見出し画像

3周してわかった、田中みな実がひっぱりだこの理由

※すべて個人の感想と妄想です。

特にファンというわけでもないのに、田中みな実の出る雑誌や密着番組をつい見てしまう。ついインタビューを読んでしまうし、つい密着は録画してしまう。そして読めば読むほど、見れば見るほどに、彼女の覚悟と本気とバランス感覚とに唸る。もはやリスペクトの感情に達してきた感すらある。

2021年2月24日に放送された『徹子の部屋』も、気軽にながし見をしていたはずが、気づいたらメモを取りセリフを書き留め考察を始め、3周もしてしまった。『プロフェッショナル 仕事の流儀』も同様に3周済み。

田中みな実という社会現象

田中みな実は今や社会現象である。
かわいいのにあざとい、低身長なのにモデル、アナウンサーなのに女優……。“なのに”という接続詞で、揶揄とも嫌味とも称賛ともとれる形容をされる存在。それだけ語りたくなる多面さを持つ表れともいえる。

なぜか目がいってしまう人、目を向けると離せなくなる人。盲信するでもあら探しをするでもなく、ある意味で“渦中の人”が今回はどんな言葉を語るのかを聞きたくなる。華々しい経歴やズバッと核心をつくコメントが先入観となって最初は「お手並み拝見しようじゃないか」と懐疑的だった彼女への眼差しが、やがて好奇から興味、そして感心や畏敬へと移り変わっていった人も少なくないと思われる。

『プロフェッショナル』で見せた、三方よしの自己演出力

2020年10月に放送されたNHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』では、自己プロデュース力の集大成を見た。素顔をさらけだしているように見せて、その実、印象をコントロールしていると感じた。どこまでが計算でどこからが自然体なのかをあえて限りなく曖昧にし、ミステリアスさを残している。わからないから考えたくなる、知りたくなるーそんな人間の心理を本能的にくすぐる人だな、と思った。

開始3分、ディレクターが「ドキュメンタリーとして撮影されることをどう捉えてますか?」の質問への答えに、彼女のスタンスが表れていた。「逆にどういうものを期待してオファーしていただいているのか」とディレクターへ逆質問。「何のプロフェッショナルでもないから」と述べつつ、「今日お話をして、やっぱり違うなって(なったとしたら)それはそれで(しかたない)と思ったので、今あまり背伸びをしてもしょうがないので、きちんと等身大でお話をしようと思っていました。」とまっすぐ目を見て伝える。

(もちろん編集されたものではあるが、)この一言は、彼女がこの番組をどのように活用するかを決定づけるに充分だった。【飾らない、ありのままの今の私】というコンセプトが、ここでディレクターと合意形成され、視聴者とは共通認識が築かれた。自分が見せたいように定義する、自分の土俵で戦う、そんな天然か意図的かわからないスタンスが、見事だった。「旬がすぎちゃうかもしれないけど大丈夫ですか」とほほえみながらかるく自虐も入れ、笑いも忘れない。そしてそのあとに「彼女は実にあけっぴろげだった。すっぴんも控え室もなんでも撮っていいという。」とナレーションが続いた。

相手が何を聞きたいのかを事前に聞くか聞かないかは、どちらのスタンスもドキュメンタリーとして成立する。あえて聞かずにそのままを撮ってもらって調理法をまかせるか、最初に意図を聞いておいて応えるかたちで多少なりとも演出するか。彼女は後者を選択したように見えた。ただ、最後まで見てみると、「期待された田中みな実」と「枠におさまらない田中みな実」とを行き来していた。強さと弱さ、頑固さと柔軟性、信念と流され力……相反する対照的なものをどちらも見せることでどちらも良い部分が強調され、どんな回答も当たり障りない金太郎飴的な立ち居振る舞いよりも何十倍も印象に残る。期待に応えると見せておいて、そうではない部分を意図的に表すことによって、結果的に人柄と覚悟とを伝える番組になっていた。これが彼女の真の巧さだと思った。機会を活用して自分のものにする力。

そして彼女のすごいところは、一歩間違うとドキュメンタリーが一面的な無味乾燥あるいは一方的な宣伝に終始しがちななか、画のつくり方が平面でも広告でもなく、加えて決してひとりよがりではないところ。作り手がつくりたい画・視聴者が見たい姿・自分が見せたいキャラクターの3つを、三方よしのかたちでつくりあげている。これはなかなかできない。セルフイメージが鮮明な人ほど「こういう風に見られたい」という理想も強く、その理想に縛られて生っぽさや人間っぽさが出ずに、PRビデオのようになりがち。でも彼女は、3点を絶妙な力学で成立させていた。

そして女優だと思った。20万円の美容鍼に「痛ーい」と無垢に笑う姿、「振られてばっかりだから、ちーん」と失恋を揶揄する姿、『あざとくて何が悪いの?』収録中の徹底したあざとかわいさ、収録後の「ちょっとしゃべりすぎたかな」という一言、翌日にも「昨日しゃべりすぎたかなやっぱり」と引きずる姿、全部撮られている前提で求められるキャラを降臨させて話している(ように見える)。

この巧さ、女優っぷりは、どことなく鼻につく存在としてイロモノ的に扱われてきた能力。柳原可奈子の店員のモノマネなどがいい例で、「あるある」と「なんか気にくわない」のバランスがうけていた。だがしかし。田中みな実の場合は、透けて見えるセルフプロデュースも含め、あっぱれと言わせるだけの画力と裏付けとがあり、今や女性の憧れのポジションに到達している。「なんか気にくわないけど気になって見ちゃう」と「ついつい見ちゃう、見ると好きになっていくふしぎ」とがこうも逆転したことは、そうそうないのではないだろうか。

セルフプロデュースに長けていると差し引いて見ていても、彼女の言葉には気迫がこもっていて本音だと思わせる力がある。「120%で応えたい」「ただ目の前のオファーしてくれた人の期待を裏切りたくない」「爪痕を残すとか目立つとかそういうことではなく、使いどころをどれだけ残せるか」「せっかくキャスティングしたのにがっかりだねって思われたくないんですよ、すべてにおいて」「だから一生懸命にやっているっていうだけで何かを極めているわけでもないって思っているんです」に嘘はないと思わせる。

余談1
ライターからあがってきた原稿への赤入れはもはや書き直しだったし、ライターへの電話はめちゃくちゃこわかった、、、それも妥協しない性格として意図的にやっている且つ映しているのであろうおそらく。別のゲラへの赤入れでは「あーあ面倒くさい性格だなあ」と自虐。ナレーションは「田中みな実は面倒くさい人にちがいなかった。でもそれは、嘘をつきたくないだけ、とも映った。」と続くので、ここでもこのナレーションを引き出すための画づくりに思ってしまった(深読みしすぎ)。

余談2
地味にすごいなと思ったのは、編集者との打ち合わせで「メイク系の話をしすぎちゃうと他誌とかなりかぶりが出てきちゃうから」という一言。これを意識しているのがすごいと思う。お笑い番組を見ていると、売れ始めた芸人のトークネタのつかいまわしは日常茶飯事で、好きで見ていても「またこの話か」が続くと飽きて見なくなってしまう。田中みな実はそれが少ない。さまざまな雑誌で田中みな実はしょっちゅう登場するのだが、話の内容はほぼかぶっていない(コスメのアイテムはおすすめなので顔ぶれが同じで当然というかいたしかたないというかナチュラルなこと、それでも新商品をキャッチアップしたり、季節やターゲットによって変化をつけたりしている印象)。

役割も清濁もあわせ飲んでの覚悟

『プロフェッショナル』では、自虐的なシーンにも尺がとられていた。「(ドラマ『M』では)客寄せパンダみたいな意味合いでキャスティングされたことも自分で理解していた。」「全部中途半端だなって。この番組も私が出るにふさわしくないって思ってらっしゃる方はたくさんいると思うし。いいんですいいんです、それで批判してても、『じゃあどんなもんだよ』って見てくれればそれでいいんです。『結局何のプロフェッショナルだったんだよ』で終わっても、見てくれたからいいんです。見てもらえないことには始まらないから、興味を持ってもらえる対象であり続けることが大切なこと。」等々。これ、自分でただ思っているのと、口に出して人に話すのとでは、雲泥の差。自分の発する言葉は自分に重くのしかかるし、それが呪縛になることも多い。それでも、自分がどんな思いで仕事をしているかを語る様子は、覚悟と強さの表れだった。

そしてここに、田中みな実が人を惹きつけるテクニックも垣間見えた。視聴者の感想や視聴者が知りたいことを語ってくれるから、つい見てしまうのだ。「客寄せパンダじゃん」「中途半端じゃん」という批判があるのをわかったうえでやっているよ、という胸の内を見せるのはなかなかできない。一旦その言葉を認めることになるから悔しいし、泣きそうになる。意図してやっている時でさえ。「大変なことも多いですけど、演技が好きなんです。」とにこにこ語られるよりも、100倍重みがある。

自分を否定せず、消費されまいと戦略的に

「局アナに戻りたいとは?」というディレクターの質問に「思いましたよ、何度も思いました。口に出して言っちゃったら、自分のことを否定してるみたいだから…。選択した道は変えられないじゃないですか、戻りたいなって思ったところで戻れないから。」と回答。この”自分を否定しない”は彼女の根幹にある軸だと感じる。(後述するが)親が自分を否定しなかったことや、帰国子女として異なる慣習に意図せず入った戸惑いなどに由来しているのかもしれない。

また、an・anの美乳のオファー。「好きなようにやってください、みなさんが思い描くものを私は表現します、って言った」とし、「自分が求める自分像みたいなものから脱却できたときに、なんかすごい自由になったなって。それは誰からかけられてた制限でもなく、自分が勝手に塗り固めてたものだったんだろうなと思って。求められてるところでしっかり輝かなきゃなって。」と語っている。フリーランスになって仕事のない日が続いていた頃のオファーだったというが、ここで切り替えられたことが後の写真集のヒットや現ポジションの確立につながった転機だったよう。ここが覚悟の原点であり、矜持の一旦であり、一方で消費される恐さを振り返って感じた出来事であったのかもしれない。

「求められることってすごくこわくないですか?求められなくなったときに私の何がいけなかったんだろうって思い始めちゃうと思うけど、別にいけないこととか何が良いかった悪かったじゃなくて単純に飽きられてしまうこともあるから、見飽きたらもうそこで終了なんですよ消耗品だから。」と自戒すると同時に、自分に言い聞かせているようにも、もがいているようにも見えた。だから飽きられないように、求められない日が来ないように、面倒くさくても頑固と思われても自分を譲らない部分を強固に守り、戦っているように見受けられた。消耗品にならないよう考え続け、飽きられることを恐れ、求められることを求めながらも終わりが見えずもがくその姿は、等身大そのものだった。

それを踏まえてだから女優に飛び込んでみた、という伏線にも映った。「自分が苦手なところにしかわくわくすることってないよね」という言葉は、女優という挑戦に飛び込んだ自分への言い聞かせなのかもしれない。「願わくばずっと求められる人間でありたいと思う。でもね商品として自分を磨かずに、『現状そのままです私は』って感じで『求めてください』って座ってるだけじゃ誰も求めてくれないから。使い捨てられてたまるかって思ってます。」とあえて強い言葉で語ったのも、努力と意志を端的に伝える戦略だったと思う。

「プロフェッショナルとは?」という問いに、彼女のスタンスがまとめられていた。「相手が望む以上のものを安定的に供給できる人」「期待に応えるのは当たり前だし応えられないのはプロ失格だし、期待以上のことができたらプロフェッショナルと言えるのではないかと思うんですけど」と語り、この徹底した相手目線こそが、テレビのプロデューサーやアパレルの広告モデルや雑誌編集者などのつくり手から引く手数多に求められる理由だと、ものすごく納得し清々しくさえ感じたのであった。

対談で明らかになったさらなる魅力と人気の理由

ひとり舞台であった『プロフェッショナル』とは対照的に、ホストとゲストの1対1の対談という形式をとる『徹子の部屋』では、『プロフェッショナル』では拾いきれなかった別の魅力が爆発していた。主に際立っていたのは、瞬発力、察知力、そして聡明さ。

魅力1:言葉を大事にしつつの瞬発力

言葉を大事にする人だと思った。
バラエティでのコメント、写真集発売時のインスタライブ、雑誌でのインタビューや連載、ドキュメンタリーで見せた記事原稿への赤入れからも伝わってきていたが、今回の対談で特に彼女の武器だと感じたのが、感情・言葉・期待される役割の整理と処理、何をどの順番で語るかの判断が早く適切なこと。最も伝わる言葉を瞬時に選び的確な間で発する巧さ。

『プロフェッショナル』にて、「(フリーになった時に)身の丈を知るわけですよね、知識力、言葉の数、語彙力のなさ。お金を払ってまで使いたい人になるって実はすごく難しいことなんだなって。」と語っていたが、その時の悔しさが燃料になったのかもしれない。まるで面接かと思うほど、話し方、スピード、視線、しぐさ、回答の簡潔さとわかりやすさが美しく、相手の理解力やスピード感に寄り添っていた。ただただ知的で聡明。

魅力2:本質をとらえる察知力

『プロフェッショナル』で自身の口からも語られていたように、自分の見られ方と求められる役割と期待に応える方法を常に模索し試行する真面目さを持ち合わせている。その探究心が、セルフプロデュース力にますます磨きをかけているともいえる。察知する力、探究心が培われたのは、本質をとらえようとする思考癖に由来するのかもしれない。

ニューヨーク、ロンドン、サンフランシスコで小学校6年まで過ごし、帰国した際にはランドセルや校則の禁止事項の多さに「なぜなのか」と疑問に思ったという。ぶりっこキャラの認知の活用、クセのある役を120%やり切る力は、周囲からの期待と自分の本質とを理解した賜物である気がした。

(一方で見られ方や期待値がわかるゆえに、応じ方もわかるし120%で返そうとする。そしてなんとかできてしまう。だからこその悩みも深いとも感じた。)

魅力3:あえての余白と主張、戦略的人たらし

人としてチャーミング!

『プロフェッショナル』の際は常に撮られているという緊張もあってか、笑うシーンは自虐が多かったが、今回はよく笑っていた。笑顔のなかにも上品さと礼節があり、ほめ言葉への素直な反応、相手の言葉を否定しない謙遜、相手がつい深掘りしたくなる余白のもたせ方はまるでコミュニケーションのお手本。そして純粋に表情や仕草が愛らしかった。たとえば……

・「かわいい」に笑顔でうなずく
・ほめ言葉には照れずごまかさずまっすぐに「ありがとうございます」、「お似合いです」には「恐れ入ります」
・「みなみ買いという風に言われてそういう現象が起こります」にはやわらかく微笑み「恐れ入ります」と(「いえいえいえ」と否定はしない)
・「(ドラマ『M』の)『ゆるさない』というセリフどんな風におっしゃったの?」のフリに、照れたり逡巡したりせず即座に再現度100%で答える
・「救われました」「ありがかったです」と人への恩をまっすぐ表現
・「(衣装を)パンダっぽくしてみました」「とっても怒られました」などイメージの湧く例えや失敗を織り交ぜて話す
・「(写真集では)年相応の粗みたいなものもそこにはきちんと描かれていて、しみとかしわとか」に、徹子さんが大真面目な顔で「でもそんなには私感じなかった」と返すと「うふふ」と(「しわあるんですよこことか!」と無粋に切り返したりしない)
・「トットちゃんを愛読書にしていました」とホストの話に触れ、「英訳もあるんですね。大学で翻訳のゼミをとっていたので、いつか『窓際のトットちゃん』自分で翻訳してみたいなと思っているんです。だから翻訳することができたらぜひ目を通してください」と自然に具体的に好意を伝える

ここまで徹底するのはもはや天性と鍛錬の賜物。ここまで揃ってどれもナチュラルに即返すのは至難の業……!ぶりっこ感は全くなかった。いたって自然体。

魅力その4:教育の活用

『徹子の部屋』では、両親に多く触れ、教育方針や関係性が多く語られていた。以下は主な回答。

Q. お父様の教育方針はどういう風だったんですか?
みな実)3人兄弟で姉もいたので、比べられるのかなと思っていたけれども、親は一切比べることをしなかったですね。こども三者三様それぞれの道をいくという感じで、後押しはしてくれても否定されることはなかったし、奔放に自由に育ててもらいました。

Q. 交渉するというか話し合いの末に結果を出すということを重視するおうちだったんですよね。
みな実)何か欲しいものがあったら、兄弟3人で父親にどうプレゼンしたら買ってもらえるだろうということを考えて、姉はたとえばゲームを買ってもらう時に「1日何本と決めてやります」「お食事の前はしません」とか「やめろって言われたらすぐにやめますが、セーブするまでは待ってください」とかいろいろなことを箇条書きにして父親に提案をして、受け入れてくれるまで交渉をするというのを子どもの頃からやらされてきました。

Q. (フリーになる時)ご両親の反対はなかったですか?
みな実)両親には、フリーになると決めてから、報告という感じでした。そしたら父が「あなたの好きなようにやってみなさい。もしだめだったとしても、あなたひとり分ぐらい面倒をみることはできるので、いつでも帰ってきなさいと言ってくれて、思い切ることができました。

Q. 写真集を出すってなった時、ご家族はなにも心配なさらなかった?
みな実)言ってなかったんですけどこれも。出るということになってから発売前に家族に会うことがあって、その時に「出すんだけど売れなかったらどうしようって考えると夜も眠れない」という話をしたら「大丈夫!がんばって家族で売るから!」と言ってくれて。母もともだちに宣伝してくれたりとか、姉も会社の人に言ってくれたりとか、たくさん親戚が買ってくれたりとか。

両親が教育方針を持ち、子どもに伝え、砦になっていることがわかるエピソードの数々。厳しさと受容は両立しづらいし、子どもへの愛情を親が抱く通りに伝えることは決して簡単なことではない。子ども時代に実感していたかはわからないが、どんな挑戦も否定せず、応援し味方でいると今も事あるごとに伝えてくれる両親の存在は大きな後ろ盾になっているのでしょう。何歳になっても理解者は多ければ多いほどいいものだし、芸能界という厳しい場所だからこそ、身に沁みて感謝の念も強いのかもしれない。

魅力その5:覚悟とそれを語ることによる追い込みという土壌

ここが、一過性で終わらせないための戦略と感じる部分でもある。裏話や努力を見せたくない/見せないのがプロだと称されることもあるなかで、彼女は”中途半端”だからこそ葛藤を見せる。きれいな姿だけを見せることの方が簡単なのに。フリーになって1年もたず打ち切りになり身の丈を知ったことが転機になったようだった。

みな実)突然アナウンサーになるって言い出したり、突然フリーランスになるって言い出したり、比較的思い切りがいいのはだれに似たんだろうねと親も驚いています。
徹子)それはご自分でやっぱり考えて……?
みな実)そうですね、決断する時は早くて、突然決めてしまって後先考えずに行動してしまいます。
徹子)うまくいきました?それはだいたい。
みな実)直感で選択することはうまくいっていると信じています。自分で「うまくいったって、この道を選んでよかった」って思わないと、自分を否定することになるような気がして。

Q. 嫌だなって思ってもYesって言わなくちゃいけないこともあったかと思うけど、どうですかフリーにおなりになってみて。
みな実)フリーになって、Noって否定しなくて、Yesでやってみたらそこで見えてきた景色もあったから、食わず嫌いはよくないなって思ったし、自分の可能性を自分で狭めてしまってはもったいないなという風に感じました。

Q. あとはどういう?
みな実)あとは、局アナの頃っていくつ番組を担当していてもお給料なので同じなんですけど(笑)、残業代がちょっとつくかなぐらいだったけれども、今はやっているお仕事ひとつひとつでお金が発生しているって思うと、より緊張感をもって、自覚責任をもって仕事をしているなと思います。(略)今はこの先どうなるかもわからないし、10年後ここでお仕事ができているかわからない。だからひとつひとつの仕事を丁寧にやっていって、求められる存在であり続けることが大切かなと思っています。

覚悟があるよ、と表明することは、自分へのプレッシャーになる。自分にプレッシャーをかけて、伸びるしかない環境へと追い込んでいるようにも見える。自分を伸ばせる人は伸びる土壌を自分で用意するのが上手。

魅力その6:伸びしろの示し方が上手

プロフェッショナルでも「求められることに120%で応えたい」と語っていた。その思いには覚悟と真摯さを感じる。周りは半分おもしろがっているのだとしても、「次はあれやってもらえたらどうだろう」と期待する。自分の覚悟と信念を語ることで、周りをすくなくとも観覧者、あわよくば応援者に変えている。好きの反対は無関心、この類の仕事では無関心ほど残酷なことはない。期待は伸びしろとニアリーイコール。周りが彼女にかける期待が、周りが自分に見出している可能性でもある。自分にプレッシャーをかけつつ、期待につぶされることなくうまく活用して自分に還元している。つきあい方や折り合いのつけ方を自分のものにしている印象。

総論:ひっぱりだこは必然だった

ひっぱりだこになるだろうなという納得感しかなかった。人気を博すのに偶然はないが、人気の理由がこれほど多岐にわたる人もめずらしいのではと感じた。プライベートや仕事観などを語らない女優、会社員である局アナ、どろどろした部分は極力見せないアイドルなど、どのポジションにも当てはまらないからこそ多様な見せ方が叶い、独自のポジショニングを築き、多彩なエピソードを追い風として利用している。

知的なのに軽やか、いじりもするのにいじられもする、空気を読むのに己を貫く、執着はないのに大真面目、刹那と覚悟しているのに消費されたくないと毅然と語る……などなど、やはり接続詞は”なのに”なのに、”なのに”の前も後もほめ言葉になってしまう。それこそが彼女の人気たる所以であった。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?