見出し画像

麻生太郎とは、サカ・スキタイの「タウロイ」の子孫だったのか。

今回は、スキタイと日本の支配者について考えていきたいと思います。

以前の記事で、徐福や天皇家とは隼人とスキタイと繋がっているのではないか、と考察しました。

ここ最近書いてきた北方の草原の道を東に西へと移動した遊牧民の存在は、
西洋史及び日本史上、たいへん重要なテーマ、21世紀の最大の課題になると思います。この辺をもっと歴史家は、熱心に調査し掘り起こすことが出来れば、驚く真実が見えてくるに違いない。

BC6000年頃、彼らは、アナトリアから自然銅を求めて世界に散った人々と考えます。それは鉱山の近くを流れる川でなければ採れない。自然銅だけでなく孔雀石からも加熱すれば銅が採れることも知ったでしょう。やがて鉱山から採掘することに思い至り、他の鉱石も発見し錫と銅の合成により青銅を発明したことが大きな発展に繋がります。

2000年という、ゆるやかな時を経ての到達です。この担い手が、やがてサカ・スキタイという主要騎馬遊牧民につながっていき、蘇我氏へと流れていくのです。伝播ルートも東シナ海や朝鮮半島経由でなく日本海経由の道が想定されます。彼らの勢力圏は、黒海北岸から草原の道のほとんど(あるいは全て)とカスピ海南岸、アフガニスタンからインドに広がっていたと考えられます。

ギリシャ人は彼らをスキタイと呼び、ペルシア人は、サカと呼びました。
そもそもペルシア人は、スキタイ人のうちカスピ海以南に半定住したパサルガーデ族のアケメネス氏族から生まれた国でした。アッシリアの記録では、サカ・スキタイは「アスカ人」とも書かれていました。彼ら独特の風習、精神性は、古代の日本また現代でも色濃く残ります。

ユーラシアの王族 スキタイ・サカ 蘇我氏


上記で注目すべき点は、『アッシリアの記録では、サカ・スキタイは「アスカ人」とも書かれていました。』という点です。

サカ・スキタイが「アスカ人」であったということから、蘇我氏と大国主命とは、サカ・スキタイ人であったという可能性がでてきます。

前回の記事では、蘇我氏と大国主命とは、奈良県明日香村(アスカ)で誕生したのではないか、と考察しました。

ここで、飛鳥時代に起こった「乙巳の変」について見てみます。

乙巳の変(いっしのへん)は、飛鳥時代645年乙巳の年)に中大兄皇子中臣鎌足らが蘇我入鹿を宮中にて暗殺して蘇我氏(蘇我宗家)を滅ぼした政変。その後、中大兄皇子は体制を刷新し大化の改新と呼ばれる改革を断行した。

乙巳の変 - Wikipedia


中臣鎌足らが、蘇我入鹿を暗殺し蘇我氏を滅ぼしたのが「乙巳の変」であるとのことです。

乙巳の意味を調べると、古代中国にはじまる暦法の干支により、645年が乙巳の年にあたるということのようです。

暦法に加えて、この「乙巳」という文字の中には、古代豪族の信仰対象が暗示されているのではないか、と考えました。

日本全国に月読神社はあるが、系統の違いで男神、女神と分けられる。それは発音でも分けられて、同じ月読(ツクヨミ/ツキヨミ)の訓みでも、月読の「ヨ」は乙音で、月夜見の「ヨ」は甲音という差異がある。この差異に着目すれば、月読神は男神で山祇系(中臣氏や隼人族など)系統が奉斎し、月夜見神(と月神)の方は女神の豊受大神であって海人族系統が奉斎したという整理ができる。

日下部氏族の月神信仰と海人族ー「豊受大神」は月神


「続日本紀」によれば大宝元年(701年)木嶋の天照御魂神や葛野の月読神など四神の神稲を今後は中臣氏に給するという記述がありますが、一方松尾社でも同年、秦都理らによって日埼峯の磐座祭祀から山麓に神殿を造営した記事があり、これらは無関係ではない、と大和氏は述べられます。中世以来松尾社の社家には秦姓が多いですが、社務の実権は摂社の月読神社の長官中臣系の伊岐氏(松室氏)が掌握した、と「京都市の地名」に書かれるように、両社の社家は密接な関係に有ったようです。

葛野坐月読神社(かどのにますつきよみじんじゃ:京都市西京区)~月神と共に聖徳太子や天鳥船命が祀られる不思議


上記によって、月読神を中臣氏が奉斎していたことが分かります。

それでは、蘇我氏とはどの神を信奉していたのでしょうか。

前回の記事では、櫛名田比売と須佐之男命の子が、蘇我氏と大国主命の系譜となったことを考察しました。

大国主命は出雲大社で祀られており、出雲大社には龍蛇信仰があり、海蛇が大国主命の神使とされています。

ここで、「乙巳の変」の「巳」と蛇神信仰の蘇我氏とが繋がります。

次に、「乙巳の変」の「乙」から思い起こされるのは、浦島太郎の物語に登場する乙姫です。

現代版『浦島太郎』の原作だと言われるのが、室町時代に作成された『御伽草子』に収録された物語。

現代版とはストーリーが全然違います。そのあらすじがこちら↓

御伽草子に掲載されたストーリー

昔、浦島という貧しい漁民がいた。浦島は亀を釣り上げるが、かわいそうだからと海へ帰してやる。
すると数日後、女性が現れて浦島を「竜宮城」へと連れて行く。
女性の正体は浦島が助けた亀であり、2人は結婚して楽しく過ごした。しかし3年経つと、浦島は両親が心配になって帰郷した。
故郷に戻ると700年の時間が経過しており、絶望した浦島はたまてばこを開けてしまう。
すると浦島は老人の姿へ。その後は鶴に変化して蓬莱山へと向かい、亀とともに夫婦の明神となる。

【浦島太郎の考察】なぜ結末で鶴になる?意味がわからない点を解説



上記によって、浦島太郎に登場する乙姫とは、亀の化身であったことが分かります。

それでは、亀とは何の神にあたるのでしょうか。

浦島太郎伝説は月神信仰にも結び付く。月読命の伝承が伝わる地は、わが国では稀少だが、月読命の子孫が日下部氏であって、丹後の龍宮、浦島伝承の浦島太郎もその子孫に当ると伝える。宇良神社(浦嶋神社)の由緒には、浦嶋子は当地の日下部氏の祖先にあたり、開化天皇の後裔であり、太祖は月読命の子孫で当地の領主だと記される。

日下部氏族の月神信仰と海人族ー「豊受大神」は月神

宮司さんには、『かごめかごめ』の歌についても訊いた。
「“鶴と亀がすべった”の鶴は、何を意味していますか?」
「日神(にっしん、太陽神)です。伊雑宮(いざわのみや)にも鶴の伝説がありますね」
伊雑宮。伊勢神宮内宮(皇大神宮)の別宮のうちの一社。
そうだった。伊雑宮にも、鶴が稲穂をくわえていたという白真鶴の伝説があった。
伊雑宮を建立したのは、第十一代垂仁天皇の皇女・倭姫命(やまとひめのみこと)。海部宮司家の外孫である。
「鶴が伊雑宮の日神なら、亀は籠神社の海神ですね。亀の甲羅は六角形ですし」
言うと、宮司さんは静かに微笑まれた。

元伊勢・籠神社と『天孫人種六千年史の研究』〈2〉



上記によりますと、鶴が日神を表すとされていますので、浦島太郎と月神信仰との結び付きからも、亀とは月神を表すと考えられます。

従って、亀の化身である乙姫の乙にも表されるように、「乙巳の変」の「乙」とは月を意味しているのではないでしょうか。

このことによって「乙巳の変」とは、月神を信奉する中臣氏が、蛇神を信奉する蘇我氏を滅ぼした、と解釈できます。

中臣氏がスキタイにルーツを持つのであれば、スキタイの中の月信仰の一族が、中臣氏であると考えられます。

スキタイの中に、タウロイと呼ばれる民族がいます。

タウロイギリシャ語:Ταῦροι)は、古代ギリシア時代にクリミア半島南部に住んでいたスキタイ系民族。クリミア半島の古名であるタウリカタウリスタヴリダはこの民族名に由来する。

タウロイ - Wikipedia


古代ギリシャの歴史家ヘロドトスは『ヒストリアイ(歴史)』において次のように記している。

タウロイは難破漂流した者や、黒海上で襲って捕らえたギリシア人を「処女神」の生贄とする。まず、型のように浄祓を行った後、生贄の頭を棍棒で打つ。次に胴体を神殿の立っている断崖の上から突き落とし、首は棒に刺しておく。という説もあるが、別の説では首については同様であるが、胴体は崖から落とすのではなく、地中に埋めるという。タウロイ自身の言うところでは、生贄を供える女神はアガメムノンの娘イピゲネイアであるという[2]。また、敵の捕虜については、捕らえた者が首を刎ねて家に持ち帰り、屋上(煙突の上)に長い棒に刺して高く掲げておく。この首が守護者として屋敷全体を見張ってくれるように、高く掲げておくのだという。彼らは掠奪と戦争を生活の手段にしているのである。

— ヘロドトス『歴史』巻4-103

タウロイ - Wikipedia

タウロイとは、イーピゲネイアという女神に生贄を捧げていました。

イーピゲネイア古希: Ἰφιγένεια, Īphigeneia, ラテン語: Iphigenia)は、ギリシア神話に登場するミュケーナイの王女である。長母音を省略してイピゲネイアとも表記される。

アルテミスをアルテミス・イーピゲネイアと呼称した例があることから、イーピゲネイアは本来アルテミスの分身またはアルテミスと同一視された女神だったと考えられている[1]

イーピゲネイア - Wikipedia


イーピゲネイアとは、月神とされるアルテミスの分身またはアルテミスと同一視された女神とのことで、タウロイとは、月神信仰であったことが分かります。

中臣鎌足とは藤原鎌足であり、その子孫に嵯峨天皇がいます。

嵯峨天皇についても、RAPT理論によって詳しく解明されています。


RAPT×読者対談〈第129弾〉日本は在日ヤクザに牛耳られている。(麻生太郎と朝堂院大覚と嵯峨天皇)


嵯峨天皇の生母とは藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ)であり、藤原鎌足の子孫とされているのです。

日本の政治家である麻生太郎も、藤原鎌足の子孫であると言われています。

日本において太郎という人名が登場したのは、嵯峨天皇が第一皇子の幼名に命名したのが初見とされる。

太郎 - Wikipedia

太郎という名前は、嵯峨天皇が第一皇子に命名したということです。

スキタイとは、「サカ」とも呼ばれていました。

嵯峨天皇の「さが」とはスキタイの「サカ」であり、「太郎(タロウ)」とはスキタイの「タウロイ」に由来しているとは考えられないでしょうか。

中臣氏とは、月読神を奉斎していたと前述しました。そしてタウロイも、月神信仰を持っていました。

藤原鎌足とは中臣鎌足であり、嵯峨天皇の祖であることになります。

嵯峨天皇がスキタイである「サカ」のタウロイの系譜であれば、藤原鎌足もタウロイであることになります。

日本の政治家である麻生太郎は、藤原鎌足の子孫であると言われており、「タロウ」という「タウロイ」に近似した名前を持っています。

これらのことから、麻生太郎とはサカと呼ばれたスキタイの中の「タウロイ」に繋がっている可能性が高いと考えられます。

そして、嵯峨天皇の生母とは藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ)でした。

藤原乙牟漏は今上天皇の直系祖先です。

藤原乙牟漏【今上天皇の直系祖先】


藤原乙牟漏とは、日本の現在の天皇の直系祖先でもあるということです。

スキタイとは騎馬遊牧民とされており、日本の「騎馬民族征服王朝説」が思い起こされます。

以上のことから、サカ・スキタイの中の「タウロイ」と呼ばれる民族が日本の支配者となってきたのではないか、というのが現時点での私の考えとなります。


RAPT×読者対談〈第130弾〉エボラ熱を広めた犯人は麻生太郎である。(現代日本を支配する藤原家=麻生家の闇)


天皇家一族の重鎮「麻生太郎」という巨悪。


RAPT×読者対談〈第125弾〉どこからどう陰謀論を語っても全て「麻生太郎」につながるという現実。


愚かな人は沢山の常識と思い込みを持っている。賢い人は、昨日までの常識は今日の常識ではないと考え、臨機応変に物事を考え、絶えず真理が何かを追求して生きる。


人間の人生がどんなに十人十色のように見えても、実は人間の人生は「神様に従って幸福になるか」「神様に従わずに不幸になるか」の二種類しかない。


RAPTさんのブログ

RAPT | 新・貴方に天国から降り注がれる音楽を

朝の祈り会、および有料記事のパスワードのご購入

BLOG BY RAPT

TALK RADIO

RAPT理論+αRAPT理論のさらなる進化形

十二弟子の皆様とRAPTブログ読者の方の証

動画✴︎NANAさんの賛美歌✴︎

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?