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映画『ナラタージュ』の魅力④


    ↑①はこちらです



・『エル・スール』と『ナラタージュ』――引用作品でさらに立ち上がる人物像


『ナラタージュ』のストーリーの中には、いくつもの他の映画が登場します。それらは、ただ単に泉と葉山が映画好きだからという理由だけで会話のなかで挙がったり、映像に映ったりしている、という以上の意味を持ってそこで引用されています。
ストーリーの深い部分で重なっている引用作品を知っていることで、『ナラタージュ』の世界をより味わうことができるのではないかと思います。



・『隣の女』が好きな女 VS 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が好きな女


例えば、泉は作中で、最近観た好きな映画として『隣の女』を挙げます。序盤、大学生になって久しぶりに葉山と二人で話すシーンで、この話題になります。
ここで泉は(あえてだと思うのですが)何ということでもないかのような涼しい顔でこのタイトルを出すのですが、内容はかなりドロドロな人間関係のヘビーなロマンス映画です。しかも、そんな泉に対して葉山もさらっと自分もこの作品が好きだと言い、ラストシーンの台詞を引用します。
あくまで物語の話をしている、ということが作用してか、特に違和感も無く感じられる葉山の台詞ですが、なかなかすごい言葉を言っています。これが、泉の告白でもあり、この『ナラタージュ』で二人が最終的に行き着く先をも示唆しているように思えてなりません。序盤、久しぶりに再会していきなりの、衝撃的シーンともいえます。

また、葉山の妻が好きな作品としては
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が登場します。
アイスランドのビョークという歌手が主演のミュージカル映画で、こちらもヘビーな内容です。
視力を失っていく母と、このままではいずれは同じように視力を失うであろう息子、彼女にさらに降りかかってくる不幸と罪を描いた、絶望に絶望が重なって強く揺さぶられるような映画です。

これは余談なのですが、
つまり葉山の周辺の女性は
『隣の女』が好きな女 VS 『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が好きな女
という構図になっているとも言えます。(別に直接ふたりが戦っているわけではないですが)
これらの作品を観たことがある人や雰囲気だけでも知っているという人であれば、これはあまり明るい結末は迎えられなそうだ、というのを引用されている作品からも想像できるのではないでしょうか。そして、自身も『隣の女』が好きだといい、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』が好きな人と結婚してまたその人とやり直そうという結論に達する葉山も、正直、なかなかに闇が深い人だといえます。
自分のことが好きだとわかっている女性に「なんでもします」と言われ、妻の痕跡が残る自宅に入れ、離婚していないことが知られたうえで、自分から彼女にはさみを握らせる――
文字で見るだけでも、実はちょっと怖い葉山の行動も、なんだか頷ける気がしてきます。

少し話が脱線してしまいましたが、こういった感じで
引用作品がわかるといろいろとさらに想像も膨らむ『ナラタージュ』ですが、そんな作品のなかでも特に大きな存在感を放っているのが、ビクトル・エリセ監督の『エル・スール』です。



・『エル・スール』とは


『ナラタージュ』の作中でも、泉の語りで「娘が父との記憶を辿る物語」と、簡単ながらストーリーの内容まで紹介され、中盤の印象的なシーンでは本編映像が映されています。

『エル・スール』は、どのシーン・どのカットをとってもとにかく映像が美しく、画面のなかの陰影と静けさが印象的な、まるで連続した絵画を見ているかのような作品です。
「エル・スール」とは、スペイン語の「El sur」。
英語だと「The South」。
つまり、日本語で「南」
を意味します。「南」とは何かというと、この作品のなかでは主人公の父の故郷であるスペインの南部を指します。

スペインの北部で暮らすエストレーリャは、行ったことのない父の故郷「エル・スール」に心ひかれ、どんな場所だろうかと想像を膨らませます。幼いころのエストレーリャにとって、ある不思議な力を持つ父は、純粋に憧れの存在でした。しかし時が経って、初の聖体拝受の歳のころに、父の秘密を知ってしまいます。父は過去に、ある女性に恋をし、実は今もその人を想っているようなのです。
そして物語が進んでいくうちに、この作品の背景にあるスペイン内戦後の時代と父との関係も見え始めます。
父は振り子を使ったダウジングで水脈の場所を当てるなど、霊力のような力を持っており、その力を受け継いでいるエストレーリャとの間には、良くも悪くもなにか普通の父と娘以上の強い繋がりがあるように感じます。彼女は、父の心の中で母ではない女性の存在が次第に大きくなっていること、彼が変化し家族が崩壊していくさまを肌で感じて、不安を募らせていきます。

この作品は、泉と葉山の思い出の作品であり、二人が一緒に見る(しかも二度)唯一の映画です。『ナラタージュ』と『エル・スール』にはいくつもの共通部分があります。

例えば、『エル・スール』は、娘であるエストレーリャが父との過去の記憶を彼女の語りと共に辿る「ナラタージュ」のかたちであるということ。
父が妻とは別の女性を想っていること。
父が最後に娘に置いていった「振り子」と、葉山の「懐中時計」。
秘密の共有。
純粋無垢な少女の成長。憧れの存在が次第に色あせていくさま。
夜明けのシーン。陰影。静けさ。

他にも、もしかしたら?でも、ただの深読み?と思うような部分がいくつもあるので、『エル・スール』を感じる部分について考えながら『ナラタージュ』を見るというのも面白いかもしれないです。



・誰が娘で、誰が父で、誰が父の愛人か


では、『ナラタージュ』と『エル・スール』は、登場人物もぴたりと当てはまるようなつくりになっているのか。に、ついてです。

結論から書きますが、これはおそらく、そんなにかっちりと当てはまるようになってはいないと思います。ただ、完全に関係ないともいえません。
泉が娘のように見える時もあれば愛人のような時もあり、葉山が父かと思えば、娘のようにも見えてくるところもあります。中盤、夜明けのシーンで葉山が起き上がるシーンは『エル・スール』冒頭の夜明けのシーンと重なりますし、終盤、朝に懐中時計を手にした泉の目に映る葉山は、本当に父のようでも娘のようでもあって、共存するはずのない二つの要素が共存しているひとつの存在に、不思議な感覚に陥ります。
もしかしたら、二人の関係は
葉山の側からしたら「父と娘」に近い強い繋がりという答えに到達していて
泉の側からしたら、特に中盤以降は「父と愛人」に近い繋がりと認識していて
体を重ねて夜が明け、泉のなかでも
食い違っていたこのふたつが溶け合って共存したのかな、
という、
これは本当に勝手な解釈なのですが、
そんな風に感じました。



さて、ここまで長文にお付き合いくださり、本当にありがとうございました。記事としては、もうひとつだけ「⑤」と題して、ただただ個人的に好きなところを好きだー!と叫ぶだけの(笑)感想のようなものを書こうかなと思っていますが、とりあえずこれで一旦区切りとしようかと思います。
正直、ひとつの映画に対してこんなにも文章を書きたいという気持ちが湧いてきたことは今まで無く、また、こんなにも読んでいただき反応いただけることも今まで無かったので、この作品の凄さと制作に関わった方々の凄さをとても感じています。
読んでくださった方、記事に❤をくださった方、ツイッターのほうで反応をくださった方、また、ツイッターで直接記事のリンクを貼るなどしてひと言くださった方、嬉しかったです。ありがとうございました。


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