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昔一度書いてデータ喪失した小説を脳内データで復旧してみたの巻 小説「じん・じん・じん」全文公開

 今から10年以上前はワープロで書いていたんですが、そのワープロが壊れた結果、いわゆるフロッピーディスクというやつに眠ったデータが取り出せなくなってしまった。まあプロになる前の原稿だし、それでもべつに惜しくはなかったわけだが、不意にその中の一篇の情景がよみがえってきた。これ、もしかして脳内データがあれば、数時間でワンチャン書けるんじゃない? そう思ってツイートしたところ、100イイネが集まったので、本来であれば確定申告をやる時間に、書いてみることにしたのでした。以下は、その全文。そんなに長くないので、よかったら家事の合間やお仕事の昼休みにでも読んでみてくださいませ。

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小説『じん・じん・じん』

 まったく馬鹿げた暑さに馬鹿げた仲間たちだよ。この猛暑のさなかに炎天下の河原でバーベキューをやろうってんだから。あいつらの口癖はわかってる。冷たいプレモルがあるじゃないかってやつさ。あのなプレモルは、エアコンのきいた店で飲むから冷えてるんじゃないのか? この炎天下じゃプシュッと開けた瞬間にもうぬるいよ。

「何はともあれ、おつかれー。かんぱーい」

 馬鹿野郎。俺はおまえたちにおつかれだ。乾杯? 太陽に焼かれて灰でも乾かすつもりか。で、何だ、この無理くり連れてこられた挙句肉を焼く係だの野菜を切る係だのと七面倒くさい。どうしてわざわざ仕事が休みになったってのにこんなことやらされなきゃならんのだ。

「ヒロシ、肉そろそろ焦げるよ」
「あ? ああ」

 今のはカノジョのマイ。付き合って1年目まではお互いの温度差をやり過ごしていたが3年目ともなると誤魔化しがきかない。まるでダメ。趣味なんぞ合わなくたって気にしない。どうせ同じ映画を好いたところで好きな部分はちがうに決まってる。そんなことはどうでもいい。だがズレが面白くなかったら面白くない。つまらないズレにも味の出るのとガムみたくやがて分解しちまうのがあって、マイとの関係はたぶんそっちだ。

 マイがこのバーベキューに乗り気だった理由はわかってる。俺の友人の逸雄に気があるんだ。態度を見てりゃわかる。しゃべり方なんかが急に幼い子どもみたいになって、俺のほうはそんなマイを見ているともう何だか従妹のストッキングに穴が開いてるのを見つけたみたいな気分でね。だから今もマイがせっせと火の世話をする逸雄を団扇で煽いでやったりしてるのもあーはいはい、あーあーあーってな気分なわけだよ。

 とにかく肉はたんまり焼けた。逸雄のカノジョが俺にプレモルを運んできた。こいつはマイの言動をどう思ってんだろうな? 逸雄もまんざらじゃないって反応してるから、この子は気が気じゃないのかもな。ああ、それでせめて何か行動してないと発狂しそうだから俺にプレモルをもってきたのか。

「肉焼くの、上手だね」
「鉄板に載せるだけのことにうまいも下手もあるかよ」

 ぶっきらぼうになったのはこの子の名前を思い出せなかったからだ。何だっけなこの子、一緒にあそぶのは今回で3度目なんだが。まあいいや。俺はぬるいプレモルをぐびぐび飲んだ。なにが冷えたビールだよ。こんなもん喜んで飲めるか。そのうちきっと水遊びしたくなったとかいう馬鹿が出てくる。男でも女でも、脱ぎたいやつが言い出す。お好きに。どうでもいいけどこの時間はおまえらの時間だけど俺の時間でもあるんだ。わるいが、俺は木陰で音楽聴きながら本でも読む。グレアム・コクソンのアルバムに、ブコウスキーのだらだらした何かだ。どうせあらすじ追える気分じゃない。何の話だかわからない話のほうがこういう日はいいんだよ。あらすじを追うにはここは馬鹿が多すぎる。

 そうだな。どうせなら対岸にいこう。この河川はさいわい浅瀬だ。五分もしないで渡れるさ。肉は焼けた。肉は、もう、焼けたんだ。もうしばらくはバカ騒ぎしててくれよ。馬鹿はバカ騒ぎが得意なんだろ?

 真夏の川は最初こそ生ぬるく感じるが、しばらく行くと足の裏あたりはひんやりしてくる。コケのぬるぬるした石ですべらないように前進。膝にもかからない程度の深さだから大したことはない。これなら日曜の朝のマイよりも邪魔にならない。

「どこ行くんだよ? ヒロシ」

 逸雄の声だ。ヒロシって誰だっけ? ああ、俺か。そうだ俺はヒロシだったっけ。こう暑いと自分の名前までどうでもよくなってくる。おまえは俺のことなんか気にせずその、何だっけな、ああそうだ、マイだ、マイとよろしくやっとけよ。そんでそこの名もないカノジョと天秤にかければいい。人生は自由だよ。

 俺は手だけ振って先へと進んだ。ようやく陸に上がると、妙な感じだ。体が前より重くなったみたいだ。宇宙飛行士も地球に戻るとこんな感じなのか。足が妙にだるいな。そりゃそうか。膝から下はけっこう苦労してここに辿り着いたんだからな。きっと俺のすね毛に何尾もの稚魚がちょんちょん触れたんだろうし、ああほら足が川くせぇな。しょうがない。これはもうしょうがない。ぬるいプレモルで忘れるしかない。それで、あれだ、グレアム・コクソンだ。俺はイヤホンをつけて爆音でグレアムのアルバムをかける。なんだってコイツはブラーを脱退したりしたんだろうな。デーモンと仲良くやれよ。こんなカントリーなロックもいいが、ブラーがおまえの場所じゃないのか。ちがうのか。そうか。じゃあいいや。

 で、なんだっけ? ヒック……ああそうそう……ヒック……おいおいしゃっくりは早いんじゃないのか? まだ500ml缶を半分飲んだだけだぞ? 半分てことはつまりは250mlだ。こんな調子じゃ残りの250mlで俺は天国に行かなきゃならなくなる。まあいいや。とにかくブコウスキーさんよ。同じ馬鹿ならブコウスキーさんの話を聞くにかぎるよ。そのほうがずっとか有意義だ。べつに意義なんか要らないけどな。

 と、まあ活字に目を向けたのとその娘に気づいたのはほとんど同時だった。俺が本をこう持ってるその本と同じベクトルにその娘はいて、スカートの裾を片手で持ち上げながら川に入っていくのさ。それが妙なもんで、その子ときたら川の中から石を拾っては、たくしあげたスカートを袋代わりにして石を入れてくんだ。おいおい、馬鹿はここにもいるのか? 河川には馬鹿しかいない決まりでもあんのか? 俺はやれやれと溜息をつきたい気持ちでヒックヒックと繰り返した。まあいいや。みんな勝手に生きろ。とにかく俺はブコウスキーを……。

「手伝って」

 最初はそれが俺に向けられた言葉だとはまったく気づかなかった。音楽も爆音だったし。だが、娘は俺をにらむような目で見ていた。いやたぶん睨んでた。怒ってた。言葉にだして言う前から俺が動くべきだったとでもいうみたいに。でも妙だな。それが全然嫌な気分じゃなかった。娘の雰囲気のせいか。年齢もよくわからない。ややすっきりしすぎた顔で、カミサマももう少し創意工夫してもよかったんじゃないかって気がしないでもない。だが彼女は何であれ、そんな自分自身に頓着していないように見えた。頓着。ああ、それだ。それが大事なんだなきっと。この子は自分がどう見られてるかなんてどうでもいいんだろう。何しろ、こんな河川でスカートたくしあげても平気でいるんだ。人目を気にしているわけがない。彼女はいま石を拾って集めることに夢中なんだ。それ以外はどうでもいいし、そばにいる人間は蛸でも使えってことなんだろう。だからあんなに腹を立ててる。

 俺は愉快な気分になった。こんな気分は久しぶりだ。映画館でウィル・スミスのお寒いジョークを聞いたってこんな気分にはなれやしない。ところがどうだ。いまこのたった数秒のあいだの俺の心の弾みようときたら、まるで池乃めだかのネクタイみたいにご機嫌ときている。

 俺はイヤホンを外して彼女のとなりに立った。間近で見ると彼女の顔はプロの作るプレーンオムレツよりもシンプルだった。

「何を手伝えって? その前に何してんだ?」
「石、集めてるの」
「見りゃわかるよ。なんでそんなことしてんだって話」
 
 すると彼女は俺にレジ袋を帽子代わりにかぶって来店した客でも見るみたいな目を向け、鼻で笑った。

「手伝ってくれるの?」
「手伝いますよ。はいはい、ヒック……あんたもう少しプレゼン力をつけたほうがいいぜ? そうじゃないと社会じゃ……ヒック……まあブコウスキーでも読めばいいか」
「ブコウスキー? なにそれ。早く拾って」
「ブコウスキーをか?」
 彼女は答えなかった。答える必要はないと言いたげだった。まったくそのとおりだった。俺はだまって石をひろった。河川の中の石はぬるぬるしていてあまり気持ちのいいもんじゃない。こいつら俺がこうして手にとるまで、ずっと何年も川底にいたんだな。妙なもんじゃないか。それがこの娘の思いつきひとつで、こうして俺にすくい上げられて、スカートのハンモックの中でうつらうつらしていやがるわけだからな。

「これからどうするんだ? 食べるのか?」
「あなた石を食べるタイプなの?」
「日曜日は食べないことにしてる」

 彼女は耳をつけ忘れたコアラでも見るみたいな目を俺に向けてから、スカートハンモックいっぱいの石をもって岸に引き上げた。そして、その石を石だらけの河原に下ろした。俺は彼女がその作業にいそしむのを、彼女の背後から見ていた。そのときになって、彼女の首のあたりに鞭うたれたような傷があるのが見えた。

 石は丁寧に並べられた。まるでこれから囲碁でも始めるみたいだった。こうしてみると、腐るほどの石の群れの中でも、川底にあった石たちは、まだ湿り気を帯びて黒々としてみえた。

「ここで、乾かすの。この子らを。毎週、そうしてる。水の中の子らを、ここにもってきて、乾かす」
「それで? その後はどうするんだ?」
「その後? その後は、ない。おしまい」

 そうか、と俺は呟いた。そうか? 何を言ってるんだ。笑ってやれよ。こんな愚かしい遊びは見たことがないって言ってやったほうがいい。彼女がひとかどの社会に出たときにこんな石遊びをオフィスでやったら大変だ。でも俺は何も言わなかった。
 遠くで声がした。
 俺がやってきた対岸のそのまた向こうの、堤防のあたりで「はるか」と呼ぶ声がする。男の野太い声だ。その声は、まっすぐここまで届く。俺はまた彼女の首の傷を眺めた。遠くに立った男の年の頃は四十かそこら。親なのか恋人なのか、ちょっとその区別もつかない。わかるのは、ガサツな生活で勝手についたような筋肉が彼を支えていること。

 その声のほうを、彼女はあえて見ないようにしていた。三角座りした膝をかかえる腕が、わずかに震えていた。俺は彼女のとなりに腰を下ろした。対岸にいるマイだかメイだかモアイだか、とにかく俺の、なんだっけな、そう何かが俺の名を呼んだ。たぶん、俺の名だった。

 暑いな。太陽はやたらむきになっていた。こういう時の太陽はまったく話にならない。人の話を聞く気がまるでないんだ。俺は娘の話を思い出した。ここで、この子らを、乾かす。なるほど。乾かす、か。

「こいつら、水の底にさっきまでいて、いきなりこの鉄板焼きみたいな河原に連れてこられてどんな気分だろうな」
「わからないけど、たぶん何もかも忘れちゃうんだと思うな。忘れちゃって、すぐほかの石と何も変わらないただの石になる」

 何もかも? そいつはいいや。忘れちゃえよ。臭い魚の住処にされたことも、となりに座ってた石のことも何もかもさ。それで何が困る? 何も困りゃしないんだ。ほらお天道様がそう言ってる。じんじんじん。この暑さで記憶を保つなんて無理。大切な記憶をとっておくとか、そんなのも無理だ。じんじんじん。やめろ…ヒック……頭が痛くなるなまったく。

 じんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんんん

 ぽっ

 気づいたら、俺たちの前にはたださっきまでの石だらけの河原があるだけだった。川底からすくいあげた奴らは、何食わぬ顔でその他の石にまぎれこみ、もはや判別ができなくなってしまっていた。

「ほら、もう誰も気づけない」

 対岸では、何だかあの女、名前なんだっけな……モイ……ちがうな……が俺のほうをみて手招きしたりなんだりしてる。そのまわりの奴ら、あれは何だっけな。もうみんな何だっけな。どうでもいいな。

 また「はるか!」とさっきより強く呼ぶ声も聞こえる。だが、その声はこの娘にもう届いていないかもしれないな。何しろ、もう腕が震えていない。俺たちは石をキメちまったようなもんなんだ。川底の石は太陽の猛威にやられて、何もかも忘れた。じんじんじん。みんなみんなじんじんじん、だ。

 俺は彼女のとなりに腰を下ろして、目を閉じてみた。目を閉じると、すぐそこに太陽が降りてきて、俺たちを大きな手で鷲掴みしようとしている気がした。じんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじんじん……………。

 俺は何も口を開かなかった。またしゃっくりが出るに決まってるからというのもあるが、それだけじゃない。必要なかった。俺と彼女の間にはそんな言葉なんてまどろっこしい鈍器は。

 ただ燃え滾る太陽の言いなりになってじんじんしてればよかった。

 じんじんじんじんじんじんじんじんじん。

 なあ俺たち、もう少しここでこうして乾かそうぜ。

 そうしたら、きっとあいつら、誰も見つけられない。

了(2022.02.17/深夜)

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