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自分も他人も感情も理解するということ

おはようございます!久しぶりのnoteです!今年の夏秋はなにやらバタバタで目が回りそうな日々なのですが、その中でも日常に飽きてしまわないように朝渋さんに参加しました。

というわけでその中の参加したイベント+本でnoteを書こう!ということで投稿させていただきます。今回は【家族だから愛したんじゃなくて愛したのが家族だったby岸田奈美さん】です。

岸田さんの言葉は色々とスッと心の中にしみこみましたが、私は

私がいい人だと思うからいい人でしょ!

が印象に残りました。いい人っておっしゃったか好きな人っておっしゃったかちょっとあいまいですが。。。

本の中でも

家族は選択できないものから、選択できるものになっている。自分によい影響を与える人の存在は自分で選ぶことができる

と記載あるように、岸田さんは自分をよく観察して、自分の感情に従う、日常を解像度高くみるということを無意識にできる方なのだな~と思いました。普段でもめちゃくちゃメモを取られて見返してにやにやされるとか。

結局最近はいかに自分を見るときも他人を見るときも、こういうところがこの人愛くるしいよな、あるいは嫌なところもあるかもしれない、解像度高く見てそれを素直に受け止める受け止めた後に、それをしっかり味わう。そういったことが自分を救っていくのかなと思いました。

お話の中でほぼ日の糸井重里さんが「感情を探しすぎてはいけない」という岸田さんにお話されたエピソードがとても記憶に残っていて、ついつい自分は(立場上)本当はこういうことを思わなければいけない、等考えがちなのですが、そのエピソードを聞いたあとにとってもすっきりしました。

だから

家族だから愛したんじゃなくて愛したのが家族だった

という表題になったのでしょうねっと。形や用語にこだわるのではなくて、結果として、感情に従った結果そうだった。と。それに気付かされた瞬間岸田さん、超素直な方じゃん!!!って思いましたね。私もこういう素直さ、(普段めちゃくちゃひねくれているから。。。)取り戻さねば。。。ですね。ついつい外部の刺激によって自分の感情がわからなくなったりしませんか?ありのまま受け止めるって意外と難しいですよね...??(私だけかしら?)

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