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仕事が合わないなと思ってる人に伝えたい転職3回したアラサーの転職観

 

 

20代で3回転職した収穫は、「どうとでもなるから信じた道を進んでみればOK」「無限にある仕事のなかで、その時々のフェーズや志向・嗜好に合わせてちゃかちゃか変えていった方が自分も組織も社会も幸福」「合わない池で疲弊するより必要とされる池で活躍することが精神衛生にも有効」という3点が早くにわかったことだった、というお話。


このnoteは「どうとでもなるから信じた道を進んでみればOK」の回。


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就きたい職種に超幸運にも就けた社会人1年目、夢と希望に溢れていたはず。


が、2年目を迎える頃には「続けられない・・・」と思うようになっていた。


今でいうブラックな職場で、終電で帰れれば幸せ、土日も出勤、休みは1か月に1回とかそんな感じで。


しかもよく聞く話だけど、仕事内容が「思ってたのと違った」のだ。


というよりむしろ、苦手な事(テレアポとかスケジュール管理とか人の管理とか)が結構がっつりメインな業務の職種だった。


それを知らなかった私は、かけなければならないテレアポの電話が1本あるだけで前日の夜からブルーで後回しにしてもっと嫌になってもうこれ以上先送りにできないってなってからかけて電話そのものでまたどっと疲れてますます苦手意識も強まって…っていう負のスパイラルで溺れていた。


苦手な事を続けると人ってHPを確実に削られる…。


次第に「このままあと1年2年やっていきたいと思える仕事ではない」「太陽とともに起きて太陽が沈めば店じまいする生活がしたい」という思いが強くなり、約2年で辞めると決めた。


辞めろと決意して「辞めます」と上の人に話した時、「もったいない」「あと1年がんばりなよ」と全員に言われた。


でも、当時鬱寸前(というかほぼ鬱)まで追い込まれていたので、「あと1年がんばったところで具体的にどんなメリットがあるのか?」と考えたら何ひとつ浮かばなかった。


むしろこの若い1年をこの繰り返しで終えることが悲劇だと思った。


お世話になった人たちの良かれと思って言ってくれてる言葉はやっぱり気になるものだけど、最終的には「じゃあ1年経ってこのままつらかったら誰か責任をとってくれるのか」と考えたら誰もそんな責任も裁量も持たないし持たないことが正しく、結局自分が自分でお尻を持つことしか方法はないので辞めることにした。


その時に思ったことを今も鮮烈に覚えている。


今でも何か決断する時は結構思い出すのだけど、「辞めてから万が一にでも『やっぱり戻りたい』って思ったら、その時また死ぬ気でがんばればいい」という自分への言い聞かせ。


辞めないことを正義にしない、辞めて違う選択肢を自分に与えることも自分のためになる(というか、する)と考えることにした。


あのまま辞めなかったらと思うと、ぜんぜん想像できないけど後悔した気がする。


「どうせ辞めるのになんであの時先延ばしにしたんだろう」と。


辞めようと決意した時にわかったことが5つあった。


その1. 自分には「苦手な事をやれる器の大きさも我慢強さもない」ということ

苦手なことはひたすらHPを削られ、がんばることもできないことに気づき、自分のだめさ、つかえなさを充分自覚した。


だからこそ、社会で価値を出す(=報酬を得る)ためには価値を出せることを見極めないといけない、と思った。


「もっとできるはず」という発想ではなくて、「素だとこんなにできない事だらけだから、数少ないできる事にスポットを当てないと社会から取り残されるな?」という気持ち。


その無能感が良かったんだと思う。


無能感を自覚していたものの、だからこそ、やりたい事・やってきた事・できる事が重なる部分だけを仕事にしたいと思った。


もう1本のテレアポに生活を振り回されたくなかった。


できない事が多いからこそ、「やりたい事・やってきた事・できる事が重なる部分だけを仕事にしたい」という発想に行き着いた。


その2. 1日8時間はきっちりみっちり働くけど、それ以外のライフが必要だということ


どんなにアドレナリンが出る仕事でも、徹夜すると性格が悪くなったから、社畜になれない…と一瞬で悟った。


その3. 慣習だからとそのまま受け継いだり、右へならえをしたり、そういうことができない

だから大手や老舗は向いていないと思った。

年功序列や暗黙の了解の多い前の会社の反動で、「挙手したら任せてくれる」「出る杭を求める」「年功序列ではなく組織も個々もフラットな環境」という風土を好む自分の志向も把握した。


その4. 会社のブランドは自分には誇らしさをもたらすものではない

会社にアイデンティティを委ねる気持ちは全く湧かなかった。そのかわりといってはなんだけど、成果物への反応は心の支えになった、とか。


その5. 自分の経験や能力やスキルが重宝される仕事&環境で、自分も組織も事業もWin-Win-Winでありたい

イギリス人の友人に仕事を辞めることを伝えた時、「おめでとう!次は何するの?」と聞かれた。ブラックぶりを話すと「仕事のための人生ではなくて、人生のための仕事だからね」と言われた。

自分のバックグラウンドそのものがアドバンテージになる環境を選ぶ必要があると思った。選ぶ責任は自分にある。



この5点、今ではあたりまえに自分に染みついているけれど、当時はこれだけ必要条件があるとさすがに優先順位を付けないと全部は望めないのでは…と思った。


それでも、「日本に生まれて実家もあって、選ばなければ明日からでも仕事はあるから、あせらなくて大丈夫」という発想と、

「これだけ日本にいろんな会社と求人があるんだから、希望に合うものが1つぐらいはあるだろう」という楽観があった。


これがよかったのかもしれない。


あせる必要もないし、死ぬわけじゃないし、新卒カードなくなったからって一生社会人できないわけでもないし、と思った。


あとは「自分の人生を社会の暗黙の了解につぶされたくない、だからつぶされないようにする」という思いもあった。


結果、1年ぐらい好きに旅して、とても前向きに「やっぱり社会的存在意義を感じたいな?」と思って労働意欲が復活した頃に、理想の会社に出会えて即日採用だった。


だから、社会がどう見るか、の前にまずは、自分がどうしたいか、を洗い出してみることが結局はいちばんのベストシナリオへの近道だと思う。


自分がこうしたいと思っていることが、意外と社会が押し付けてる価値観だったりする。

(たとえば大手がいいと思っていても、仕事の粒度やスピードは大手では叶わないものかもしれない)



旅した1年間、ヨーロッパとアジアとアメリカをまわってみて、働き方に関する日本の固定観念の強さを知った。


「みんなと一緒」が苦しいタイプの人は、「みんなと一緒じゃない」ことが価値になる場所に行くとよいよ。



そんなこんなで転職した先は、「え…こんなに自然にできちゃうことでそんなに評価してもらえるんですか…本当に…?」という環境だったので、


どうとでもなるから信じた道を進んでみればOK」というのはこの初めての転職で実際に体験したことだった。


その後「あれ…なんか最近ちょっとちがうかも…」と思ったからさらに転職したわけだけど、違和感に見て見ぬふりをしたり怯えたりしなくなった。


なぜならどうとでもなるという経験をしたから。


転職は自分の幸せのためにするものだしどうとでもなるよという気持ちは本音ですが、一方でマッチングの確度を上げる方法があるのも事実。


それは「好きなことだけ楽しくやって評価される仕事を手に入れる戦略」にまとめました。


「無限にある仕事のなかで、その時々のフェーズや志向・嗜好に合わせてちゃかちゃか変えていった方が自分も組織も社会も幸福」「合わない池で疲弊するより必要とされる池で活躍することが精神衛生にも有効」はいずれまとめる。

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