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コンプレックスは晒して強みに変えていけ

誕生日を迎えて17歳になった。

リアルよりも、ツイッターで予想以上にお祝いしてもらえてびっくりした。

そのなかには、会ったことのある人もいるし、会ったことのない人もいる。

なかでもやっぱり嬉しいのが、「記事楽しみです」「note好きです」という言葉で、書くくらいしか能のない私はそれだけで生きてて良かったなぁと思う。

こんなにもコンプレックスの塊なのに。

たとえば、自分が人と絡むのが得意だったら、もっと人の輪に飛び込んでいけるような性格だったのなら、こんなに苦労をしたり涙を流すこともなかったんだろうなと思う。

でも、それと同時に、そんな人だったら筆を取ることもなかったんだろうなとも思うのも事実だ。

私にとって、自分の言葉は「ゴミ」だった。

誰に見せるわけでもなく、その日言いたくても言えずに持って帰ってきてしまったものを書いてソッ閉じしておくような。

相手のことを考えてない、独りよがりの言葉はきったない。

きったないし、伝えるべき言葉をちゃんと相手に言わず、かといって飲み込めず、こうしてわざわざゴミ箱に捨てにくる自分も嫌いだった。

noteなんてその最たるものだ。

私はツイッターは割とキャピッているし、ブログは割と真面目に書いているのに、noteだけは、開いた瞬間、なぜか言語化してはいけないようなドロドロとしたものを書きたくて仕方がなくなってしまう。

UIの真っ白さが小学生のときにノートに書き殴っていたあの感覚を呼び覚ますのかもしれない。

そして、勢いのまま書いて、毎回書き終わったあと「やっちまったな」と思いながら投稿する。

でも、わたしにはブログもライターとして書いた記事もあるけど、何よりnoteが1番書きたくなってしまうし、1番読まれている。

友だちに、「こんなに明るい人でもこんな一面があるのだと思うと安心する」と言われた。

きったないでしょ。リアルでしょ。

でも皮肉なことに、そんなきったないnoteが愛されて、読者がもうすぐ1000人になろうとしている。

人とうまく関われないコンプレックスが文字となって、文字がまた、私みたいな誰かのところに届いている。

コミュ障も捨てたもんじゃないんだ。

これからも、身を削りながら出た言葉が、誰かのもとに流れついて拾ってもらえるよう、書き続けていこうと思う。


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