今回も、スキタイについて考えていきたいと思います。
次の写真をご覧になってみてください。
これを見て、私は「吉野ヶ里遺跡」の写真ではないか、と思いました。
しかしこれは、英語版ウィキペディアの「スキタイ」のページに掲載されている写真なのです。
紀元前339年の、スキタイの防衛線の復元とのことですが、吉野ヶ里遺跡の復元物見櫓や城柵にそっくりだと感じます。
それでは、スキタイと吉野ヶ里遺跡との繋がりを見つけることができるでしょうか。
上の地図を見ますと、スキタイやマッサゲタイとの間に、サウロマタイと呼ばれる人々が住んでいた地域があるのが分かります。
次に下の地図を見てみますと、民族名は多種あるようですが、同一習俗を持つ集団として、スキタイと呼ばれる大きな民族集団があったことが分かります。
そしてそのスキタイに含まれる、サウロマタイの後継であるサルマタイ人の古墳の中に、注目すべき副葬品がありました。
サルマタイ人の2世紀~3世紀の古墳には、中国の「内行花文鏡」が副葬されていたというのです。2世紀~3世紀の中国とは、後漢から魏の時代であり、日本の弥生時代晩期から古墳時代初期にあたります。
内行花文鏡は、日本の古墳にも副葬されており、中国製の物と日本製の物があるとされています。
そこで疑問に思うのが、スキタイ人は中国製の内行花文鏡を古墳に副葬していたのか、という点です。
そうではなく、スキタイが内行花文鏡の発祥地なのではないか、と感じました。
何故ならスキタイとは、ケルトなのではないかと考えられるからです。
ケルト人とは、黒海沿岸部から馬と戦車を持ってヨーロッパに渡来したということです。
スキタイ人とは、クリミア半島を含む、黒海沿岸部から南ロシアにかけての地域にいた遊牧騎馬民族で、王族スキタイという戦士貴族に率いられていたということです。
このようにケルトとスキタイとは、黒海・馬・戦闘というキーワードで繋がります。
そしてスキタイの古墳に副葬されていた「内行花文鏡」の文様とは、ケルトの一年の車輪の文様なのではないかと私は考えます。
内行花文鏡の文様がケルトの一年の車輪であるなら、ケルトであるスキタイが、内行花文鏡の発祥地である可能性が高いのではないでしょうか。
ここで、吉野ヶ里遺跡の話に戻ります。
下記のリンク記事によりますと、弥生時代の遺跡である佐賀県の吉野ケ里遺跡では、儀式を行う主祭殿などがあったとされる「北内郭」の中心線を通る軸線が、吉野ヶ里遺跡が繁栄した、西暦216年と235年の冬の満月の月の出の位置とピタリと一致するとのことです。そして「北内郭」にある物見やぐらの建物は、それぞれが12月、1月、2月の満月が昇る方角に向けて建設されていた、というのです。
弥生時代は月で暦を理解?文字なき時代のカレンダーを探って
吉野ヶ里遺跡で儀式を行っていた人々は、月信仰を持っていたと考えられます。
スキタイの中には、「タウロイ」と呼ばれる人々がいました。
タウロイの人々は、イピゲネイアという女神に生贄をささげていました。
イーピゲネイアとはアルテミスのことであり、月の女神とされています。
スキタイの中でもタウロイ人とは、月の女神を信じる人々であったことが分かります。
ここで月信仰から、スキタイと吉野ヶ里が繋がります。
前回の記事では、スキタイの中でマッサゲタイ人と呼ばれる人々が、太陽神のみを崇拝していたことが分かっています。
スキタイの中には、月神信仰と太陽神信仰の両方があったのです。
古代エジプト神の中に、ホルスという神がいます。
ホルス神は、隼の頭を持つ成人男性の姿で表されるため、日本の「隼人」との関連が考えられます。
「隼の人(はやぶさのひと)」であるホルスとは、太陽と月の両目を持っているというのです。
これは、太陽神と月神の両方の信仰を持っているスキタイ人のことなのではないでしょうか。
ここで、スキタイと隼人との繋がりが感じられます。
隼人のルーツは、鹿児島県にあります。
日本神話の中で、木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)とは、神阿多都比売(かむあたつひめ)、神吾田鹿葦津姫(かむあたかあしつひめ)と表記されています。
阿多・吾田(あた)と言えば阿多隼人(あたはやと)で、木花之佐久夜毘売とは、鹿児島県の阿多隼人の系譜であると考えられます。
そして木花之佐久夜毘売の子であるとされているのが、火明命と彦火火出見尊です。
火明命とは徐福のことであると言われており、彦火火出見尊とは神武天皇の系譜とされています。
これらのことから、徐福と神武天皇とは「隼人」に出自を持つと考えられます。
そして徐福は、吉野ヶ里を拠点にしていたと言われています。吉野ヶ里遺跡の近くには金立神社があり、祭神として「秦の徐福」が祀られています。
スキタイ人は、かまどの女神であるヘスティアーを最も重んじていたようです。
京都府宮津市にある籠神社には、徐福である火明命が祀られています。その籠神社には、かまどの神様の御札があるのです。
徐福もスキタイ人と同じく、かまどの神を信仰していたようです。
そしてスキタイ人と馬のように、隼人と馬というのも関わりが深いようです。
前回の記事で、マッサゲタイやイッセドネスと呼ばれるスキタイ人が人肉食信仰を持っていたこと、クロ宗という人肉食信仰を持っていたヤジロウという日本人が、千利休であった可能性をお伝えしました。
日本の人肉食信仰「クロ宗」についても、RAPT理論によって解明されています。
アンジェリーナ・ジョリー監督映画「アンブロークン」は人肉食信仰「クロ宗」を隠蔽するために上映中止にされた可能性大。
イエズス会と真言密教と浄土真宗と人肉食信仰「クロ宗」の奇妙な接点。フランシスコ・ザビエルを日本に招いた「ヤジロウ」から分かる悪魔教の現実。
ヤジロウとは鹿児島県の出身であり、隼人に出自を持つ可能性が高いと考えられます。
鹿児島県の下甑島(しもこしきしま)に、人肉食信仰「クロ宗」の信仰があったとされています。
このように人肉食信仰からも、スキタイ人と隼人とが繋がります。
鹿児島県の阿多隼人(あたはやと)に系譜を持つと考えられる、木花之佐久夜毘売の子であるとされているのが、徐福と神武天皇であるのです。
このことは、何を意味しているのでしょうか。
天皇家は悪魔の象徴(シンボル)に満ちている。
天皇家が悪魔崇拝に関わっているとしか思えない幾つかの理由。
天皇がどこからどう見ても悪魔崇拝者であるという証拠。
日本が世界最古の悪魔崇拝の聖地であるという幾つもの証拠。
悪魔崇拝者を根本的に滅ぼし尽くす方法。それは「霊界」の奥義を知ることから始まります。
それは、先ず私たちが「霊界」について知ることです。つまり、この世に悪魔が存在していること、そしてこの悪魔を拝む者たちがこの世を支配しているということ、しかし神はこの悪魔よりも強く、神なら悪魔を滅ぼすことができるということ。これらのことを知り、これらを信じて悪魔の滅亡を神に向かって祈ることです。
何をどう祈ればいいのか、具体的な方法をお教えします。自分の人生も世界の運命も変える鍵がここにあります。
RAPTさんのブログ
RAPT | 新・貴方に天国から降り注がれる音楽を
朝の祈り会、および有料記事のパスワードのご購入
BLOG BY RAPT
TALK RADIO
RAPT理論+αRAPT理論のさらなる進化形
十二弟子の皆様とRAPTブログ読者の方の証
動画✴︎NANAさんの賛美歌✴︎