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おっさんだけど、仕事辞めてアジアでブラブラするよ\(^o^)/ Vol, 46 野宿

タジキスタン ヴィシュケント 1日目 
2023.0817 Thu

インドはデリー空港にて。
予約した飛行機の出発時間は13時でしたが、わたしの斜め前に座るおじさんが急にブルブルと震え出しました。そのため急遽予定を変更。とりあえず急病人の様子を見ることにしました。
医師らしい人と機長らしい人が、急病人とその奥さんから事情を聴取。その結果、なぜか機内食をもりもり食べさせるという処置に至りました。
食べ始めること30分。次第におじさんは落ち着きを取り戻し、震えは落ち着き、心なしか顔色も良くなってきています。
しかし、おじさんの様態とは別に、機内の様子は次第に落ち着きを失くしていきます。
そりゃそうです。大した説明もないまま、30分以上も待機し続けているのです。

ハマるか、もう二度と行きたくないか。はっきりと意見が分かれる国、それがインドです。

正確に言うと何事かはアナウンスされたのですが、単にわたしが聞き取れなかったのです。英語のアナウンスもあったのに、隣のインド人に
「なんてアナウンスしたのか、教えてくれよ」
と英語で聞くのも格好悪いので、わたしはまわりの反応から察することにしました。
どうやら、「急病人が出たので、飛行機の出発は遅延する。いつ出発するかは分かり次第アナウンスする」くらいの感じのようです。
まだ30分の遅延なのにトイレに人が列をなし、人々はざわつき、急病人のおじさんの様子を見に来る人がひっきりなしに往来し、なんならおじさんに声を掛け、様子を確認したりする人まで出てくる始末。くわえて、燃料の問題なのか機内の空調が切られ、機内は急に蒸し暑くなってきました。

こんなにも人がたくさん居るのに、これで単なる平日の夜なのですから…。
しかも、これ全員がインド人なのですから…。

そんなとき…。
「This is not India!」
女性の怒鳴り声が機内に響きました。
見ると、前方の席の女性が立ち上がって後ろの席を振り返り、鬼の形相で睨みつけています。
「This is not India!」
ウズベクの民族衣装である艶やかなドレスを身にまとった女性は、もう1度、そう叫びました。
「ここはもうインドじゃないのよ!」
そういう意味合いでしょう。わたしたちの乗る飛行機は、ウズベキスタンの首都であるタシケント行き。ウズベキスタン航空のものでした。
後ろの席の、おそらくインド人であろう男性が立ち上がり、なにごとかを言っています。そして、ウズベキスタン航空の関係者がその場をとりなしに向かい…。
「あーあーあーあー…」
わたしは嘆息しました。
怒鳴られたインド人男性が急病人のおじさんを揶揄することを言ったのか? はたまた単に怒鳴ったウズベク人女性を侮辱することを言ったのか? かのウズベク人女性の沸点がどんな感じかはもちろん知りませんが、悪いのは100%インド人男性でしょう。

いえインド人もこういう場面では良い奴らなのですよ。
ほら、こっちのテンションが高いときはガンガンに突っ込めますから、彼らに!

事情を知りもしないわたしが、なぜそんなことを断言できるのか?
それは、わたしがインドを6週間くらい旅してきたからです。
平気でウソをつく、バレバレでもなんでもかんでも。異常すぎる道路状況、というか交通ルールもマナーも存在しない。列に並ばない、当たり前のように割り込む。人にぶつかっても謝罪はもちろん、振り返りさえしない。ゴミはその辺にポイ捨て、飲食の露店ですらも真横にポイ捨て。騒ぎたいときに騒ぎ、youtubeなどはイヤホン無しの爆音で視聴。音楽も爆音、それがカフェであろうと深夜のドミトリーであろうと…。
誰が言い始めたのか、そして誰から聞いたのか…? 世界を旅するバックパッカーなら知っている、こんなネタがあります。
「世界中でウザがられている人種は、中国人、エジプト人、そしてインド人」
中国人は華僑として、昔から世界中に大勢が進出していました。エジプト人はピラミッド周辺の商売人のことを指しているのでしょうか、わたしは知りません。しかしインド人はわかります。インド人は本当にウザいのです。

6週間あちこち行きましたが、結局インドのことはまったく理解できませんでした。
え? もう一度行きたいかって? インドのことはまったく理解できていないので…。

「This is not India!」
これは強烈です。その男性とインド、両方を一度にぶった切るのですから。
こんなことをもし言われたら、どういう状況であったにせよ、わたしは今後そのことを忘れることができないでしょう。でも、そのインド人男性はすぐに忘れるはずです。なぜなら、彼はインド人ですから…。

そんなインド人にも、良い点がもちろんあります。それはどこにでもカフェを開き、どこにでもホテルを建てることです。
素晴らしい景観を誇る壮大な滝の真横に、“Magic View Cafe”などと称し、トタンで作ったみすぼらしい小屋を建てる。そして、道中の天然の大岩に「Magic View Café →」などと大書きしてしまう。
あるいは、道路工事の作業員や物好きなバイカーをアテにし、建設中の道路の空き地に“カフェ”と称する小屋を建て、そしてその隣に“ホテル”と称する小屋を建てる。ドアを開ければ、そこには薄汚れたマットレスが並んでおり…。

だいたいわたしはインドでロクなカフェに行っていません。
この写真はインドのスタバで撮ったのですが、スタバはインドじゃないですから!

今回タジキスタンを自転車で旅して、わたしはインド人の美点に気づきました。
どんなにみすぼらしかろうが、どんなに小汚かろうが、泊まるところがあるというのはそれだけでありがたいのです。
ウズベクのサマルカンドで自転車を購入し、それでもって国境を陸路通過。そしてタジクのペンジケントを発ったその夜、ホテルのあるアイニという町に到着することなく、その28km手前でわたしは力尽きました。
ヴィシュケントという町の雑貨屋で、わたしは尋ねました。
「このあたりにホステルはありますか?」
みな首を振り、googleマップ上でアイニを指差しました。

最終目標はもちろんパミールハイウェイでありワハーン回廊ですが、
そんなとこまで行かなくても充分に壮大なタジクの山々。


このとき、勇気を振り絞って
「疲れすぎて、もうこれ以上自転車を漕げません。誰かわたしを今晩だけ泊めてください」
そう正直に告白すれば話は違ったのかもしれません。しかし、わたしはできなかった。
そして海外の、初めて訪れた見知らぬ町の片隅で、野宿することになったのです。
怖くはありませんでした。治安の問題は無さそう、というか夜にこんな田舎をうろつく輩などいるはずがありません。そして、蚊や毒虫系の問題も無さそうです。
しかし、“寒さ”という大問題がありました。昼間は直射日光が厳しく、日陰でようやく一息つけるくらいの温度でありながら、夜はかなり着込んでも寒くて眠れないのです。上はロンT2枚にTシャツ1枚、半そでシャツにウルトラライトダウンにソフトシェル、下はタイツにロングパンツに短パン、そして靴下はあるだけを重ね履き。つまり持っている衣類をすべて着込んでも寒くて眠れませんでした。辛ラーメンに具材をいっぱい入れて食べる様子を夢想しながら、長く厳しい夜を独り過ごしたのです。

辛かったかどうかで言うと本当に辛かったし、食い物の夢を見るのなんて初めての経験でした。

翌朝、3kmほど進んだ場所でロシア人のおじさんが独りで住んでいる飯場を発見。そこで温かいチャイとハムとナン、それにウォッカまでもの歓待を受けました。旨かったし温まったし、ウォッカが心に沁みました。

謎のポーズをとってくれたロシア人のおじさん。本当に気の良い人で、僕を見つけるなり
「来いよ! あったかいチャイと飯があるから!」と誘っていただきました。


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