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製菓小説(食べきりサイズ)「百科全製菓派まゆみのお菓子な夜と虚無」

百科全製菓派を自称しているまゆみにも、しずかな転機が訪れようとしていた。最近、休職中にこう考えるようになった。すべてのお菓子を試し尽くしたら、その先には虚無しかないのではないか、と。

そう思うと、眠れない夜が増えた。なるべく考えないようにしているが、どうしても考えずにはいられない。今夜も長い夜になりそうだった。

たとえば、まゆみは「雪の宿」の黒糖バージョンをまだ試していなかった。きっと明日は試すだろう。だが、明日になればそれはもう目新しい目標ではなくなる。三幸製菓に圧力をかけて開発を促進させるかなどと考えつつミスターイトウのアメリカンソフトを頬張る。やはりチョコチップクッキーよりアメソフ派だ。

またまゆみはべつの心配もする。チョコチップクッキー派とアメソフ派ではどちらが虫歯になる率が高いのか。こればかりはミスターイトウが本腰を入れて調査せねば明らかにならないところだろう。だがたとえ虫歯率がアメソフ派のほうが高かったとして、自分はアメソフ派をやめられるか。難しい問題だ。

十二時を過ぎた。お酒も解禁できる時刻。十二時をすぎたまゆみは突如、亀田製菓信者に堕す。昼間に三幸製菓を支持し、夜になると亀田製菓に屈する自分を少し節操がない気もしている。ごめんなさいあなた、と心の三幸製菓に呼びかけるも、心の三幸製菓は「まゆみのすべてを受け入れるよ」と優しい。昼には戻るから許して、と柿の種を頬張る。

まゆみはポッキーについても1日に数分は考えずにはいられない。ポッキーの入り込む隙間のないような人生は送りたくないし、1日にポッキー分の余暇はポッキー百本分くらいある。まゆみの心を惑わすのはフランだ。ポッキータイプなのに何だあのボリュームは。卑劣。好き。の気持ちがせめぎ合う。

まゆみがお菓子の中で夜空を見上げて星を探すような気持ちで向き合うのがグミである。グミを食べる時は心が何を求めているのか判然としないことが多い。宇宙的な不毛性と戦いながらフェットチーネや男梅グミを食べる。問題はコロロだ。ああまで果物に擬態したら人は果物を食べなくなる。あれは危険だ。

コロロを食べるなら果物を食べろよと脳内でツッコミが入る。するといやコロロが先だから。フルーツがパクリ、とボケたがるもう一人の自分がいて、ボケ主導のもと今日もコロロのグレープを食す。うん、まったく、ただの葡萄じゃないか。まゆみは将来、子の弁当に葡萄でなくコロロを入れようと決意する。

さて、そしてふたたび雪の宿だ。まゆみの住む地域に雪は降らない。雪は見たことがあるが、積もるところは知らない。だが雪の宿を食べるとき、まゆみはバリっという音と共に雪の宿に入る。もう戻らない旅に出てきてしまったことを、悔いてはいません、と主張するが、同伴者は明らかにすでに悔いているような弱弱しい笑みでまゆみを抱きしめる。ろくでなしめ。せつないお菓子だ、業の深いお菓子だ、とまゆみは思う。

あの白い甘じょっぱいものがついた煎餅が、宿に見立てられているかといえばそんなことはないだろう。だから宿は売り物のどこにもない。それは名前のうえにしかないのだが、それでもその宿はすでにまゆみの中に存在してしまっている。宿だけでなく、同伴者まで存在させてしまったのは、お菓子の業の深さなのか、まゆみの業の深さなのか。

まゆみはお酒を用意し、今夜はめずらしくカラムーチョも用意した。いまや多くの辛い系お菓子に辛さを抜かれ、人によっては「ソレホドカラクナイムーチョ」と思われているかもしれないそれを、「いいえまだまだカラムーチョ」と励ましながら食べる。

そういえば、来週、弟が結婚するらしい。だが招待状が自分にだけ届かないのは、こんな姉には来てほしくないという意思表示なのか、それとも放っておいてもどうせ来るだろうと思われているのか。先日、いい加減彼氏とかできたのか、と聞かれて、うっかりおねえちゃんは国際派だから、あなたの恋愛よりよっぽど進んでいるから、聞いたら鼻血がでるわよ、なんて言った。なにじんなのと聞かれ、スペイン人よほほほと答えたが、あのとき頭にあったのはカラムーチョだった。熱いダンスを踊るカラムーチョ氏を擬人化したわけでもない。ただ菓子のカラムーチョそのものを想像しながら、好き度でいえば「まあまあ」なくせに、恋人として誇れるほどよい感じといったらカラムーチョかしら、なんて考えた結果の回答だったのだが、そんなことを言っても家族のだれひとり理解できないだろう。

 いいのだ。家族の理解などいらないし、弟の結婚式もどうでもいい。ただ、お菓子の取り合いをした頃のあのかわいい弟はもうどこにもいないのだな、と思うと、なんだかやけ食いをしたくなる。弟は、まゆみがヨーグルを大人買いして百個くらい貯蔵していることを知らない。きっと自慢しても相手にすらしないだろう。すっかり大人になっちゃって。馬鹿みたい。

 そんなことはどうでもいい。問題は、そう、もうすぐすべてのお菓子を食べつくしてしまうこと。その虚無感に耐えられないであろうこと。だからすべての製菓会社よ、日夜、新商品の開発をがんばって。がんばっておねがい、とまゆみは考えながら、またカラムーチョをつまむのだった。ところで、カラムーチョのスティックとリッチカットならだんぜんスティック派である。理由はスティックのほうがリッチな気分になるからだ。カットはリッチカットのほうがリッチか知らないが、食べ心地はスティックのほうが絶対リッチなのだ。この事実を、リッチカットは理解しているのだろうか。まゆみは、そのあたりをカスターマーセンターに聞くべきかどうか、思案しはじめる。

 まだ、夜は始まったばかりだ。

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