見出し画像

お粥やの物語 第4章4-1 「一筋の光明に心が浮き立ちます」

僕は、一心不乱に店主のおすすめを食べた。
自分が死んだという悲しみは、胃袋が満たされても和らがない。

気が付くと、右隣に禿げ頭の老人が、そして左隣に女の人が座っていた。
逃げるように椅子から立ち上がろうとする僕の右肩を白髪の老人が掴み、少女が左肩に顎を載せた。上目遣いで僕を見る少女は不気味以外の何ものでもない。退路を断たれた僕はおとなしく、椅子に座り直すしかなかった。

「僕が公園で死んだのはわかりました……。原因はなんですか。オヤジ狩にでも遭ったのでしょうか」
「お前さん、体に傷がないのを確認しただろう」
禿げ頭の老人が、愚かな奴だというように口許をグニャリと歪めた。

「心筋梗塞よ」
女の人は、居酒屋でビールを注文するように軽い口調でさらりと言った。
「僕が……ですか」
俄かには信じられない話だった。体力には自信がある。二日くらい徹夜しても、一晩寝ればすぐに回復した。健康診断だって、少しメタボの兆候があると言われたことはあっても、大きな問題は見つからなかった。
そんな僕が心筋梗塞でポックリといくなんて……。

「体力に自信がある奴に限って無理をする。自分で気づかないうちに肉体にダメージが蓄積している場合が多いんだ」
禿げ頭の老人の口調は大学教授のように重々しい。
「ブラック企業に三年以上勤めていたのでしょ。そんな会社で馬鹿真面目に働けば体は壊れます」
白髪の老人のよく通る声は、大病院の院長のように厳かだ。

「あなた、心も蝕まれていたのよ。心が弱れば、肉体も悪くなる。絵に描いた構図ね」
楽しいそうに話す女の人の声は、ぼったくりバーのキャバクラ嬢に似ていなくもない。

不意に、女の子が「キャバクラ嬢って何?」と小首を傾げた。
忘れていた。四人は僕の心が読めるのだ。
女の人に頭を引っ叩かれるかと体を硬くしたが、鉄拳は飛んでこなかった。
その代りと言うように「今度、サービスしてあげるから」と女の人は耳元で甘く囁き、ふぅーと息を吹きかけた。
楽しいサービスのはずはなく、僕の首は垂れるばかりだ。

白髪の老人の話によれば、公園のベンチで倒れている僕を、お粥やに運んだのは稲荷神社の狐だと言う。
もちろん、ただの狐ではない。神様に使える聖なる存在だ。
スジ太なんて言って、ごめんなさい。僕は心の中で謝った。

小さな狐が、どうやって僕を運んだのか見当も付かない。僕の記憶としては、自分の足で歩き、狐を追ったことになっている。
老人の話が事実なら、そのとき、僕はすでに死んでいたことになる。まさにゾンビだ。

「あの狐、お前さんに恩を感じていたからな。一生懸命だったよ」
スジ太、いや、狐を野良犬と勘違いして食べ物を与えたのだ。
あの程度で、感謝されるとは、まさに、善他人のためにあらず、だ。

祖父はと言えば、二つ離れた席で、お粥をじっと見つめていた男性客と楽しそうに話をしている。彼がいつ戻って来たのか、まったく気づかなかった。
「交通事故ですか。それは急でしたね」
祖父の声は悲しそうだ。
「奥さんと幼いお子さんを残して来たのは辛いでしょうが、二人のためにできることはありますよ」
祖父が励ますと、男の人は「はい」と力強く答えた。

どうやら、男性客は妻子を残して亡くなったらしい。生前、お粥やの常連客だったのだろう。だから、店主は彼のためにお粥を用意した。でも、男の人はお粥に見つめるだけで口にしなかった……。

僕の頭の中で、ピカリと光るものが走った。
それっておかしくないか。
死んだらお粥は食べられないのなら、僕はどうなる。しっかりとお粥を食べたではないか。お粥は幻ではない。口の中に、まだ鰹だしの味が残っている。

もしかしたら、僕は完全には死んでいないのではないか。
そう言えば、女の人は、シンデレらを助けることを試練と呼び、生き返るために必要だとも口にした。生き返るため……。
一筋の光明が見えた気がして、僕は曲がっていた背骨を思いっきり伸ばした。

第4章4-2へ続きます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?