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こころだってカゼくらいひくんだよ
「そっか。じゃあこころがカゼひいちゃっったってことで今日はお休みしようか。」
母がかけてくれた言葉だった。
これは私が小学校4年生のときに、
学校で仲良くしている女の子4人グループでいざこざがあり、
学校を少しお休みしていたときの話だ。
冗談のつもりでかけた一声が、仲良しグループの1人の子の機嫌を損ねてしまう。
「私もいつもMillieうざいなって思ってた。」
いつも一緒にいたグループの3人が私と距離を取り始めた。
おはようのあいさつは無視。移動教室も置いてきぼり。
4人でやっていた交換日記には、明らかに私とわかるような悪口がびっしりと書かれて私のところへ回ってきた。
初めは気にしないよう、頑張って学校へ行き、違う友達と話そうと頑張ってみた。
だが明らかに無視されている私を腫れ物のように扱う視線や、
一緒になって私を避けてくるクラスメイトの対応に耐えきれなくなり、
日に日にに学校を休みがちになった。
おそらく学校で何かあったのだろうと母も気がついていただろう。
だが、母は学校へ行けとも、何があったのか問いただすこともしなかった。
代わりに、こんな話をしてくれた。
「熱が出たりお腹が痛くなったり、からだが具合悪くなるのと同じように、
こころだって風邪ひいちゃう時もあるんだよ。
こころがなんかいつもと違うな、具合悪いなって思うなら、
休んだっていいんだよ。」
私は友達に無視されていること、教室に自分の居場所がなくなってしまったことなんて絶対に母に話したくなかった。
でも、自分の居場所がないとわかっている教室に行かなければいけないと思うとベッドから起き上がることはできず、
頑張ってみんなの視線や対応を我慢して1日を過ごす、なんて到底無理だった。
だからこの時、母がかけてくれた言葉に心底救われた。
我慢や努力以外に、「休む」という選択肢があることを教えてくれたからだ。
熱があるわけでも、吐き気があるわけでもない。
学校のことを考えると胸がドキドキして、不安が押し寄せてくる。
こんな理由で学校を休んで、母に心配をかけている自分が当時は許せないと思っていた。
だが母の言葉で、こころの不調もからだの不調と同等に休む権利があるのだということを教わった。
この時は小学生だったが、この母の教えは社会人になった今でも役になっている。
会社の同僚や先輩からこころない言葉をかけられ心が参ってしまった時。
毎日朝早くから日付を越すまで働く日々が続き、目の痙攣や肩・首の痛みが続いた時。
そんな「からだの病気」ではないときも、
可能な限り自分でこころの不調に気がついてあげ、
1日でも、数時間でも自分のこころへ「病欠」をあげるようにしている。
母から学んだこと。
自分のこころの不調を認めてあげること。
こころの不調はからだの不調と同等に扱い、適切なケアをしてあげること。
これが我慢に代わる私の選択肢だ。
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