老人が仲良く手を叩いている。女の人はけだるそうに拍手しているが、目には光るものが滲んでいた。
お粥やの主人は真っ直ぐに背筋を伸ばして、しっかりと拍手している。
交通事故で亡くなったという男の人は控え目な拍手だった。

「そうと決まったら、いまから向こうの世界に飛ばしてやる」
禿げ頭の老人が勢い込んで言った。
「待ってください。リュックを持たせてあげないと」
白髪の老人の声、「ポンちゃんは置いて行って」と女の子がせがんだ。
「幸運を祈っているわ」
女の人が僕の頬に軽くキスをした。
照れた僕は下を向いた。
視界の隅に、嬉しそうに頬を揺らして笑う祖父の顔が入った。

お粥やの物語 第一部完 シンデレラ救出編へ続きます。


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