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詩学探偵フロマージュ、事件以外 初依頼途中語り

「そんなことがありまして依頼をゲットしました」
 私はやや唐突に、そんなふうに切り出した。
「『そんなこと』?」
 探偵フロマージュこと土堀ケムリが聞き返す。
 私はあえてその問い返しをスルーする。
「どうしましょう? 引き受けますか?
 あの人の話となると少々厄介な案件ではあります」
 ケムリさんはしげしげと私の顔を覗きみる。
「あの人……」
 物問いたげな目をしている。
 が、やがて疑問を飲み込んだ。
「……なるほど、たしかにな。
 だが、依頼を断れる状況でもない」
「それにあの事件に不審な点が
 多々あったのは確かです」
「……俺も以前からそれは気にしていた」
「ですから、まずは調査から始めるのがよいかと」
「それで、報酬は?」
「百万円です。すでにお振込みいただいている様子」
「それはすごい。百万円といったら、
 二千円札が五百枚ってことか」
「どうして二千円札でカウントするのか謎ですが」
「二千円札で五百枚ってことは……
 いくらになるんだ?」
「だから百万円でしょ……」
「計算早いな」
「最初に答えがあるんですよ」
 少し頭痛がしてきた。
「探偵志望なの?」
「あなたの助手ですけれども」
「しかし厄介だな。
 あの事件にはチーズを挟む余地がない」
 探偵フロマージュは何事にもチーズを
 絡ませたがる。
 物事の真理にチーズがトッピングしてあれば、
 きっと満足するのであろう。
「それは問題ございません。
 なぜなら依頼人はチーズが凶器に使用されたと
 話してくれました」
「チーズが凶器……なるほど。
 冷凍で堅くすればたしかに凶器になるか。
 なぜそれがわかった?」
「依頼人の疑っている人物は、
 事件直後にチーズを食す姿を見られています」
「なるほど……すると凶器はもうこの世にない。
 証拠のない犯罪を立証するわけか」
「そういうことになります」
「よし。まずは現場検証だ」
「現場が、チーズの匂いのする場所、としか
 わかっていないのです」
「そんな馬鹿なことがあるか」
「この話は先週もしました」
「先週……そうだったな。
 現場は銀座のチーズ専門店〈貴腐ミルク堂〉」
 ずっとリードしていたはずが、
 くるりと手綱を奪われた。まずい展開だ。
「チーズの匂いがする場は他にも……」
「いや、〈貴腐ミルク堂〉に間違いない」
〈貴腐ミルク堂〉は都内でも最高峰のチーズ店だ。
 まずい。完全にケムリさんのペースに持って行かれる。
「あのお店は入店するのに
 最低でも一人百万はかかるのでは?」
「そうだ。二人で二百万。
 だが背に腹は変えられない。
 さいわい、依頼料が百万振り込まれている。
 わが社の預金からあと百万引き出せば二百万」
「大赤字です」
「馬鹿をいうな。
 二千円札にして千枚だぞ?
 八百万円の利益じゃないか」
「ど、どういう計算ですか……!」
 ああ私の計画は完全に狂ってしまった。
 依頼の話は真っ赤な嘘である。
 今回はホラティウスの『詩論』のなかに出てくる
 イン・メディアス・レスの理論を用いた。
 すなわち、物事の途中から語り出す技法。
「そんなわけで」「あの人」「あの事件」
「先週もした」
 のようにすでに私たちのなかではある了解事項が
 あって途中から語り出しているかのようにして
 話してみた。
 無論、「ふり」なのでそんな話は全くしていない。
 だが、さすがは詩学探偵。
 即座にその私の意図を察知して、
 ケムリさんはイン・メディアス・レスにのっとり、
 あたかも「事件」や「人」を知っているかのように、
 会話を進めてくれた。
 依頼料の百万は、私が事前にローンを組んで
 会社宛てに振り込んでおいたものだ。
 少しでも会社を黒字経営にしなければ、
 会社がつぶれてしまえば路頭に迷うと考えての
 苦肉の策だった。
 いま考えれば愚かな策だが、
 営業がうまくいかなかったので仕方なかった。
 それに、ケムリさんのよろこぶ顔が見たかった。
 だが、結果的に喜ばせすぎたうえに、
 勝手に現場を指定されてしまい、
 ケムリさんが行きたいだけの
 高級店〈貴腐ミルク堂〉に付き合わされることに。
 しかも、依頼料という名の自腹……。
「どうした? 泣くほど嬉しいのか?」
「は……はい……とっても」
 さようなら、私のローン。
 私の百万円は今日死んだ。
 凶器はチーズ。
 まあでもケムリさんはすごくよろこんでいる。
「〈貴腐ミルク堂〉といえば極上のスティルトンが
 あったはず。いやぁ涎ものだなぁ。
 君が泣くのもムリないかぁ」
「ええほんとに……」
 私たちは〈貴腐ミルク堂〉へ行った。
 そこでじつに当初の予算を超えて、
 二百五十万を使った。

 フロマージュ探偵事務所には、
 まだ一件も依頼はきていない。

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