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【連載小説】 オレンジロード7

伊部たちも、本気で僕を犯人とは思っていないはずだ。嫌がらせの延長でしかない。でも、こんなデマを信じる者がいても不思議ではない。
白川流菜はどうだろう……。
今朝、廊下ですれ違ったとき、心配そうな眼差しを向けていた。

教頭の本間は、明らかに疑っていたではないか。刑事も、僕を疑い続けているかもしれない。
容疑者のままでは気持ちが悪い。
何よりも橙色の自転車を取り戻すことができない。
身の潔白は、自分で証明しなければならない……。

そうは言っても、数学の証明問題のように公式があるわけではないし、答が出せるとも限らない。
タイムリミットは、あと四日……。

ボールペンを握り、佐藤のメモの余白に、四件の事件の場所と時間を書き出した。勢いが付いたペンは、それぞれの事件をグルリと円で囲んだ。
ふぞろいな四つの円はなんとも不格好だ。

人目に触れず、自転車を線路内に運び込むためには、それなりの場所と時間を選ばなければならない。
それから推察するに、犯人はこの近辺の地理に詳しい人間になる。

「高見沢、聞いているのか」新田の威勢のいい声が、鼓膜をブルッと震わせた。
慌てて顔を上げた僕に向かって、窓側から低い笑い声が絡み付いてくる。
「ここは、試験に出るからな。よく聞いておけ」
新田の力強い声が、歪んだ笑い声を掻き消した。

試験に出ると言われて、喜んでノートをとるほど僕は単純ではない。前回も同じことを新田は言ったのに、試験では見事に外された。
でも、もしものこともある。
自分の小心を嘆きながら、僕はせっせとノートにペンを走らせた。

放課後になると、部活に向かう人間はさっさと姿を消し、帰宅部の連中もいつの間にかいなくなっていた。
いま、教室には、僕と伊部一派だけが残っているだけだ。

僕が廊下に出るまで、伊部たちは教室に留まるのだろう。
それが証拠に、彼らは歪んだ笑みを浮かべて、不躾な視線を浴びせてくる。新聞の切り抜きを突き付けて、問い質したい気持ちはある。
だが、知らないと言われればそれまでだ。何の証拠もないのだから。
伊部たちが適当な言い訳をして、先生たちを丸め込んだ様子なら嫌というほど見ている。

胸いっぱいに空気を吸い込み、時間をかけて吐き出した。
椅子から静かに立ち上がり、伊部のほうを見ないようにして出口へ向かう。
伊部の視線が突き刺さったようで、背中に力が入る。
出口の手前に置いてあった机の角に太腿がぶつかると、ガタリと盛大な音がした。それに負けないくらいの、伊部たちの笑い声が教室の中に響いた。

僕は胸の中で二つ舌打ちをした。
一つは背後に気を取られて、机にぶつかったドジな自分に。もう一つは、伊部たちの嘲るような笑い声にだ。

錆び付いたブリキのロボットのようなぎこちない動作で、僕は振り返った。
伊部は、口許に歪んだ笑いを浮かべている。取り巻きの四人は、大口を開けて、下品に笑い続けていた。
第三者が見たら、頭がいかれた五人の高校生にしか見えない。
無理をして一緒に笑うことで、仲間意識を高めているのだろう。一人でいることが不安だからいつも群れている。所詮、一人では何もできない連中だ。

伊部を一瞥してから、教室から出た。無駄に大きな笑い声は続いている。
彼らの嫌がらせが始まったのは、夏休みが終わってすぐのことだ。
きっかけは佐藤にある。
以前から、伊部たちの佐藤に対するいじめには気がついていた。いじめといっても、傍から見れば深刻なものではなく、パシリとして昼飯を買いに行かされたり、体育の時間にプロレスの技をかけられたりする程度だった。
佐藤の顔にも薄い笑みが浮かんでいたから、本人もさして気にしていないと思っていた。本当に辛いなら、佐藤が何かを口にすると考えていたのだ。

九月が始まって間もない暑い日の放課後、忘れ物を取りに教室に戻ると、ぽつんと席に座り、肩を震わせる佐藤の姿があった。
息を飲み込んで近づくと、佐藤は力なく顔を上げた。
つるつるの頬には、無数の涙の跡があり、小さな唇は痙攣するように小刻みに震えていた。

心臓がドクンと鼓動を打った。
佐藤の薄笑いの裏には、たくさんの涙が隠れていたのだ。
その笑いは、回りの人間を欺くためだけではなく、自分の心を騙すためのものだった……。
それに気付いたとき、僕はとても恥ずかしくなった。
プロレス技をかけられて笑いながらギブアップを繰り返す佐藤の姿を、時には他の生徒と一緒に笑いながら眺めていたからだ。

次の日、僕の心は決まっていた。
昼休みになると、いつものように伊部たちから佐藤へのお遣いの命令が下された。
佐藤は仮面のような薄笑いを浮かべながら、伊部たちの側に近づこうと席を立った。すかさず僕は、佐藤の行く手に立ちはだかった。

「飯くらい自分たちで買いに行けよ」
僕は伊部に向かって言い放った。
予期せぬ出来事に、伊部は面をくらって黙り込み、僕をじっと睨み付けた。
僕も、睨み返した。傍から見たら、盛大に火花が散っていたことだろう。

二人の間で立ち尽くす佐藤の体を引きずるようにして教室から出た。
そのときは、自分が嫌がらせを受ける立場になるとは考えてもいなかった。おめでたい人間である。
翌日、僕の机の中に汚れたエロ本が入っていた。
それは、いどめの、ほんの挨拶代わりでしかなかった

オレンジロード8へ続きます。


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