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やりたくないことをやり続けたら、やりたいことがわからなくなる

「好きがわからない」

という気持ちを随分長いこと抱いている気がする。好きなものは何?と言われたときに、これ!と自信を持って答えられるものが減ってきた。

それはどうしてだろうなぁ、ヲタクじゃなくなってしまったからかなぁ、と考えていたけれど、どうも違うらしいことがわかった。

最近、「やりたくないことをやり続けて、自分をごまかしていると、本当の"好き"が思い出せなくなる」という話を聞いた。

ハッとした。

自分はいつから、「好きなこと」と「やれること」を取り違えていたんだろう。

「仕事」には、必ず「やりたくないこと」が発生してくる。

以前、会社の方針が変わって、「コピーライティングを1ヶ月で1000本書く!」というプロジェクトが始まったのだが、そのときにあまりにもやりたくなさすぎて、夜通し会社で作業をしたあと、朝5時に先輩たちとラーメンを啜りながら泣いたことがある。

でも、やらないと査定に響いてしまうので、歯を食いしばって3ヶ月やりきった。あとから見ると、1/3の人しか完遂しなかったし、別に査定にも響かなかった。そんなものだ。

そうやって、本音は「やりたくない」けど、自分の名誉やプライドや、スキルアップのためや、誰かのために「やります」「やりたいです」と嘘を吐くことが気付いたら当たり前になってしまっていた。

いや、100%嘘ではないんだと思う。「これをやれば力がつきそう」と半ば筋トレのような思いで受けるものもあるし、「人脈が広がりそう」と受けるものもある。

でもそれって結局どこかで「忖度」をしているんだろうな。

胸に手を当ててみたら、本当の本当の心の声は「実はちょっとめんどくさいと思っている」とか、「やだなぁ」みたいなことを言っていたりする。

でも、素直な心の声は社会に出て、与えられるものをがむしゃらにこなしていくなかで、気付いたらわからなくなってしまった。

1社目では営業をやっていたけど、「営業やだなぁ」と思いながらも評価されたくてやっていたら、「営業向いてるね」なんて言われて、「自分は向いているのかぁ。じゃあいいかぁ」なんて思ったりとか。

ライターをやるなかで、何でも書けたら幸せだと思っていろいろ書いていたけど、「このテーマは胸が詰まる、うまく書けないな」と思って提出したら、「すごく良かった」と言われて、「意外とそう評価されるのかあ。じゃあ書くかぁ」なんて思ったりとか。

「好きなこと」と「やれること」はちょっとズレていることもある。

その境界線があやふやになって、「やれるからやる」という選択肢を当たり前のように取ってきた。

林修先生は、実は教えることが好きじゃないけれど、得意だからやっているらしいし、そんな生き方もあるとは思うけど、あんまりハッピーじゃないかもしれない。

だって、やりたくないことを、やれるからやっていたら、好きなことがわからなくなってきたんだから。

さらに、やりたくないことをやり続けるとこうなる。

自分は大丈夫なほうだと思っていたし、なかなか長持ちしたけど、今日無意識にこの図を書いていたので、「アッ!末期だ!」となった。

「やりたくないこと」は気付いたら降り積もり、ストレスになっていく。たとえ、誰かのためにやったことでも、それによって評価が上がったことでも、一般的には良いとされていることでも。

だってヘンな話、私「渋谷」あまり好きじゃないのに渋谷にいるし、横文字苦手なのに横文字に触れてるし、大人数嫌いなのにパーティに足を運ぶし、運動苦手なくせに今からジム通おうとしているんだよ。やめろよという話だよね。その積み重ねが「好き」を奪っていくんだよねきっと。

プライベートも仕事も、もっと細分化して、きちっとやりたいこととやりたくないことの線引きをしようと思った。

やりたくないことをやるの、やめる。

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