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本音を綴っていれば、文章で「平和な王国」が築ける

「フォロワーが多いとアンチも多いんじゃない?」

この前話していた友人にそう言われたけど、表立って攻撃されたことは少ない。それはたぶん、「本音」を呟くことを意識してきたからだと思う。

言葉を紡ぐのは王国を築くことに似ている。

フォローする基準は、もちろん自分にとってプラスになるかどうかだと思うけど、それって要するに言葉選びや、考えかたや、日常の過ごしかたを見て、「いいね!」と思うからフォローをするのだと思う。

では、本音ではなく背伸びをして、他の言葉を借りて発信していたらどうだろう。

自分の考えではなく、あくまで何かをなぞった言葉で、有益だけど心からは賛同していないこと。

おそらく、「タメになる」という観点からは支持されるかもしれない。

でも、それだと「タメになるからフォローしているだけ」という下心が含まれるから、本質的なファンからは少しズレていく。

SNSでは自分のイメージは自由自在に操ることができる。

本来の自分とはまったく違う自分を演出して楽しむのもアリだし、仮想現実感があって面白い。

一方で、「何を発信しようが、この人だから好き」と思われるには、本音で語ることが不可欠だと思う。

わたしは、みんなが「いいね!」と思ってくれて、トゲトゲした言葉を言わなくて、自分が自分らしく発信できる場所がほしいと思っていた。

たとえば、ずっと掲げている「永遠の17歳」というモットーも、そこだけ切り取れば支持をする理由はない。

どちらかといえば「意味がわからない」と非難の対象ともなる。

でも、日頃の発信を踏まえて「永遠の17歳」を名乗るのなら、そこには次第に王国ができていく。

そうしてみんな、それぞれの安全な王国のなかで生きているのが今の時代だと感じる。

本音を晒して、それを支持する人たちと一緒に住む。

アメリカには「アーミッシュ村」というのが各地に存在する。

そこには文明にこだわらず、人里離れた場所で独自の文化を築いて自給自足をして暮らす人たちが住んでいるのだが、その暮らしが「エコでロハスだ」と近年注目を集めていたりする。

アメリカに住んでいたときは、この村自体がなんとも近寄りがたくて怖いと感じていたのだが、今はちょっとだけ羨ましく思う。

インターネットがなく、日々悲しいニュースを見ることもなく、ただ自分たちが心地よく感じるルールのもとに暮らしている世界。

それは「ゴールデンカムイ」に出てくるアイヌの村や、「ミッドサマー」の村(まぁこれは賛否両論あるが)に似ている。というか本来はどこの地域もそんな感じだったんだと思う。

ひとつの村を築きあげるのは大変だが、今ならSNSのアカウントをひとつ作れば、そこで小さな王国を築き上げることができる。

そうしてひとりひとりが心理的安全性の保たれた王国に住み、時折隣の王国と交流したりする。

なんて安全な世界なのだろう。

ルールは自分で、自分の思想とは合わない人はフォローを外して出ていくだけ。来るもの拒まず去るのも追わず。

おそらくアカウントを持っている人たちは王国を築いているとは夢にも思わないだろう。

でも、自分の好きな人たちだけをフォローして、自分のことが好きな人たちだけにフォローされているこの状態を、王国と呼ばずしてなんと呼ぼう。

そしてそんな王国を平和に保つのに不可欠なのが「本音の発信」なのである。

外に出ればただでさえ世知辛い出来事がたくさんある。

せめて娯楽の延長戦にあるネットの世界でだけは、平和な王国を築いていきたい。

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