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"言葉"で平凡な毎日をラベリングする

記録をつけるのが好きなので、毎日できる限りノートを開いて、今日やった仕事や観たもの、読んだ本などを書いているんだけど、不思議なことに記録するのを1日忘れてしまっただけで、その日にやったことがまったく思い出せなくなってしまう。

「○○ちゃんと遊んだ日」
「スタバで作業をした日」
「サウナに行った日」

それまでは、こうやってしっかりラベルを貼って、いつでも記憶から取り出せるようにしていたのに、自宅に籠りっぱなしの平穏な日常を送っていると、うまくラベルがつけられなくて困った。

ヘタをすれば、

「家でボーッとしていた日」

というラベルだけで1週間をうめることだってできてしまう。でも、そんなつまらないラベルは貼りたくないじゃんか。

だから、ぬるま湯のような毎日のなかで、言われて嬉しかったこととか、心が動いたこととか、触れて素敵だったものを、忘れないようにメモしておかなくちゃいけない。

そこで大事なのは、「やった仕事」「観たもの」「読んだ本」という記録だけじゃなくて、それを通じてどう自分が感じたかだ。

言葉のチカラで「家でボーッとしていた日」を「コンビニで買ったチョコミントアイスが美味しくて、納品した原稿がクライアントからすごく好評で、頼まれたグラレコがうんとうまく仕上がった日」にできる。

家でボーッとしてただけじゃない。カラフルな1日になるでしょ。

いわゆる「エッセイ」と呼ばれるものも、大半が特別な体験を文字に起こしているわけではなく、日々の生活のなかで見える、何気ない世界を書いている。

人生そうドラマティックな出来事ばかりじゃないけど、言葉を使えばドラマティックになる。

今日は、「友だちが書いた本が届いて、そこに直筆のメッセージが書いてあってすごく嬉しくて、ガラスの仮面を49巻までやっと読み終えて、続きが気になる一方でもう18年も新刊が出ていないことに気付いて衝撃を受け、ヒロアカを観始めたら漫画的表現がアニメでそのまま再現されていて面白いなぁと思って、前髪が伸びてきたのでピンで止めてみたら"ごくせん"みたいになった」1日でした。

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