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詩学探偵フロマージュ、事件以外 星野木邸へ押しかけ営業

 前夜に電話があった。
「朝九時、星野木邸の前で落ち合おう」
 ケムリさんは手短にそう告げて電話を切った。
 電話が大の苦手なのか、
 愛想も何もあったもんじゃなかった。
 こっちはプライベートでのんびりしている時に
 電話が鳴ったから
 何かのお誘いかとかちょっと考えていたのに。
 とにかく、そんなわけで一夜が明けると、
 私は星野木邸に向かった。
 星野木邸は、ケムリさんの事務所の一つ先の角を
 右折して左折してもう一度右折したところにある。
 大豪邸だ。前の晩にネットで調べたところでは、
 この星野木氏はかなりの富豪らしい。
 思想的には右寄りで、首の骨的には左寄り
 というのが、ネットでの評価だ。
 わりに過激な発言で知られる人物のようだ。
 骨盤を矯正するべきか思想を矯正するべきか。
 恐らく両方だろうが、もう高齢でもあるから、
 このままなのだろう。
 その星野木邸に一体何の用があるのか?
 前日の緊急ミーティングのへんてこな内容が、
 この一件に絡んでいないとよいのだが。
「お待たせ」
 門の前に現れたケムリさんは、エプロンをして、
 トレイに大量のチーズをのせて立っていた。
「な、何をしてるんですか?」
「見てのとおり、チーズを用意した」
「それはわかりますが……」
 まあ見ていろ、と言ってケムリさんはインターホンを鳴らした。
〈はい、どちら様でしょう?〉
 女の声が出た。
「〈不老不死フロマージュ屋〉です。チーズはいかがですか?」
〈チーズ……ですか?〉
「ええ。不老長寿のチーズです。
 もうこれを食べると今日とそんなに
 皺の数が変わらない明日を迎えられます」
 なんと適当な宣伝文句……。
 詐欺寸前ではないか。
〈少々お待ちください〉
 ほどなくゲートが自動で開いた。
 どうやら中に入っていいらしい。
「ニーズを創り出す時代だからね。
 いっそチーズでニーズを、と洒落こんでみた」
「……ほぼ予想どおりです」
 我々は中に入った。
 星野木邸の応接間は、まるで神殿のようだった。
 現れたのは美しい女性だった。
 彼女はケムリさんを見て、それから私を見た。
 が、私には1秒ほどしか視線を向けずに
 ケムリさんのほうを再び見る。
 そりゃあそうだろう。
 チーズのトレイをもったエプロン姿の変態好男子なんて
 そう滅多にお目にかかれる代物じゃない。
「チーズを売りにいらしたとか?」
「そうです。チーズが必要ではないですか?」
「必要ないわ。不老長寿も必要ありません」
「星野木さんの娘さんですね? お父様は?」
「外出中です。とにかく、不老長寿は必要ないわ」
「しかしお父様は……」
「父はチーズは嫌いだもの」
「残念。でもチーズは便利ですよ? たとえば、
 そうですね、部屋のカーテンの代わりに、
 チーズを伸ばして窓に塗る、なんてことも」
「けっこうですわ。間に合っています」
「では腕時計の替わりに。
 チーズが時間を教えてくれることはありませんが、
 時間がチーズを教えてくれることはあるでしょう」
「……言っている意味がわかりません」
「遺産相続問題が起こったとき、
 チーズが姉妹の仲をとりもつことも」
「姉妹はおりません。お引き取りを」
「……仕方ない。帰ろう」
 なんと、ケムリさんはあっさりと引き下がった。
 玄関へ向かって歩きながら私は小声で尋ねた。
「何しにここへ来たんですか?」
「星野木さんが不老長寿の薬を求めているとの噂を
 聞いてね。フローチョージュ/フロマージュ。
 頭韻と脚韻を踏んでいる。素晴らしいと思った。
 ところがその娘は我々を一度は招きつつも
 すげなく追い返した。
 なぜなのか? 恐らく、御父上が外出中だと
 思わせるためだろう。
 そして、父親が不老長寿に興味があるなら、
 金持ちなんだから一かけらくらい買えばいいのに
 結局追い返した。その必要がないからだ」
「どういうことですか? 一体……」
「気づかなかったかね? 
 カーテンについた血の染みを」
「まさか……! さ、殺人を!」
 ちょうど門の外に出たところだった。
 私は背後をふりかえった。
 窓からあの女性がこちらを凝視していた。
 ぞくりとした。
「なーんてことがあったら良かったんだけどね」
「え……?」
「カーテンに血の染みはなかったよ。残念。
 だから、ただの押し売りだ」
「なーんだ……」
 一杯食わされた。
「結局、ノープランじゃないですか」
「そうだな。ニーズをチーズで創造するのは失敗。
 午後は次の手を考えよう」

 だが、私はその夜のニュースで知ることになった。
 星野木邸の主人が、
 何者かによって殺害され、自宅の裏手にある山に
 埋められていたことを。
 あのときは、もしかしたらまだ死体は屋敷に
 会ったのかも知れない。
 ケムリさんは、あと少しでニーズを創造できていたかも。
 ついでにその「依頼人」が犯人という劇的な
 ハードボイルド的結末だって待っていたかも知れないのだ。
 惜しいことをしたなぁ……。
 でもそんなことよりも、エプロン姿の
 ケムリさんを思い返すと、ついムフムフと笑ってしまうのだった。
 
 私は──そんな私を気持ち悪いなぁと思った。

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