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映画『ナラタージュ』の魅力 ①


監督:行定勲  
原作:島本理生『ナラタージュ』(角川書店)


「売れっ子女優と人気アイドルの出演作」

「高校教師と生徒のラブストーリー」

と、書かれていたら、とりあえず見てみようか?と思う人も少なくはないのかなと思います。これらは、私がこの作品を見る前に把握していた全情報です。
Netflixで何の気なしに見始めて、気がついたら本編を二周したうえブルーレイディスクを買っていました。そして、前情報として把握していた言葉の印象は一切合切、頭のなかから消えていました。
情報が嘘だったということではありません。そして、これらもこの作品の大きな魅力です。

でも、むしろこういった売り文句が並んだ時に
正直、見るのをやめようか?と思うという方、
分かりやすくハッピーなラブストーリーを見ると、何故か体じゅうが痒くなってしまう方(自分のことなんですけど)、
そして何より、映画というものが好きでいろいろな作品を見てきた方
に是非一度、味わっていただきたい。そして、あわよくばあの場面・あの台詞・あの雰囲気をどう受け取ったのか?について他の人はどうだったのかが知りたい。そんな風に思わせてくれる、魅力ある作品です。



・「ナラタージュ」とは?


ナラタージュとは「ナレーション」と「モンタージュ」を掛け合わせた言葉で、「ある人物の語りや回想によって過去を再現する手法のこと」だそうです。

そのタイトルの通り、この物語は工藤泉という映画の配給会社で働いている女性が、大学時代や高校時代の出来事を回想するところから始まり、内容の殆どが過去の出来事になっています。

大学二年の夏、高校時代に所属していた演劇部の顧問である葉山先生から電話があり、泉は、文化祭の劇をOBとして手伝ってほしいと頼まれます。高校時代、葉山先生に特別な想いを寄せていた泉。二人はその頃から親密だったにも関わらず、泉が卒業してからは一度も会わなかった。そんな二人が再開することで、止まっていた時計が動き出したかのように物語も動き出します。
未だ葉山先生への真っ直ぐな想いを抱きながらも、彼がわからず、葛藤する泉。熱心な教師で、生徒ひとりひとりを優しいまなざしで見守っているけれど、赴任してくる前に一緒に暮らしていた妻との過去が暗い影を落とす葉山。大学二年の夏、部を手伝っていくなかで、泉に好意を寄せるようになった大学生の小野。三人の関係を中心に、物語は進んでいきます。


・くすんだ色の冬の海辺――映画全体を包む静けさ


映画は一貫して、静けさに包まれています。アップテンポでぐんぐんストーリーに引き込んで畳みかけてワクワクしながらハイテンションでクライマックスに向かっていく、という作品ではありません。だからといって、ストーリーがあるような無いような感じの、難解で、受け取り手に結末の全てが委ねられているような作品でもないです。
泉の視点で、大学時代と高校時代の時間軸を行ったり来たりしながら過去を辿っていくこの物語は、例えるなら、穏やかな海辺で寄せては返す波の音とか、降ったり止んだりする雨音のような、静かな空間の中で気がついたら自然と聞こえている音のような作品だと感じます。

映画の序盤と終盤に、曇り空の下、ゴミが散乱していてとても綺麗とはいえない海辺を葉山と泉が歩くというシーンがあります。あの灰色がかった空や海の色が、この作品全体を包む色のように思えてなりません。どんよりと薄暗く、でも真っ黒ではなくて、原色のようなキツさも無く、ただもったりと湿度を持った靄のような空気。泉と葉山の間には、今どきのカップルと呼ばれるような男女とはかけ離れた、この独特の空気が常に流れています。

泉が高校生の頃、映画館で『エル・スール』という作品の上映後に外に出ようとするとそこには葉山先生がいて、実は二人は同じ映画を観ていた、というシーンがあります。ここで、泉のこんな語りが入ります。

「彼は、その映画の静けさが好きだと言っていた。」

「その映画」とはつまり『エル・スール』なのですが、
そんな『エル・スール』の静けさをを好む葉山という人の持つ雰囲気が、泉の目で見て語られていく『ナラタージュ』をそっと包んでいるのだなと思えて、とても印象的な語り部分です。


・葉山と泉が共有している空気感


葉山と泉の間には、先に書いたような独特の空気感があります。お互いの内側に想いを秘めながらも、言葉数は少なく、声を荒げるようなことも殆どしません。基本的にはひとりが喋って、一拍あり、もうひとりが喋り、逡巡し、というようなテンポです。
こうして文章で読むと、仲があまり良くないの?会話が弾まないの?と、思う人もいるかもしれません。そこはぜひ作品を見て、ご自身で感じていただきたい部分なのですが、私はむしろ二人が気が合いすぎているからこういう空気になっているのだと感じました。
お互いがあまりにも察しが良くて通じ合っているが故に、言葉としてはっきり見えている会話はうわべだけのもので、同じ空気を共有するだけで、会話とは別のところで言葉以外のなにかも交換しているかのような、濃密な時間が流れている。二人のやり取りを見ている時、そんな風に思えてなりません。

小説ではよく、物語の「行間を読む」と言いますが、この映画はしっかりとしたストーリーが進んでいくなかでも、読む人次第で読める行間がいくらでも発見できる小説のような、意味のある「隙」や「余裕」のある作品だと思います。声のトーン、会話の間、表情、まなざし。場所、天気、服、モノ、色味。言葉以外のすべてが、言葉以上に豊かで饒舌です。この、受け手の感性でいかようにも捉えられる静けさを味わえることこそが、この作品の大きな魅力だと思います。


②以降では、

・雨(水)に濡れる/濡らされる/濡れない/濡らす に見る泉の変化
・葉山のゆらぎ、小野の焦燥感――美しくてきたない「人間」
・『エル・スール』と『ナラタージュ』――引用作品でさらに立ち上がる人物像
・「工藤泉の『ナラタージュ』」である、という大きな意味

などについて書いていこうと思っています。



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