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図書館員、こまったさんレシピで夕飯にする



 昔々、自分が小学生だった頃、子供には子供ならではの面倒ごとがあり、しがらみがあり、因習があった。そのうちのひとつが、《男子もしくは女子における読んで良い本いけない本問題》である。男子の本、女子の本……《男子or女子のための本》というくくりと言った方がわかりやすいか……小田雅久仁氏の小説『本にだって雄と雌があります』のような話ではない。

 明確にではないにせよ学校の図書室には、男の子が読む本、女の子が読む本という領域があった。もちろん学校側が決めていたわけではない。ただ空気として、男の子が読みたくても手を伸ばすのに気後れする本や、女の子が読みたいと思っても人目をはばかる垣根があったのだ。

 女の子が主人公だから女の子の読みもの、男の子が主人公だから男の子の読みもの、そんなレベルの、読者側からのつまらないレッテルだ。その程度だけれど乗り越えるには子どもながらに世間体と自尊心と縄張り意識で構築された壁がベルリンの壁のように……というと大げさだが、とにかくあった。小4の時に進研ゼミで「少年/少女漫画って面白いの?」みたいな、男の子に少女漫画、女の子に少年漫画の魅力を紹介する特集があったくらいだから、けっこうくっきりと分かれていたのではないかと思う。

 別に女の子たちが読んでいる恋愛もの漫画になんて興味ないよ、男子の読んでる戦ってばっかりの漫画なんか読みたくない……と、自分の興味の範疇なければそれはそれで良いのかもしれない。が、あいにくこちとら怪談愛好家である。あの当時の漫画界は『地獄先生ぬーべー』の登場以前、怪談漫画は少女漫画にこそ多く見られたのだ。読みたかったのだ、切実に。そしてそんな思いをしているのは自分だけではなかった。

 というわけで、放課後、男の子は『ちびまる子ちゃん』や『きんぎょ注意報!』をこっそり貸してもらい、戦いゲームはダメだと親に買ってもらえない女の子に『悪魔城ドラキュラ』や『ストリートファイター2』を貸したりもしていた。しょーりゅーけんってどうやって出すの? 歩きながら波動拳打ってみ? なんて会話が懐かしや……

 一応断っておくと、あの年代の小学生の誰もが排他的なわけではなかった。
 自分の好きなものに興味を持ってくれる異性の存在は嬉しくもあったし、「男だから、女だから」を声高に掲げたがるのは……なんていうか、たいていクラスの仕切り屋、そして金魚のフン、だったような気がする。

 また、異性の兄弟姉妹が居る子たちなどは当たり前に男女の垣根を跳び越えて色々と読んでいて、これは面白いよ、あれはイマイチと評価する子たちも居た。

 それでも『少年ジャンプ』を読んでいる女の子は珍しかったし、『りぼん』や『なかよし』を男の子が手に取るのも希有だった。……小学校で一緒になることのない程度に歳の離れた同居人にそう話したら「寒い時代だな」とワッケイン司令みたいなことを言われた。物心ついた時には『ONE PIECE』の単行本があった世代からすると、クラスメートでジャンプを読んでないなんて男子も女子もあり得なかったそうな。

 今にして思うと「?」なのが、《青い鳥文庫》は女の子が読むものという妙なイメージもあった。恋愛要素の入った物語も当然のように女の子向けだったし、逆に『少年探偵団』をはじめとした江戸川乱歩なんかは男の子の読む本のくくりに入っていたと思う。時代が変わったのか、自分の居た小学校にそういう空気があっただけなのか、今ではふつうにお客さんの小学生男子が「《青い鳥文庫》はどこですか?」と聞きに来るし、女の子が一生懸命『シャーロック・ホームズ』を読んでいる。良いことだと思う。

 そんな当時女の子向けと言われていて、なかなか読みたくても手に取りにくかった内のひとつに『こまったさんシリーズ』がある。

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 作者は寺村輝夫氏、今でもあちこちの図書館の児童図書コーナーに常備されていると思われるシリーズだ。毎度奇妙な事態や急なお客に困らせられながらも美味しいものを作るおねえさん、こまったさんがペットの九官鳥であるノムくんと困らされながらご飯を作っていくのが毎回の流れである。姉妹編に『わかったさんシリーズ』もあり、そちらは主にお菓子を作る。どっちかは見かけたことがあるのではないだろうか。

 カレーを作ることになりタマネギを刻むと目にしみるのでゴーグルをつけるとその弾みでイマジネーションの?海に入ってエビやらマグロやらを捕まえて具材にしようとする。

 そうかと思えば旦那さんと一緒に経営している花屋に怪しい中国人がやってきて突然ラーメン屋になったりする。岡本颯子氏の挿絵も楽しく、こまったさんの髪型はきゃぴきゃぴしていた時代の叔母を思い出す。
 また、出てくる料理は実際作れるようにガイドもあって九官鳥のノムくんマークがついているところはコツや注意点になっている。実際作ってみたいなあと思ってのに台所を触らせてもらった子ども時代の思い出が脳裏をよぎる……

 そんな興味津々の『こまったさんシリーズ』だったのだけれど、なかなか学校の図書室で読むことは叶わなかった。何故ならクラスの意地の悪い怖い女の子らが睨みをきかせていて、

「これは女の子が読む本なの、男子は触らないでくれる?」

 とか言ってくるのだ。男子が女の子たちの好んでいる本を読もうとするのは「いやらしい」という言葉を使って牽制された。上級生の女の子に、「あの子、女子の本借りてる」とかせせら笑われるのも……つらいものだ。
 一方でサッカーや野球をやっている男子グループに自分もやりたいって女子が話しかければ、

「女は来んなよ!」

 と突っぱねる男子もやっぱりいたから、色々とお互い様なのだろう。

 そんな男子ご禁制の『こまったさん』を読んでいた時の思い出として、印象に残っていることがある。

 ある日、女子の目をかいくぐり放課後の学校の図書室で『こまったさんのグラタン』を読んでいたところに野球少年で『ドラゴンボールZ』をこよなく愛するKくんが唐突に話しかけてきた。

(お前、女の本なんて読んでんじゃねーよ!)

 スポーツ好きの良いやつだけど文化系のことにあまり興味のないKくん、上記のような台詞を言われかねないなと思っていろんな言い訳を脳内で準備していたところ、彼は本を覗き込んできて言った。

「こまったさん、良いよな!」

 Kくんが、西武ライオンズとドラゴンボール以外にも興味を向けるものがあるのかと驚いた瞬間だった……しかもそれが『こまったさん』……教室に持ち込んだカラーボールで手打ち(自らの利き腕をバット代わりにする野球もどきのゲーム)をして蛍光灯を割ってしまい3倍界王拳で校内を逃げ回っていたようなKくんは、こまったさんを読んでいると幸せな気持ちになるというようなことを言っていた。

 ああ、自分はなんと偏見に満ちていたのだろうかと、当時は偏見って言葉を知らなかったけれど、痛感してちょっとショックでさえあった。イタチに追いかけられて井戸に落っこちたサソリのように……ってほど志高くないけど、小学生ながらに反省した瞬間だったのだ。

 そして、Kくんの一言は『こまったさんシリーズ』を通して抱く感情を見事に代弁してくれていた。

 わかる、わかるよー、Kくん……と書くとKくんがカイジみたいになってしまうが……こまったさんを読んでいると幸せな気持ちになるのだ。

 毎回困らされながらも料理をつくって食べた人を幸せにするこまったさんは素敵だった。誰かのために美味しいものを作るというのは、子供の頃の自分には魔法のような行為に見えていたのかもしれない。

 そんな思い出の『こまったさん』が図書館で今でも現役で貸し出されているのを見るのはやっぱり嬉しい。近年は彼女のレシピをまとめた本も出版された。

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 子ども向けのレシピ本は、正直大人から見ると「これで美味しくできるかな……」と思うものもあるのだけれど、『こまったさんのレシピブック』は内容がしっかりしている。じゃがいものアク抜き、トマトの湯むきなどの仕方から載っている。それでもある程度やり慣れてる子じゃないとむずかしいかもしれないが……と思っていたら、子どもがやるときは大人の人がしっかりサポートしてあげてくださいと書いてあった……うん、やっぱり子どもの頃、こまったさんの料理を作ってみたいのに台所を使わせてもらえなかったインナーチャイルドのための本なのかもしれない。
 でもレシピ通りにできるのならば美味しく完成すると思う。

 なんで断言できるのかと言えば、

 作ってみたからである。
 食パンをちぎって牛乳につけておくことから始まる、時代を感じるハンバーグの作り方が載っていたのを試してみた。
 こちら、見開きで全行程が載っているのでとても見やすくて良い。

 お味の方はというと、飾り気のない直球勝負の、肉汁のたっぷりなハンバーグに仕上がった。スタンダードなハンバーグとして美味しく、誰にでもお勧めできる。

 レシピ的には子供が挑戦するのにネックになるのが《玉ねぎのみじん切り》だろうか。慣れないと本編のこまったさんの如くゴーグルが欲しくなるかもしれない。でもこちらは別ページに指南がある。親切設計だ。

クッキング

 ……それにしてもこの本、もっと早く出版して欲しかった。もう十年以上も前に、古巣の図書館でハンバーグのレシピを探しにきた女の子に勧めてあげたかった……その話はまたいつか。

 他にも児童向けのお料理ものは色々と出版されており、あんびるやすこさんの『ルルとララ』シリーズも人気がある。こちらも物語中に作るものがまとまったレシピブックも出ているほどだ。

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 近年では「マンガ・絵本・アニメのあの料理がつくれる!」と銘打った『夢の名作レシピ』シリーズ全3巻というものも登場した。

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 ちょっと中をめくってみると『3月のライオン』の「冷やし白玉シロップ」をはじめとして『ONE PIECE』より「サンジの焼き飯」、『はらぺこあおむし』の「土曜日のカップケーキ」、『14ひきのかぼちゃ』から「かぼちゃコロッケ」、『鋼の錬金術師』から「アップルパイ」、『はじめ人間ギャートルズ』より「骨つき肉」など多彩である。

 そしてたまにお客さんからそういうのはないのか、探してくれないかと頼まれるのがジブリシリーズ関連の料理レシピ本である。が、残念ながら毎度美味しそうにご飯を食べるシーンに定評のあるジブリ作品は、これといったレシピ本が出ていない。待ち望んでいるファンは多いと思うのだけれども……

 ちなみに少年漫画は男子が、少女漫画は女子が読むものという壁に風穴を空けたのはうちの小学校だと『きんぎょ注意報!』と『セーラームーン』だった。とりわけセーラームーンの存在感は絶大だった。

「中学に上がったら暴走族に入っててっぺん取ってやるぜ! 俺が仕切っから!」

 というのが口癖だったヤンキー志望だった仕切り屋のNくんが誰よりも早く『セーラームーン』の単行本を買ったのはクラスに衝撃を与えたのは間違いない。あれだけ散々暴走族への憧れをうそぶき、少女漫画について話にでもあげようものならボロくそに罵倒していた、そんなお前がいの一番に買っちゃうのかよ、と。
 しかし彼は月のプリンセスの生まれ変わりの魅力にはあらがえなかった。

「『セーラームーン』は良いんだよっ!」

 と、宣っていた。彼があと1センチほどプライドを下げることができたなら、セーラー戦士の誰が好きアンケートさえ採りかねない入れ込み具合だった……うん、ふりかえると彼は『きんぎょ注意報!』のヒロイン、わぴ子も大好きだった。暴走族よりオタク番長に向いていたのかもしれない。

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