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詩学探偵フロマージュ、事件以外 初尾行

 カメラを向ける。
 駅という場所を撮りたいのではない。
 駅という現象を写し取りたいのだ。
 以前はそういうことに無自覚だった。
 けれども最近は少しずつ、
 自分はそうしたいのだなと
 理解できることが増えてきた。
 たとえばいま、目の前に抱き合う男女がいる。
 別れを惜しむかのように抱き合う二人の
 背景には駅の改札機があり、
 その脇には二人など存在しないかのように
 立っている駅員の姿も見える。
 改札機と駅員は間もなく別れる兆を意識した
 恋人同士であるかのように見える。
 一方の恋人らしき男女は、
 別れ際であろうに、永遠に別れが来そうにない。
 駅は人をつなぎ、人を離す。
 運ぶのは駅の役目ではなくそれは……
「あの男が依頼人の言っていた人物か」
 背後からケムリさんが大きな声で言った。
 途端に抱き合う男女の男のほうがこちらを向く。
「ケムリさん、何てことをしてくれたのですか……」
 私はキツい目でケムリさんを睨みつけた。 
 昨夜、一件の依頼が入った。
 ようやく入った念願の依頼は、
 事情は何も言わないがとにかくある男を尾行して、
 その行動を報告してほしい、というものだった。
 ケムリさんに話すと、案の定、詩学的でもなく、
 かと言ってチーズも関りそうにないからと
 まったく興味を示さなかった。
 それで仕方なく、私が尾行することにしたのだ。
 朝から六時間、ホテルを出るところから
 二人がデートをして駅へやってくるまで、
 ぶっ通しで尾行していたのに、
 まさかのケムリさんの一言にぶち壊されるとは…。
 男は走ってこちらにやってくる。
「お、こっちに来るぞ、あの男」
「来るでしょうね、そりゃあ」
「君に気があるのかな」
「そんなわけないでしょう。
 ケムリさんのせいですね。
 どうしてくれるんですか!」
「慌てるな。
 慌てなければ、落ち着ける」
 だろうよ。
 私は内心の苛立ちを抑えて、
 男に気づいていないふりを装った。
「あなたたち、いま、こっちを指さして
 『依頼人が言っていた人物』とか何とか
 言ってませんでしたか?」
「え? し、知りません……」
 私は必死でごまかすことにした。
「あ、頭韻を踏んだのです。
 わかりますか?
 依頼人が/言って/いた/人物
 i/i/i/ji
 すべてiの音が頭にあるのです。
 つまり我々は頭韻法に基づいて
 じつに詩学的会話をしていました。
 ね、そうですよね? ケムリさん?」
 我ながらよくできた誤魔化し方だった。
 ところが──。
「え、なんでそんな嘘いうの?
 この人を尾行してたじゃん、朝から」
 バーカバーカ……
 私はケムリさんを内心で呪い始める。
「私を尾行していたのですか!?」
 男は憤慨する。
「誰の依頼ですか?
 さっき依頼人と言っていましたよね?」
「えーと、それはですねー。
 あれです。
 守秘義務というやつがありまして……」
 言い訳をへどもどしていると、
 またケムリさんが邪魔をする。
「依頼人を知らないのか、君は。
 その昔、この国に依頼人が現れたことで
 異文化が入ってきたのだ」
「それは渡来人では……」
 律儀に突っ込む男の人。この人いい人かも。
「いや、とくにトライはしていないと思うが……
 まあしかしトライ精神ならあったかも知れない」
「この人を黙らせてもらえますか?」と
 男はケムリさんを指して私に懇願する。
「すみません」
 私は頭を下げて、事情を話す。
「私はさる依頼人に頼まれてあなたを尾行しました。
 ただ、それが誰なのかはわかりません。
 というのも電話で、
 しかも機械音声での依頼でしたので」
「機械音声……一人だけ思い当たります……」
「奥様ですか? 恋人か誰かでしょうか?」
「いえ……一人というか一匹。
 我が家の犬です」
「犬……え?」
「最近、我が家の自動音声作成機を操りましてね、
 いろんな探偵社に私の行動を調べさせてます」
「天才犬じゃないですか……」
 私は自宅でせっせと飼い主の行動を
 監視しようと奔走している犬を想像した。
 これはなかなか萌えるものがある。
「いやいや、嫉妬深いだけです。
 もう本当に嫉妬深いんですよ」
 男の人は迷惑顔になる。
「いや……嫉妬でできることじゃないような……」
 たいていの犬にはこんな真似はできまい。
 いっそこの犬でひと山稼げるのでは?
「ご迷惑おかけしました。なんかすみません。
 もう大丈夫なんで……失礼します」
「いや失礼しますっていうか……依頼料……」
 男の人はそのまま改札の向こうへと消えた。
 女の人はこの騒ぎのさなかに逃げたようだ。
「いやぁ、嫉妬っていうのは本当にこわいね」
 ケムリさんは暢気な調子でそんなことを言う。
 まったく反省の色は見られない。
「そこですか? そこじゃないでしょう」
「shittoからの依頼が断たれて
 男はstationへ消えた。
 駅はモノのはじまりであり、終わりである。
 犬の嫉妬は成仏し、
 女は誰かに関係がバレたと思い姿を消した。
 終わりは始まりでもある」
「……って詩的にまとめようとしても
 無理があると思うんですよ。
 私の心は自動音声作成機を操る犬の
 天才ぶりに持ってかれてますしね」
 けれど私がそう言って食ってかかった時には、
 ケムリさんはすでにポケットから
 取り出したチーズに舌鼓を打っていたのだ。
 依頼はきた。
 それはひとまずいいことだ。
 だが、相変わらず、フロマージュ探偵事務所には
 一円も利益が上がっていないのだった。


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