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悪と善は切り離せないもの!

一般に子供が嘘をつき、物を盗み、ごまかしを働くことは、日常的に目にすることである。

こうした子供たちが全く正直な大人に成長しうるという事実の方が、まさしく驚嘆すべきことの様に思われると筆者は述べる。

勤勉よりも怠情の方が広く一般に見られて、これを真に考えるならば、
「この世は本来的には悪の世界であって、それが何らかの原因により、神秘的に善に「汚染」されている」と考える方が、その逆を考えるより意味をなすものかも知れない。

うん、面白い展開ね。悪に還ってしまうものね。

この世は本来的に善の世界であって、何らかの原因により悪に汚染されているのだ、という前提に立ち、普通は物事を考えている。

しかし、実際には悪を説明する方が善を説明するよりも簡単だ。
物の腐敗は、自然科学の法則で説明できる。
しかし、生命がより複雑なかたちに発展するということは、容易には説明できない。

赤ん坊が生まれながらに作り笑いをする。
善の不可解性は、悪の不可解性よりもはるかに大きなものがある。

人間の善の問題を同時に研究をすることなしに、悪の問題を正しく研究することはできない。なぜならば、人間の悪の問題は、善の問題と切り離して考えることは、まず不可能だからである。

この世に善が無ければ、人間は悪のことすら考えることすらしない。
奇妙なことに、「何故この世に悪があるのか?」という疑問ばかり考えて、「何故善があるのか?」ということはあまり考えないようだ。
そういわれればそうね?

300年以上も科学的モデルと宗教的モデルが混合不能なものと互いに相容れない、反発をしあうものとされて来た。

科学はいまだ偏見のない、心の広いものとなっていないが、悪という言葉そのものが、先験的に価値判断を必要とするものであるが、価値観を厳格に排除する科学には、この問題を取り扱うことすら許されていなかった。

科学者と宗教家の分担を分けてたものが、変わりつつあり、再統合への動きがある。

宗教は、科学的自己認識や自己監視を除外視するものと定義してしまった。

科学は、宗教的達観や宗教的心理や価値観を除外視するものと定義してしまった。

宗教は、「自然界は科学の占有領域である」と認め、科学は「精神的なものや価値観からは身を引く」と同意した。

科学者の考え方は、左脳的なもので分析的なスタイルである。

科学者が基準とする手順は、小さな断片的なものを食いちぎって、その断片のそれぞれを分離させた状態で検討の対象にするというやり方である。
彼らは大きな神秘よりも小さな不可解な方を好む。
ワカルワカル?

神学者の考え方は、妄想、直感、感覚、信仰、啓示等のより統合的な右脳的探求手段を用いる。不可解性である神秘が大きければ大きいほどに、その逃避先を宗教に求めるか、それに宗教が近づく道だと考え、ひるむことはなかった時代もあった。ウダウダ(笑)

悪の問題はとても大きな神秘である。
ある種の悪の問題は科学的研究の対象になりうる。
その謎の断片は、互いにあまりにも密接に結びついており、分解は難しく、歪みを生じさせる可能性もある。

本日は何か禅問答しているみたいで包み込まれてしまいましたあ。
そう言えば、古代からのギリシャ神話も男と女の悪の世界、夫婦間の悪の世界、父親と子供の悪の世界、母親と子供の悪の世界、愛人との悪の世界、兄弟間の悪の世界との嫉妬、憎しみの悪の世界から民族間の支配層の神話を口承していています。 と言おうか? 教訓か? 啓示か? 押し付けています(笑)

イギリスの博物館で、幼稚園生が先生からギリシャ神話のレプリカですが、その絵を描いた紙を配り、神様方の彫像の名前を教えています。ラベリングですね。幼児はバラバラに好きなところへ座っています。
そして、あまり説明をせずに、誘導尋問をして、幼児たちに感想や推理を発言させるのです。先生はただ聞いているだけではなくて、熱心に聞いていたのです。詳しい説明などあまりしない。
余計なことですが、人権とか民主主義の基盤とは何か? 深く考えさせられました。柔軟に対応できる人間性の創作づくりに遅いということはないのです。日本人の考える自由とは、まだまだこれからの課題となるでしょう。

この興味を引きずり、関心を持たせるだけでいい。
このやり方に痛く関心をさせられました。

日本の博物館に幼稚園生が来ました。みんな可愛らしい制服に帽子をかぶり、一列にきちんと並んでお行儀良く、見学しているだけで? 通り過ぎていきました。


戦争の神様もいたのですから? この時代は、近親間の男女関係が倫理で区別されていなくて、普通に行われていたようです。
現在の黒海周辺の沿岸地帯はまさに、古代ギリシャ以前からの戦争の興没地域ですね。

あらゆるものを信仰の対象にする、宗教の行き過ぎを科学が止めて、科学の事だけをあらゆるものに当てはめる、行き過ぎを信仰が止める。

心の存在を、心臓の鼓動を、血液の流れを、そして空と海と大地を感じる。
自由奔放な悪を沢山のルールという善に縛り付ける。
やっぱ、悪の方が先だ。じゃ===んんん!(笑)

そして、この本の出版10年後の現在は、悪の研究は、、心理学脳科学と結びついてかなり進んでいます。やはり、仏教の問答も入っているわ。

少し簡略アレンジしており、本文とは違います。

M・スコット・ペック

ここまでのお付き合い誠に有難うございました。お疲れ様でした。
アリガトー! 好きよ!
でもインスタはもっともっと? 好きなんだ! ホホホウ!

これで精神科医の誤診の正体が理解できました。理由付けができたわ。
つまり患者を人間として見ていなくて、接してもいないのね。
自分の目で見ていない他から聞いた現象だけで判断しているのね。
ハハハハハ


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