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詩学探偵フロマージュ、事件以外 2日目:依頼人を探せと依頼人は言った(前編)

 二日目の勤務は、掃除から始まった。
 土堀ケムリさんはといえばソファで寝ており、
「起こすまで起こすな」とのメモがある。
 まあそれは構わない。
 まず取り掛かったのは床の書類の山だ。
 勝手に触ったら怒られるかなと思ったのだが、
 よく見るとぜんぜん大事なものでもなさそうだ。
 大半が怪しげな娯楽雑誌。
 またタイトルからして怪しげだ。
『韻文たちの夜事情完全攻略』、
『この行間がすごい!』、
『秋の語りこなしコーデ徹底研究本』などなど…。
 私はそれらを紐で縛って部屋の隅に並べる。
 前の日に営業に行けと暗に仄めかされたが、
 それについては午後に確認を取ろう。
 ひとまず片付けが優先だ。
 このオフィスはモノが少ないわりに小汚い。
 机、ソファ、冷蔵庫、電子レンジ、
 机の上にはデスクトップパソコンが一台。
 今の時代、大抵の事件ファイルはPCの中だ。
 だから雑誌と瓶、缶、お菓子の袋さえ片付けば、
 そこそこきれいな部屋になるはずなのだ。
 そこへ電話がかかってきた。
「もしもし、フロマージュ探偵事務所です」
 ケムリさんは探偵フロマージュと呼ばれる。
 そこから後付けで事務所名が決まったらしい。
「私の名は依頼人。依頼に形を与えるために電話した」
 男の声は奇妙なほど表情がない。
「どのような依頼でしょうか?」
「井上に好かれて困っている」
「なるほど、ストーカー対策ですね?」
「ついては、風呂に入って荒れたいと思う」
「……それは、お気持ちお察しします」
 これは新手の悪戯電話か。私はしばし考える。
 次に飛び出す台詞は君と風呂に入りたいとか、
 そんなセクハラ発言ではなかろうか。
 ところが予想に反して相手は次のようにいう。
「私を探し出せ。探し出せば、探し出される」
 呪文のような言葉を残して電話は切れてしまう。
 一応メモを取りながら聞いていたのだが、
 電話を切ってからいざメモを見てみると何とも妙だ。
〈依頼人、形を与えるためTEL〉
〈井上←女性? 男性? ストーカー被害〉
〈荒れて風呂……愚痴? べつの意味?〉
〈依頼:依頼人を探し出す〉
 読み返してみて、やはり悪戯電話か、と思った。
「依頼か?」
 メモ書きをじっと眺めていたら、
 背後からケムリさんに尋ねられた。
 ケムリさんはソファの上で伸びをしている。
 寝ぼけた目は、本人の意思とは無関係に、
 普段より刺激が強い気がした。
 ああいけないいけない。
 私はかぶりを振って邪念を追い払う。
「いや、たぶん悪戯電話です」
「それを判断するのは君の役目か?」
「……ケムリさんの役目ですね」
 ここは探偵事務所。探偵はケムリさん。
 こちらは助手に過ぎない。
 出過ぎた発言だっただろうか。
「いや、君の役目だ」
「私の役目なんですか……じゃあ悪戯電話で」
「君はされた悪戯を放置するのか?」
「通報するほどでもないですからね」
「愚かだな。悪戯されたらワクワクすべきだ。
 なのに君ときたらどうだ? 白けた目をして」
「……いやあ、たのしみ。わくわく」
「棒読みだ」
 ケムリさんは冷蔵庫から炭酸水を取り出して、
 ボトルから直接飲んだ。
 今日のケムリさんは昨日より青白い。
「体調が良くないのですか?」
「寝起きはこんなものさ」
「寝ぐせも盛大ですね」
 カーテンの隙間から差し込む陽光に照らされ、
 色素の薄い髪は今日も黄金色に輝いている。
「ああ、これはサービス」
「何のサービスですか……」
 ケムリさんは問いに答えずメモ書きをじっと見る。
「依頼は依頼人を探すこと、か。
 だが、同時に形を与えるために電話した、とも」
「意味不明ですね」
「意味は不明どころかシメイだ。
 シメイはトラピストビールでもかなり上質。
 つまり芳醇なる意味をもつ」
「わかりにくいダジャレはやめてください」
「それにしても君は卑俗な推測ばかりしているな。
 これではいつまで経っても俺の助手として落第だ」
「え、どのへんが卑俗なんですか?」
「まず勝手にストーカーと推測している。
 さらには男か、女か、などと」
「……だいたい人間は男女どっちかですからね。
 もちろん今の時代生物学上の分類だけでは、
 推し量ることはできませんが……」
「そんな話はしていないよ。君はつまらない奴だな」
「……入社して間もないのに手厳しいですね」
「俺はいつでも最上級を求めるよ」
 そのベクトルが掴めないのが問題なのだ。
 こっちだってケムリさんの指針が見えれば
 努力のし甲斐もあるのだが……。
 すると、ケムリさんはおもむろに
 私の鞄に視線を向けた。
「君の鞄には一眼レフのカメラが入っているね?」
「よくご存じで」
 なぜ知っているのだろう?
 一眼レフを所持している話は飲みの席でしかしていない。
 昨日ケムリさんを隠し撮りしようとしたときは、
 あえてレトロに撮りたくてインスタントカメラを使った。
 つまり、勤務中には鞄の中身の話なんかしていないのだ。
 やはりあの夜の記憶があるのだろうか?
 だが、今はそれを尋ねるタイミングではなかった。
「そのカメラで電話を写してみたまえ」
「え……?」
「一眼レフで、電話機を、写せ」
 私は訝りつつ、鞄の中からライカの一眼レフを取り出した。
 一体、こんな行為にどんな意味があるのだろう?
 

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