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同窓会へいざ行かん

渋々同窓会へ

1月のはじめ、成人の集いを直前にして高校の同窓会があった。
およそ2年ぶりに顔を合わせる元同級生たち。
「高校の同窓会」とはいうものの、中高一貫校なので、実のところ内部進学メンバーとは同じ学び舎で6年間過ごした。
パーティードレスやスーツに身を包み、髪の毛を染めたり、ピアスを開けたり、とちょっとした変化はあるものの、思いのほかみんな変わらない。
卒業式の日に担任の先生によるご指名で、私はクラスの同窓会委員だった。
任命された当時は、正直に言うととんでもなく嫌だった。
私にとって中高6年間過ごした学校は恐怖の対象で、同窓会には出たくないし、同級生にも顔を合わせたくはなかったのだ。
しかし、委員になってしまった以上参加せざるを得ず、渋々同窓会へ向かった。

壁は自分自身だった

そもそも学校はなぜ恐怖の対象だったのかーー
友人もいて、いじめられていたわけではないし、全てが辛かったわけではない。
ただ追い詰められていた。
中学受験でギリギリ第一志望校に合格した私。
合格発表で自分の番号を見たときは天にも昇る思いがした。
しかし、入学してみると同級生の能力と自分のそれには大きな隔たりがあり、努力をしても全くうまくいかなくて、情けないことに途中から努力することを諦めた。
初めから諦めておけば、努力が報われないことに傷つかなくて済むからだ。
すると益々落ちこぼれていき、進学校であったことも相まって常に「お前は劣っている」「勉強ができないダメな人間だ」と言われているような気がしてきた。
直接人に言われたわけでなくても、その環境や雰囲気から全身に浴びるようだった。
そのような悪い想像はむくむくと膨れ上がっていき、ついには全ての人から見下されているように感じ、笑顔で話しかけてくれる友人たちも心の奥底では私を嘲笑っているんじゃないだろうか、と怖くなっていった。
そして校内で歩く時は常に下を向き、極力生徒や先生と目が合わないようにしていた。
今だから分かるが、これは自分が作り出した想像上のモンスターで、勝手に自己肯定感を下げていったのだった。

大学進学before/after

結局私が進学した大学は、同級生たちにとっては滑り止めになるかどうかあたりの大学で、しかもどんどん人気が落ちる男女別学の大学。
つまり女子大学だ。
卒業式を終えても、入学式を終えても心は晴れず、沈みっぱなし。
元同級生たちは遥か上の大学に進学。
同級生たちのインスタを見るのも怖くなり、全員のアカウントを削除する始末だった。
だが、入学して半年を過ぎたあたりから、大学に対する様々なコンプレックスが消えていった。
そして2年生の終わりを迎える今では、この大学に進学してよかったと心の底から思っている。
私の心が変化した理由を3点あげたい。

①男女別学が自分にぴったりだったと知った
大学に入学するまでずっと共学だった。
でも男の子と話すことはまずなくて、いざ話すとなると緊張して、謎に敬語で話してしまっていたくらいだった。
また、塾講師のアルバイトを始めて気づいたことだが、私は男性恐怖症の節があるようだ。
夜遅くまで働き、不規則な生活をする塾講師は紛れもなく男社会。アルバイト先には高圧的な中年男性しかおらず、いつもの自分のように振舞えなくて辛いことが重なり辞めてしまった。
女子大学は当たり前だが、男子はゼロ。男性の先生であっても穏やかな人ばかりだから恐怖心を抱くようなことは一切ない。
女子大に通っていることで、自分らしくのびのびと過ごせている。

②学びの面白さを思い出した
中学生になるまで、私は進んで勉強するタイプで、勉強することを楽しんでいた。
知識を増やすことがたまらなく好きだった。
大学では、自分が興味を持つ分野をとことん調べて、資料を作り、発表する力が求められる。
これは私の得意とするところだし、新たに知識を増やすたびに学びの面白さを再確認している。
そして、大学に進学するまでそれほど興味がなかった「日本文学」だったが、大学で学ぶうちにどんどんのめり込むようになった。

③多くのコミュニティに属すようになった
大学の広報団体やインカレサークル、アルバイトなど、高校生の時に比べてとにかく属するコミュニティが増えた。
それにより、自分が今まで関わらなかった人たちと関わるようになって、視野が広がった。
さらに、中学高校時代にすっかり身についてしまっていた、人を見る際の「学力フィルター」を外すことができた。


これらの理由から、この大学に進学してよかったと心から思えるようになった。
そして、嫌で嫌で仕方がなかった同窓会だったけど、自信を持った自分で挑めたから、気持ちがさっぱりした。
そして旧友たちに自分が今、熱心に取り組んでいる様々なことを、目を見て話せたのだった。

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