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詩学探偵フロマージュ、事件以外 意外な犯人

「そもそもどういう依頼が来てほしいんですか」
 という話題が暇な探偵事務所では上がりがちだ。
 入社以来半月ちかくまったく収益なし。
 いよいよ焦った私はまずは探偵のニーズを、
 と考えたわけだ。
 すると我らが詩学探偵フロマージュ、こと、
 土堀ケムリさんは足を優雅に組み、
 今日も今日とてカマンベールチーズを食しつつ
「よくぞ聞いてくれた」
 と身を乗り出した。
「前言ったみたいな無茶は言わないでくださいね。
 頭韻法の事件とか、そういうのは無理です。
 もっとアバウトなことを言ってください。
 ざっくりでいいんです」
「逆に難しいな。何か頼まれて、
 ちょっと動いて解決する、みたいな依頼がいいな」
「たいていの依頼はそうですよ。
 語義的に依頼ってそういうもんですし」
「ざっくりでいいって言うから」
「もっと何かあるでしょう?
 人探しがいいとか、猫探しがいいとか」
「そういうのは興味ないね」
「じゃあ、意外な犯人が最後に出てくる、とか」
「……それ逆に聞くけど、
 依頼の段階で見抜けるの?」
「見抜けないですね。見抜けないですけども……」
「でもそれがいいな。意外な犯人の出てくる依頼。
 井上、井之頭、伊能の三人が容疑者で、
 被害者が「いの」とダイイングメッセージを残し、
 倒れている」
「その場合、誰が犯人だと意外なんですか?」
「三人の名前のinoが頭韻法によって、
 激しい感動を与えたために被害者の心臓が静止。
 犯人は人間ではなく頭韻であった、とかね」
「ううむ……それは確かに意外かもしれませんが、
 さすがに見つけられそうにありません」
 その時、電話が鳴った。
 依頼の電話だ。
 私が受話器をとると、男の声が言う。
「オーマダム、意外な犯人を探してほしいぬです」
 ホシーヌデスという言い方にフランス人ぽさがある。
「……すみません。マダムじゃないです。
 それで、どのような事件が起こったので?」
「事件はいまだ起こっていないーぬです。
 でも、意外な犯人を……ああ痒い……」
「失礼しまーす」
 私はガチャンと電話を切った。
「依頼だったんじゃないのか?」
 ケムリさんは怪訝な表情で私を見る。
 口の横にカマンベールチーズがついているが、
 かわいいので指摘しないでおく。
「ええ。意外な犯人を探してほしい、と。
 事件も起こっていないのに、ですよ」
「俺好みの依頼じゃないか。
 なぜ断った?」
「犯人が分かってしまったので」
「なに……? 犯人は誰だ?」
「決まっています。
 いまだに起こっていない事件の犯人は、
 蚊です」
「蚊?」
「電話の主はフランス人だと思います。
 なので、フランス語で考えるに、
 〈事件〉は〈cas〉です。
〈いまだ事件は起こっていない〉ということは、
〈cas〉が生成されていないわけですから、
 犯人は〈ca〉。〈ça〉ではなく〈ca〉となると、
 それに相当するフランス語はパッと思いつきません。
 そこで、ここは日本なので〈ca〉を〈か〉と
 読み換えます。ですから犯人は蚊。
 しかも切り際に依頼主は〈あーかゆい〉と。
 もう動かぬ証拠ですね」
「ではなぜ電話を切った?」
「私は探偵の助手です。
 私が思いつくような真相は、
 ケムリさんも簡単に思いつく。
 となると、これはちっとも意外な犯人じゃない。
 そんなわけで、電話を切りました」
 なるほど、と言ったきり、
 しばらくケムリさんは黙った。
 それから、しげしげと私の顔を見つめた。
「どうかされましたか?」
「いや……夕方五時だ。飲みに行こう」
「お供します」
 私たちは事務所を退社した。
 今日も、何の依頼もなかった。
 いや、あったけど断ってしまった。
 それなのに、ケムリさんはいつになく上機嫌だった。
 夜になって考えた。
 あの時、ケムリさんはなぜ私を見つめたのだろう?
 初めて私の存在を認めてくれた?
 それからうふふと私は枕に顔を伏せて笑った。
 なぜと言って、今日、夕食を共にする間、
 ケムリさんの口の横についているチーズを
 ずっと指摘しなかったので、
 去り際まで見事にケムリさんはチーズ付きだったのだ。
「かわいい、かわいすぎた……」
 私は足をバタバタさせた。
 そして思った。ケムリさん、今日のあなたを
 いつもより魅力的にした意外な犯人はチーズでした、と。


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