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悪を直視できなければ、人間の悪を癒すことなどできない!

ロシア文学の最高峰「罪と罰」ドストエフスキーがロシア正教支持者であると、最近富にロシア正教の情報が戦争と関連して流れている。
様に古くからの歴史的なものに基ずく、根底に流れている人の民族意識は、なかなか変えることはできない魔物だという事だ。
ギリシャ正教の流れを組むと聞けば、ウワアー、秘密主義、隠された男根主義なのかしら?と連想する。

「屋根の上のバイオリン弾き」に幸せはあったのか? 
ショーペンハウアーは苦々しく言う。「チェ、苦しみを避けられない人生か、バイオリンがあればいい。」「この世に享楽などないのだ、バイオリンを聞けるだけでいい」 ハハハア~~ン!
コザックの悲しい話と憂いに満ちた音楽は初等教育で知った。自己評価の低いペシミストの日本人には、悲しい旋律は、憧れのような心にトローリ流れる甘い蜜の味のような想い出のようだった。

                                                                               
邪悪な人達を憎むのは簡単なことである。
ある人が邪悪だと気がついた時は、「神の慈悲がなければ、まさに自分がそうなっていたかも知れない。」という言葉を想起して欲しい。

「お前ら偽善者は、まず始めに自分の目から針を取り払え。そうすれば、物は明らかに見え、お前の兄弟の目から塵を取り除く事はできる。」

悪を直視できなければ、人間の悪を癒すことなど期待できない。
悪を直視することは、決して気持ちの良い光景ではない。

まず最初に自分自身を判断し、自分自身を癒すことなしには、そうした判断を問題なく下す事はできない。

人間の悪を癒す闘いは、まず自分自身の闘いから始まるのが常である。
自己浄化こそ、常に我々の最大の武器となるものである。

ある種の人間を邪悪だと決めつける事によって、必然的に極めて危険な価値判断を行っていることになる。

自分の友人、知人、家族が邪悪だとしても、優しく、慈悲深く接して欲しい。

慎重な配慮を持って接するとは、一つの愛を意味する。

M.スコットペック

幸せをみいつけたあ❣


東西自己浄化できない輩もいる!   自己反省しない輩もいる。

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